怪事戯話
第八怪・花の玉座③

 闇子さんの宣誓直後、乙瓜は指に挟んだ札たちを投射し、命じる。

「"夜風よかぜ"!」
 無作為無秩序に投げ放たれた札たちはその短い言葉の直後ひとりでに隊列を作り、闇子さん目がけて飛んでいく。

「ふん」
 得物を追う鷹のような速さで向かってくるそれらを易々と回避し、闇子さんはアクセサリーの鎖を取り外す。
「この平成のご時世に札術師? 物珍しさは確かにあるけど、そんなノーコンでよく生き残ってこれたもんだ。あたしにゃ掠りもしてないよ!」
 鎖をカウボーイのようにヒュンヒュンと回し、勢いづいたところで鞭のように振り下ろす。
 床に力強く打ちつけられた鎖は、闇子さんがアクセサリーとして纏っていた時のそれよりはるかに長くなっており、形状も先程までのようなウォレットチェーンではなく、柵や遊具に使われるようながっしりとした長鎖環ロングリングチェーンに変化している。
 闇子さんが長く伸びた鎖を両手で持ちあげる。ガシャンと重たい音が鳴る。鉄か、それともまた別の金属でできているのかはわからないが、当たったら痛いどころでは済まない音だ。
 そんな物騒なものを両手の間でピンと張らせながら、闇子さんはにやりと笑う。
「それお返しだ、喰らいな!」
 いとも軽々しく投げられた鎖の先は空中を蛇行しながら乙瓜と魔鬼二人の方向目がけて襲い掛かる。重力や空気抵抗などまるで感じさせずに宙を走る姿はまるで蛇のよう。しかしその蛇の毒牙は余りにも重く痛く強烈な一撃!
 だが、二人は動かない。恐怖か、否違う。表情は余裕そのものだ。かといって今から何かを行う様子には見えない。あたかも既に策は打ってあると言わんばかりに――。
「――まさかッ!」
 闇子さんが気付いたときにはもう遅い。投げられた蛇は二人の手前で強固な壁に阻まれたかのように進行を止め、力を失ったただの鎖として床に落ちるのみ。

「訂正してもらおうか。だれがノーコンだって?」
 にやりと口角を上げ、乙瓜は言う。
 そして鎖の侵攻が阻まれた彼女らの前方には無数の札の列。
「結界だと……!? 最初の一撃は攻撃用じゃなかったというのかッ!?」
「その通り。俺の先制夜風は重符設置結界! この場全体に留まって札数尽きるまで防御する壁だ!」
「それを攻撃だと勘違いしたあんたはまんまと攻撃を仕掛けてきたってわけ。悪いけど全札潰すまでそっちの攻撃は通らないよ。オーケーわかった? アンダスタン?」
 したり顔の乙瓜と魔鬼にやみ子さんは地団駄を踏んだ。魔鬼はチッチと指を振ると、すかさず定規を持った利き腕を前に伸ばす。
「お返しのお返しだ! 氷獄の呼び声コキュートス・コーリング!」
 魔術宣言、直後に魔鬼の足元からにょきと生じた氷柱がミサイルのように闇子さん目がけて飛んでいく!
「ちくしょうッッ! 卑怯な真似しやがって!!」
 闇子さんは咆哮しつつも両手から黒いエネルギー体を射出し、ミサイル全てを着弾前に破壊してみせた。
 魔法の氷はパラパラと砕け散り床に散らばると、初めからそこに何もなかったかのように霧散した。

「あらあらヤミちゃんすごいじゃない」
 闇子さんのやや後方で、まだこの場から去っていなかった花子さんがポンポンと手を叩きながら笑う。
「ッざけんなよ花子! 壁貼って安全な場所から攻撃とか卑怯だろ卑怯! 近頃の人間は本当に汚いな!」
「やーね、あれは戦法っていうのよヤミちゃん。ヤミちゃんだってズルいこといっぱいするじゃないの」
「あたしのはズルくねえ! 戦略的って言うんだよ!」

 怒り心頭の闇子さんに対して花子さんは愉快そうな態度を崩さない。元はと言うと自分の"花子さん"としての称号をかけた戦いであるのに、まるで祝祭日の面白い出し物を見物するかのように呑気なものだ。
 その様子を結界の後ろから見ながら乙瓜は思った。というか思い出した。――花子さんは火遠と仲が良かったという事実を。
(煽ってるのか……煽ってるんだろうな……)
 どこかで見たような光景に既視感を感じながら、乙瓜は闇子さんの次の出方に警戒した。怒りはミスを引き出しやすいのと同時に、相手のとっておきの奥の手をも引き出しやすくしてしまう事を、乙瓜はよくわかっていた。
 魔鬼はと言うと、氷が破られるまでは想定内の出来事として、初撃の鎖と咄嗟に出したエネルギー弾から、闇子さんは遠距離攻撃タイプではないかと分析していた。
(いままで闇子さんは自分の持ち場を一歩も移動していない……。今のところの攻撃手段は鎖とエネルギー弾の二つ、結界を厄介がっていたから、この後はエネルギー弾で結界札を破壊しつつ鎖で仕掛けてくる可能性が高い。……だけど闇子さんは花子さんとやりあった妖怪、まだまだ隠し玉があると見た方が妥当か……そして何より)
 魔鬼は闇子さんを煽り続ける花子さんに一瞬視線を移す。

『あなたたち、今より強くなりたいと思わない?』
 西女子トイレで花子さんが言った言葉が蘇る。
(……烏貝七瓜は多彩な技を使ってきた。そういう相手だったことは花子さんにも報告済み。その上で敢えて戦わせる相手が、単純な攻撃型である筈がない……!)
 おもむろにスカートのポケットを探る。その中には四つのビー玉が入っている。魔鬼は闇子さんが花子さんに気を取られているうちに、そっとそれを床に転がした。
 特に策があったわけではない。ビー玉だってたまたま校内に落ちていたものを拾っただけで、普段から持ち歩いているわけではない。ただ、もし、もしも。もしも闇子さんが、自分の想像した通りの技・・・・・・・・を使えたとするなら。この思わぬ拾い物が、何かの役に立つのではないか? そう思って転がしたのである。
 魔鬼の手を離れたビー玉は、静かな音を立ててコロコロと廊下を転がり、丁度四手に別れて止まった。
 それと同時、すっかり憤慨モードの闇子さんが二人に向き直る。

「どいつもこいつも馬鹿にしやがってッ!!!」
 両手を広げて前方に突出し、闇子は新たな攻撃を宣言する。
落ちるもぐら穴の迷宮モール・ホール・ラビリンス!! 落ちろおぉオおッ!!」
 闇子さんが叫んだ瞬間、空間がぐらりと揺れ、床に壁に天井に、複数の「穴」が生じる。無論物理的に穴が開いているわけではない。穴のように見える黒い円形の何かが、突如として場に広がり始めたのだ。
「闇ッ!?」
「違う、これは――空間の裂け目!!」
 魔鬼がその正体に気付くと同時、乙瓜の足元にも「穴」が現れる。
「しまッ――!」
 しまった、と言葉にするよりも早く、乙瓜の身体はすっぽりと「穴」の中に落ちて行った。
「乙瓜ッ!」
 咄嗟に手を伸ばすも間に合わず、魔鬼の手は宙を掴んだ。闇子さんは高嗤う。
「あっはっはっはっはっはッ! 掛かった掛かった!! みんな落ちろ、落ちて惑え!」

「んの――ッ、乙瓜はどこへ……!」
 思わず激情しそうになるのを抑え、辺りをキョロキョロと見回す魔鬼。その頭に、コンと堅い何かが当たる。「痛っ」と短く呟いて頭を押さえつつ、魔鬼は自分に当たった「何か」を見る。
「これは……!」
 床に転がるぶつかったもの。それが何なのか、目視して識った瞬間、魔鬼の目が見開いた。

 それは、自分が先程床に転がしたはずのビー玉の一つだった。間違いなく床にあった筈の、金魚色のビー玉だったのだ。

 瞬間、魔鬼がビー玉を転がした時の仮説が確信に変わる。
(――床の「穴」に落ちたビー玉が、天井の「穴」にワープした……!)
 魔鬼はその確信を確かにするため、頭に当たったビー玉を拾い、乙瓜の消えた「穴」へと投げる。硝子でできた小さな玉は、床面にぽっかりと口を開ける闇に音も無く吸い込まれていく。

 1秒、2秒、3秒の間。その後、カンッと堅い音。
 ビー玉が飛び出してきたのは、闇子さんの二歩ほど後ろの教室側の壁の穴。
「そこかッ!」
 魔鬼が駆けだす。同時に闇子さんがチェーンを振り上げる。
「やめろ闇子! その「穴」には手出しさせない! 暗黒ダークネス・――」
「もぐら穴の意味に気付いたか! でもあたしのもぐらたたきの邪魔はさせないよ! あんたも落ちな、落ちるもぐら穴のモール・ホール・――」
 闇子さんに向かって走る魔鬼の目の前の空間、壁でも床でもなんでもないところに「穴」が展開する。
 ――しまった……! 思うも急に止まることのできない魔鬼は、術の宣言をしつつ自ら「穴」目がけて突き進んでいく。
「勝った! もぐら穴に飲まれたら最後、あんたらはもぐら叩きのもぐらになるしかないんだよォ! 二人揃ってもぐらちゃんになりな!!!」
 闇子さんは勝利を確信した。魔鬼が飲み込まれるのは確実として、後は後ろの穴が吐き出す乙瓜を一発たたいてもう一度穴の中に入れてやればいい。あとはそれこそ「もぐらたたきゲーム」の作業を繰り返し、二人がへばるまで叩き続ければいい。これで自分の勝ちだ、負ける要素が一つもない! 闇子さんは舞い上がっていた……だからか。

 そこからの事態は想定外にも程があった。

暗黒爆裂派ダークネス・ブラストォぉおぉお!!!」
 宣言を止められなかった魔鬼の魔法、「穴」の中に飲み込んでさえしまえばどうせ決まることも当たることも無いだろうと思って無視していたそれが、宣言完了とともに炸裂音を立てる。
 すっかり穴が吐き出す乙瓜を打つつもりでいた闇子さんは、驚き振り返る。そこには信じられない光景が広がっていた。

 黒梅魔鬼は、「穴」に飲まれてなどいなかった。
 闇子さんに当てるつもりでいた爆発魔法の射出口を右と左、二つの定規に分けて廊下を撃ち、その反動で天井に逃れたのだ。更に両定規を後ろに向けて追撃の爆発魔法を放ち、前進するエネルギーに変えたのである。
 その結果、闇子さんが見たものは。

(うそ、でしょう……人間が空を飛んでる……!?)

 廊下の宙を、全ての「穴」回避して飛ぶ魔鬼の姿だった。

「うおぉぉおおおおおおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!」
 到底中学生女子が上げるとは思えない雄叫びを上げながら文字通り飛びかかってくる魔鬼に、闇子さんは一瞬全ての思考を投げだした。全ての注意を解除して、全くの後ろを振り返った不自然な体制のまま固まってしまった。そしてその一瞬が、闇子さんにとって命とりになった。

「前がガラ空きだぞ。闇子さん」
「!!」
 闇子さんが前方に向き直るも既に遅い。そこにはすっかり「穴」から脱出し、札を構える乙瓜の姿があったからだ。
「そんな、一人で無事に脱出できるなんてこと――」
「チェックメイト」
 動揺する闇子さんに対して乙瓜は両手両腕の札を解放し、その全てを惜しみなく撃ち放った。

「護符乱射・流星ながれぼし!」
 次の瞬間、一学期の頃より格段に増量された札たちが容赦なく闇子さんを撃ち抜く。至近距離から避けることもできずまともにくらった彼女は、聖なる護符の力でもってかなりの力を吸い取られていく。妖気や邪気に反発する札たちはバチバチと火花のように輝いて彼女の体力を削り、一枚辺りの力を吸い取れる最大値とダメージを与えられる最大値に達した札からひらひらと床に落ちていった。
 大量の護符によってほとんどの力を吸い取られた闇子さんは、しかしまだ地に膝を付けることなく。
「……あたしとしたことが……でも、まだ……ッ! 落ちるもぐら穴の――」
 気丈な言葉を吐きながら、しかしまだ体制を立て直して攻撃を仕掛けようとする。だが。
「いや……まだもなんも、言ったろ。チェックメイトって」
 乙瓜はやや呆れた様子で闇子さんの背後を指さす。
 その瞬間、闇子さんは、気付いてしまった。思い出したというべきか。だから、もう、振り返ることはしなかった。

「詰んだ……」

 諦めの言葉はたった一言。それから魔鬼のとび蹴りが闇子さんの頭を直撃するまで、2秒とかからなかった。

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