怪事戯話
第十怪・無双崩魔と覚醒の刀④

 夜風が吹き抜ける校庭の土を踏みしめる足音が一つ。
 靴底で小砂利をすり潰しながら仁王立ち。腕組みして校舎を見上げる一人の影。
 校舎の上空には赤みがかった月が、薄く張った黒雲の向こうぼんやりとその姿をのぞかせている。
 まるで怪物の目みたいだ、と彼女・・は思った。
 彼女は眉間に小さく皺をよせ月を睨む。しかしその口元には楽しげな笑みが浮かんでいる。

 その瞳もまた、今宵の月に負けないくらい赤く赤く輝いていた。



 屋上のドアを勢いよく閉ざす。鉄の固い扉が人形たちに立ちふさがり、その侵攻を食い止める。幸い人形たちには「ドアノブを捻る」「鍵を開ける」といった知恵はないのか、扉に乱暴に体当たりする以上には何もしかけてこないようだった。扉の向こうでゴンゴンと鈍い衝突音が絶え間なく続いている。
 魔鬼と乙瓜はほっと一息つく。扉の前に座り込み、疲れ切った両足をコンクリートの床面の上に放り出した。
「助かった……のか?」
 荒い呼吸を整えながら魔鬼が呟く。対して乙瓜は首を横に振った。
「いいや、むしろここはどん詰まりだ……。人形たち奴らが鉄を破れないとも限らない、どの道詰んでる……ったく」
 忌々しげに呟くと、鬱憤を晴らすように今来た扉を殴り付けた。
 ガンッと、一際強く大きな音が鳴る。扉の向こうで騒々しく動いていた気配が一時静かになる。だがそれも束の間で、またすぐに人形たちが扉にぶつかる音が再開する。乙瓜は舌打ちした。
(札は全部使っちまった、魔鬼も疲れ切っている。扉の向こうには人形の群れ、他に逃げ出すったってここは屋上。飛び降りて逃げるなんて漫画の中の大泥棒みたいなことはできやしねえ。……盗まれたものを取り返すつもりが、とんだピンチじゃねえか畜生)
 乙瓜はもう一発扉を殴りつける。ジンジンと痛む拳からは血がにじみ出ていた。
「……乙瓜、血」
 心配そうに魔鬼が言う。乙瓜は大丈夫だと言って、手の甲にハンカチを被せた。
「すまん、すこしだけ待ってて。回復したら奴らの群れにデカいの一発叩きこんで脱出口作るから」
 だから、少しだけ休ませて。言うと、魔鬼はずるりと体勢を崩し、コンクリートの上に倒れ込んでしまった。
「お、おい……?」
 驚いた乙瓜は手を伸ばす。大丈夫、呼吸はある。ただ、気を失っているだけのようだ。
 乙瓜はホッとしつつも、こんな状況で相棒が眠ってしまったことに更なる焦りを感じずにはいられなかった。背後の扉にぶつかる音も最初の時よりも強くなっている。
(……休めば回復するって言っても、それまでに扉が持たなかったら終わりじゃないか! さすがに意識の無い人間一人持って逃げられる自信はないぜ……?)
「おい、魔鬼、……魔鬼ってば!」
 乙瓜は必死になって魔鬼を揺さぶり起こそうとするが、彼女は呪いでも掛けられてしまったかのように無反応で、まるで目覚める気配がない。
「頼むから……!」
 何度目かの人形の体当たりで、扉がこちら側に幾らか歪むようになった。時間はない。普段頼りっぱなしの相棒は依然として眠ったまま。
 どうしたらいいのか。どうしようもないじゃないか。進展性のない考えばかりがぐるぐると巡る。
 ――その時。

「…………ふふふ、うふふふふふふ。あははははははははっ!」

 聞こえてきた第三者の笑い声に、乙瓜は振り向く。
 振り向いた先、屋上の給水塔の上。やや赤みがかった朧月の光に照らされて、一つの影が立っていた。
「何モンだ……」
 乙瓜は自然と魔鬼を背に庇うように移動し、よろよろと立ち上がって問いただす。唯一の武装である護符はもうない。唯一の相棒も今は戦えない。丸腰。筋力パワー体力スタミナ走力スピードもまるでない、ただの無力な女子中学生として、しかし乙瓜は立ち上がった。
 そんな乙瓜を馬鹿にするかのように、給水塔の上の者はケラケラと笑い続ける。高い女の声だ。乙瓜は目を凝らす。
「やぁだ、そんなに怖い顔しないでよ。だってアタシおかしくっておかしくって。……ふふふ」
 給水塔の女と扉の前の乙瓜の距離は言わずもがなかなり離れている。しかし、その状況と暗がりで乙瓜の視線と表情を読み取ったそれは首を傾げるとぴょんとジャンプし、給水塔の上から乙瓜たちの前へと降り立った。
 至近距離に来られたことで、乙瓜の瞳はその女の姿をはっきりと捉えていた。
 女はまるでおとぎの国から出てきたような、ハロウィンパーティの仮装みたいな出で立ちで。変梃な意匠の服を着て、底が厚くて幅の細い奇妙な靴を履いている。右目は眼帯で覆われ、金色に輝く左目はまるで猫の様。しかしどこか生物らしさを感じられないその目はよく見ると義眼で、中心に三日月形の彫り物がされている。

「その女の子、しばらく目覚めないよ。魔力の連続使用の反動で、この先二、三時間は揺すっても叩いても起きないんじゃないかなあ?」
 義眼の女は作り物の目をきらりと光らせながら言った。こちらの様子はきちんと見えているようだった。乙瓜はこの女が人間ではないと悟った。そもそも、怪事が起こっているこんな夜中に、まともで真っ当な人間が給水塔の上なんかに居るはずがないのだ。そしてその彼女が何者であるのかも、既に見当は付いていた。
「……【三日月】だな」
「ええ! そうよ、大正解」
 女は乙瓜の言葉ににっこり笑い、ぺこりとお辞儀をした。
「アタシは月喰の影【三日月】の関東地区総括部隊副長、アンナ・マリー・神楽月かぐらづき人形師ドール・メーカー人形使いパペット・オペレーターよ、よろしくね」
 バレリーナのようにくるりと華麗に回って見せる【三日月】のアンナ。彼女が動く度にカシャカシャと、絡繰からくり人形が動くような音がする。きっと彼女も人形なのだろう。乙瓜は確信した。
「人形使いだと……? 扉の向こうの人形たちもお前の差し金なのか」
「そうそう。カワイイでしょ? ちょっとおツムは悪いけど、ここの人形たちったら聞き分けが良くて本当に助かるわ~」
 声を張り上げる乙瓜に臆することなく、人形師アンナは陶酔とうすいするように語る。
「答えろ。……何故学校妖怪たちの私物を奪った? そして何故今夜は俺たちを襲う……!」
 乙瓜はポケットからカッターナイフを取り出した。美術の時間に配られたごく小さくて短いものだ。偶々ポケットの中に入っていた、現在乙瓜が持てる唯一の武器らしいものだった。
 それを見て、アンナは再びケラケラと笑いだす。
「やだやだ、もうっ、やめなよ恥ずかしい。そんなに刃出したら怪我するよ~? だいたい、そんなんでアタシを倒せるわけないじゃない。はいはい仕舞った仕舞った」
「……うるせえ。そんなんやってみないとわかんないだろ」
 カッターを持つ手は震えている。しかし、一か八か。やってみないとわからない。だって乙瓜には、たった一度だけではあるが、成功した経験があるのだから。
 春先の草萼火遠との遭遇で。無我夢中のことではあるが、乙瓜は確かにやれた・・・のである。
(わかってる。あんなのマグレかもしれない。――でも、一度はやれたんだ。やるしか……無いじゃないか!)
 背後に眠り続ける魔鬼を庇う以上、乙瓜の取るべき行動は一つしかなかった。

 戦わなくては。どんな不利な状況だろうと。

 決意を決めたように目つきを鋭くする乙瓜を見て、アンナは前髪をさらりと掻き上げた。ハニーゴールドの髪が月明かりにきらりと光る。
「勇ましいこと。そして愚かしいこと。……成程、確かに君は素敵な女の子・・・・・・だね。マガツキ様が目を付けるのもわかる気がする。ちょっと妬いちゃうわ」
「マガツキ様……?」
 乙瓜は唐突に現れた知らない単語に疑問符を浮かべた。その言葉を受けて、アンナはクスリと笑いを零した。
「まあ、そうね。君はまだしらないもの。我々の【月】の頂点に在らせられるマガツキ様の事を」
 言いながら天上の月に向かって右手を伸ばす。丁度途切れた薄雲からくっきりと姿を現した月は、上弦の半月からやや曲がって欠けた歪な形をしていた。
「マガツキ様は我々に在るべき世界の姿を優しく指示してくれるお方。理想を実現するために仲間を集めているの」
「こないだの変な奴はそのスカウトマンってわけかよ。……あいつも正義だとかなんとか言ってたけど、お前の話聞いてるとまるで新興宗教だな。お生憎様、もう勧誘はお断りだ!」
 うっとりとマガツキ様とやらの素晴らしさを語るアンナを、乙瓜はケッと一蹴した。
 勧誘というものは往々にして必死になればなるほど怪しいものだ。
「そっか、残念だ」
 言葉に反して、アンナはさして残念がる様子もなく、真顔で乙瓜を見つめた。
「まあいい。アタシがここに来た理由は、君を【三日月】に誘うためではない」
「……何?」
「アタシは先日君を勧誘しに行った袰月を回収しにきたの。最後に通信が途絶えてから探知した結果、奴はこの学校の妖怪たちの私物のいずれかに封じられていることが分かった。……持っているんでしょう? 【灯火】の下請け。それとも知らないとでも言うのかな?」
「鏡の奴の行く先だと……? そんなの俺が知るもんか。それに【灯火】って何だ、兎に角そんなもの知らないからな!」
 乙瓜はカッターの短い持ち手を強く握りしめた。アンナが溜息を漏らす。
「はぁ、全く。本当に仕事の出来ないゴミだったのかあの子は。いい? 【灯火】とは、我々【月】や魔女たちの【薔薇】を蛇みたいに睨んで監視している忌々しい連中のこと。人もヒトデナシも平等に公平に裁き、世界のバランサー気取りでいる愚か者の集い。……はーあ、お使いも果たせない役立たずの袰月ちゃんは本当にどこいっちゃったのかなぁ。早く会いたいなあ……」
 後半は独り言のようにブツブツと呟きながら、アンナはコンクリートの地面を蹴った。奇妙な靴底が後方に向かってスライドし、ずれた靴底の中から二本の棒が飛び出す。
 棒は意思を持つかのように飛び出すと、アンナの右手に収まった。彼女の手の中で十字にクロスする棒は、どう見てもマリオネットの操り棒そのものだった。
 アンナはもう片方の靴からも同じ棒を出し、両手に操り棒を構える。

「君が何かを隠しているのか、それとも何も知らないのか。そんなのアタシにわからないし、結局アタシはアタシの仕事をするだけなのよね」
 操り棒からきらりと光る細い糸が伸びる。否、既に伸びている。
 乙瓜が気付いたときにはもう遅い。背にした鉄の扉が、まるで丸太でも打ち付けられたかのような轟音を立てる。
「拙い……! 魔――」
 扉のすぐ前では魔鬼が眠っている。拙い。乙瓜はアンナに背を向ける。

「遅いよ。――『殺れ』」

 背後から宣告。扉が開いてしまう。
 魔鬼を運ぶ時間はない。今度こそ終わってしまう……!
 どうせやられるなら自分が先に。乙瓜は動かない魔鬼の上に覆いかぶさるようにしてその時を待った。

 …………………………。
 ………………………………………………………………。
 しんと静まり返っている。
 ドアを破る音はいつまで経っても聞こえてこない。
「……えっ?」
 予想外の展開に、乙瓜は小さく疑問の声を漏らす。
 予想外、そう、予想外。それは人形師アンナもまた同じだった。
「どうした……何故応答しない!」
 ガチャガチャと操り棒を弄るが、扉の向こう側は依然沈黙を保っている。人形たちが攻め入ってくる気配はまるでない。
(一体何が起こってるんだ……?)
 乙瓜は不気味に沈黙した扉を見上げる。その瞬間、扉の取っ手がガチャリ動いた。ギィと軋んだ音を立てて扉が開く。開いていく。
 だがしかし、その向こうから現れるのは人形の群れではなく。

 青い学年カラーの上履き。それを履く、黒いハイソックスの足から覗く人間の肌。

「ちわーっす。お取込み中のところ失礼しますよーっと」
 学生の武装、制服とジャージを着た突然の来訪者は、まるで宅配便でも届けに来たように軽い調子で。前髪をクリップで留めた短い髪を夜風に揺らしながら、当たり前のようにこの修羅場へと介入してきた。
 その声とその姿に、乙瓜は驚愕を隠せない。
 口をあんぐりと開けて、彼女・・の姿を何度も確認してしまう。
(そんなまさか? そんなっ……何で?!)

「……はァ? 誰なの君は。アタシの妖界に取り込んだ校舎に侵入してくるなんて、君は人かな、それとも人でない人かな? アタシの人形たちをどうしたのかな?」
 アンナが不機嫌な口調で問う。
「『アタシの人形?』ハッ! 借り物のくせによくもそんな事言えたもんでねーの! 先輩たちの作品をいーように使いやがって。でも残念でした! 操り人形の糸は、あたしがぜーんぶ斬っちゃったからね!」
 相対する彼女は不敵に笑うと、乙瓜と魔鬼より一歩前に出る。足を開いて腕組みして、堂々と屋上の上に立つ。
「アタシの操り糸を切った……? そんなことが出来るわけ? そんなことが可能なわけ?」
「出来る! 出来るから出来ると言っている!」

 動揺するアンナにビシッと指を向けて、彼女は言った。


「あたしは遊嬉。戮飢遊嬉! さぁはじめましょーか、スーパー遊嬉ちゃんタイム!!」

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