怪事戯話
第六怪・一夜怪談③

「いんや、足つかれたナ」
 部屋備え付けの押入れに班員分の荷物を押し込みながら、地禍は言った。
「わ、絶対明日筋肉痛になるわ……」
「わたしもだァ」
 同調しつつも、本当にヘトヘトな乙瓜と違い、かなりピンピンした様子で地禍は笑った。

 時刻はもうすぐ五時になろうという頃だろうか。
 学校を出て博物館見学、広場での昼食を経て、青年館にやっと着いたと思ったらオリエンテーリングで、慣れぬ町を地図片手に東奔西走。
 乙瓜たちが割り当てられた部屋に落ち着けたのは、ゆうに四時半を過ぎた頃だった。
 ここは青年館二階にある大部屋。といっても、一階で学年男子全員が詰められてしまった超大部屋にくらべたらなんてことない、端から端まで布団をつめてなんとか十数人寝れるかな、というくらいの部屋だ。
 一班辺り六、七人の男女混合グループ四つから抽出した女子十四人がぎゅぎゅっと、一組二組が半々になるように割り当てられており、良く知った顔から馴染みのない顔まで見事に入り乱れている。

 ――というような部屋に当てられてしまい、あんまり知らない人ばっかりだと嫌だなあと思っていた乙瓜だったが。

「ページワン。悪いね、次上がらせてもらうよ」
 得意気に宣言し、最後の手札をひらつかせる杏虎、堂々と見せつけられるスペードのキング。頭を抱える他のプレイヤーたち。
 疲労困憊の乙瓜と同室。白薙杏虎主催の「ページワン」は、いよいよ大詰めを迎えていた。
 部屋の中央には杏虎含む六人のプレイヤーが車座になって座り、更にその外側から他の同室メンバーが見学している。
 トランプゲーム・ページワンは、初めに割り振られた手札(人数に応じて四枚~十枚)の中から最初の親が提示したカード(台札)と同じスートのカードを時計回りに提示していき、一周して全員が出し終えたところで一番数字の大きい者が次の台札を提示、そこからまた繰り返し、いち早く手札がなくなった者が勝ちというゲームだ。
 勿論、それだけではない。最初に手札として配られたカード以外は山札となるのだが、台札と同じスートが手札に無い場合はそのスートのカードが出るまで山札を引かなければならないので、勝利が遠ざかる。また、最後から二枚目のカードを出すときは必ず「ページワン」と宣言しなければならない。しなかった場合ペナルティとして山札から五枚のカードを引かされる。最後のカードを出すときに「ストップ」と宣言しなかった場合も同様(※ローカルルールによっては「ストップ」宣言がなかったりする)。
 また、ジョーカーは台札のスートに関係なく使える最強カードだが、最後の一枚がジョーカーであってはならない。というのが大体のルールだ。
 今、杏虎が出したスペードのキングはジョーカーを除けば最強。更に二枚のジョーカーが出てしまっているため、この周での杏虎の勝ちは確定。次周の親は杏虎。何のカードを出そうが、その時点で彼女の勝ちである。
「うええええっ!? そんなっ、杏虎ちゃん強すぎぃ!」
 杏虎の左隣、自分に残された三枚の手札を見て絶望的な悲鳴を上げるのは同じく一組、そして毎度おなじみ美術部の小鳥眞虚である。彼女もまたこの部屋に割り当てられた一人で、杏虎とは同じ班であった。
「はいはーい、出さないと進まないよー」
 勝ちを確信して舞いあがている杏虎は、指をクルクルさせながら眞虚を煽った。
 半泣きの眞虚はしぶしぶスペードのエースを提示。どうあがいても勝てないことを悟ったのだろう、使いどころを見失っていた最弱のカードの提示で、残り手札は二枚となった。
 眞虚の次順、この周最後のプレイヤーは二組の斉藤という子だ。珍名の多い古霊町の中では名前が普通すぎて逆に目立たないという悲劇を背負った彼女は、だからといって杏虎の暴走を止められるわけもなく。無言で山札を引き、スペードのジャックをばちぃんと投げやりに提示した。杏虎はにんまりと笑う。ご満悦の様だ。
 誰も手も足も出せないまま次の周。親の彼女は勝ち誇った顔のまま最後のカードを提示す――。

「ふぃー、ただいまぁ。この館トイレの場所わかんなすぎ」

 ぱたん。最後のカードがたたみの上に置かれる瞬間、ドアを開けて入ってきたのは魔鬼だった。
 一瞬プレイヤーも、その見物人も、部屋の隅で疲れた足をさすっていた乙瓜のような輩も、とにかく室内の全員が顔を上げる。
「え、ちょっと何、一気にみられるとびっくりするんだけど」
 あまりに一斉に見られたので挙動不審になる魔鬼。
 まあ、室内の大半が杏虎たちのゲームを見守っていて、しかも丁度盛り上がっているところだったので仕方ないといえば仕方ないのだが、先程まで勝手のわからない館で半ば迷子になりながらトイレを探し、次いで戻る部屋を探して更に迷子になっていた魔鬼には何がなにやらわからない。
 頭の上に大量のクエスチョンマークを浮かべつつ魔鬼は乙瓜の隣の辺りにちょこんと座った。ルームメイト共が一斉に魔鬼を見たのは本当に一瞬の事で、今はもう誰も目もくれていない。何人かは「おかえり」と言っただろうが、付き合いの浅い他クラス且つ他小学出身の娘はほぼスルーだった。
「わけがわからない」
 物凄い真顔で魔鬼は言った。
「いいところだったんだよ……」
 グロッキーもいいところで、打ち上げられた海豹あざらしのように伸び転がっている乙瓜は投げやりに返した。


 一方、再開したゲームの方は。
「はい、じゃああたしの勝ちね」
 杏虎は自らの左指に抑えられ、確かに示してあるクラブの3を見てにやと笑った。他のメンバーは大きなため息をつき、自分たちの手札を集計しはじめる。ページワンでは、勝者は敗者の手札合計分の得点を得られることになっているからだ。
 しかし、その中で一人、手札を数えずにカードを場に出す者がいた。
「ページワン」
 そう言いながらクラブのジャックを提示するのは眞虚。他のプレイヤー達の場を仕切りなおそうとする手が止まる。

「よっし」
 乙瓜が小さく感嘆の声を漏らした。ガッツポーズしそうな声音だったが、相変わらず体制は海豹のままだった。
「どゆこと?」
 隣の魔鬼はそもそもゲームを最初から見ていないのでよくわからない風に聞く。しかし答えは眞虚が先に言っていた。

「だって杏虎ちゃん、『ストップ』って言ってない」
 勝利者の笑みから一転、しまったという顔になる杏虎。ハッとするプレイヤー達、「おぉっ!?」と盛り上がる見物者ギャラリー。魔鬼の登場で有耶無耶うやむやになっていたが、勝利をあきらめきれない眞虚は耳をそばだてて確認していた。現在手札二枚で実質二位の位置にいる自分が勝てる唯一のチャンス、ストップ宣言の言い忘れを確認していた!
「私ちゃぁんと聞いてたよ? だって最後のチャンスだもん。言ってないよ杏虎ちゃん、だからゲームは終わらない。さぁさ杏虎ちゃん、言い忘れのペナルティは五枚引くんだよ? さあ!」
 負けを覚悟した弱者の顔から勝利を確信した強者の顔へ。眞虚は自分がそうされたように、指をくるくるさせながら杏虎を急かした。
「やるじゃん……」
 杏虎は口元こそ笑っていたがこめかみをピクピクさせているところを見ると相当悔しかったと見えるが、しかし五枚の手札を引く。

「これは眞虚ちゃん勝てるな」
 そう言う魔鬼がざっと見た感じでは、眞虚以外のプレイヤーの手札は一番少ないもので四枚、最多で六枚。すぐに上がれそうな気配はない。
「ていうか、もう勝った」
 自分がやっているわけではないのにドヤ顔の海豹乙瓜は知っていた。クラブのクイーン以上は既に登場済みであり、この周で眞虚のジャックに勝つことは不可能であることを。
 そして魔鬼も乙瓜も知っていた。このゲームにおいて誰かが宣言を忘れた後はみんな同じようなミスをしないように警戒するということを。ましてや、本気で勝利を狙う眞虚が杏虎と同じてつを踏むとは到底思えない。

 グルグルとターンは回る。手札が減る者も増える者もいたが、眞虚を上回るカードを出せる者は、当然と言っては当然だが存在しなかった。そして眞虚が親の最後の周。
「ストップ」
 明瞭はっきりと宣言し、眞虚はダイヤの2を出した。
「私の勝ちだね」
 カードから自由になった手をぱちんと合わせ、にっこりと笑う彼女に、プレイヤーたちはがっくりと肩を落とし、見物人たちは称賛の拍手を送った。
 そんな中で眞虚は、魔鬼の方をちらりと見て悪戯っ子のように微笑むと、ぶいっとピースサインを送った。

 その後、ページワン勝負は更に白熱し、他の部屋の女子たちが食事の時間を教えに来るまで続いた。


 班ごとに夕食を終えると、自ずと入浴の時間になる。
「みんなはだかン坊だけんど恥ずかしいな」などと乙瓜に言いながら服を脱ぐ地禍は、普段は着ぶくれしているのか、意外とスタイルが良かった。
(うわぁみんな……細っせぇ)
 思いながら乙瓜がチラチラ見ていると、隣の地禍は気付いた様子でこう言った。
「乙瓜ちゃんだっておっぱいでかくてうらやましぃよ?」
「ふぇっ!? ……いや、べつに、そんなことないし」
「いーよいーよ、私男子じゃないから馬鹿にしてるわけじゃァないし」
 ケラケラ笑いながらパンパンと肩を叩いてくる地禍に、乙瓜はこの人いいおばちゃんになるな……と思っていた。そんなとき、「ところでサ」と地禍が声を小さくした。
「あスこのあの、首刈くびかりさん。背もたかくておっぱいでかくていいな、私もあーた風になりてェナ」
「……ああ……嬉美うれみか」
 乙瓜は少しだけ振り向くとすぐに視線を元に戻した。
「同じ小学校だったけどあの人も一昨年くらいまではチビっこかったから地禍ちゃんもたぶん大丈夫だと思う」
「おお! 私も頑張ろ」
 頑張るって何をだ。乙瓜は心中でツッコミつつ、タオルとボディーソープ、そして花子さんに教えてもらったシャンプーを持って浴場に向かった。

「ところでその傷どうしたン? 痛そ」

「ああこれ、昔ちょっとね――」

 そう話しながら白い湯気に包まれた浴場に消えてゆく二人を、目で追っている者がいた。
 魔鬼だった。
 やや遅れてやってきた魔鬼は、偶然その会話を耳にして乙瓜をちらりと振り返った。

 乙瓜の背中には、――大きな傷があった。

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