怪事戯話
第四怪・放課後の狩猟者⑤

 火遠の声を皮切りに、しゅるしゅると異怨の腕が伸びる。硬質な見た目にそぐわず柔らかに滑らかに、それ自体が独立した別個の生き物であるように動くそれは、大蛇のように乙瓜目がけて突進する!
 乙瓜はポケットから五、六枚の札を取り出すと縦一文字に展開し、右手の下駄箱の陰に逃れる。
 その間、火遠は上空に飛ぶと異怨を越えてその背後、且つ魔鬼の真横へ移動し、棚上の彼女に手を差し伸べる。
「さて魔鬼。降りられるかい?」
「ま、待ってろし! こ、こんくらい降りられるし」
 虚勢を張る魔鬼だが、当初走った勢い任せに飛び降りることを想定していたため今一つ動きがぎこちない。まるで高いところから降りられなくなって困惑する子猫のようだ。
 ずっとここにいても埒が明かないので、結局火遠の手を借りて降りることになった。
「こんな奴の手を借りるとか……」
「妙なところに逃げるからいけないのさ」
 火遠はからからと笑う。
「……ところで乙瓜は。乙瓜は大丈夫なのか?」
「まあ、水祢がついてるし大丈夫だろうね」
 気付けば、魔鬼が居た隣の下駄箱の上からは水祢が消えていた。同じく、先程まですぐ近くにいた異怨の姿もない。元より興味関心の対象外だった魔鬼の事など本当にどうでもいいのだろう。火遠のこともまた同様に。
「お前の姉なんなんだよ、アレぜってえあたまおかしいぞ」
「うん、知ってる」
「ならちゃんと監視しとかないと駄目じゃないか! 一応家族なんだろ、危ないやつ一人にしとくな」
「あーそれ。前に乙瓜に言ったけど、俺たち基本的に自分以外はどうでもいいから仕方ない。その昔は閉じ込めといたんだけど、きょうだいの一人がうっかり解放しちまったから大姉上さまは晴れて自由の身ってわけさ、全く」
 火遠は何か嫌なことでも思い出したように溜息をついた。
「……それ。さっきも思ったけどまだきょうだいがいるような口ぶりなんなの。嫌な予感しかしないんだけど」
「あと一人だけさ。とてもお優しい方がね」
 訝しむような目でじとりと見上げる魔鬼に、火遠はあっさりと白状した。
「まだいるのかよ!」
「いたっていいじゃあないか。何か不都合でもあるかい? まあその話は追々。今はあの厄介な大姉をどうするか考えようじゃないか」
 火遠は無理矢理話を中断して、ぽつりと残されたてけてけに視線を落とした。
 魔鬼はその時初めててけてけが取り残されているのに気付いて仰天し、尻もちをつく。
「ん? どうかしたかい?」
 ひょいっと軽々しくてけてけを持ち上げ、火遠は魔鬼に振り返った。
「ど、どうするってそれ……それ……!」
 てけてけを指さす魔鬼は、驚いたからなのかなかなか言葉が出てこない。
「あ、あの白いのに飼われてたとかいうけど!? てけてけは本来人を襲う妖怪だぞ……どうするんだッ!?」
 彼女がやっと絞り出した言葉を聞き、火遠は不思議そうに首をかしげた。彼の腕の中のてけてけは何を考えているのかわからないポーカーフェイスで火遠と魔鬼に交互に視線をやっている。
 そんなてけてけの頭をよしよしと撫でながら火遠は言った。
「花子さんの話はちゃんと聞いておけよな。この北中ここの怪談の中では一番大人しい部類。ほとんど人前に姿を現さないし仲間想いのいい子なんだ。捕えられて仲間を襲われて濡れ衣を着せられている今の状況を決して快く思っていないさ。この顔見てわからないもんかね」

(いやわかんねえよ!)
 魔鬼は心の中で激しくツッコミを入れた。空気を読んで口には出さないでおいた。
「…………で。それでどうやってあのバケモンをたおすと」
「たおす? 斃さないさ」
 火遠はきょとんとして言った。
大姉あれを物理的に倒すなんて不可能さ、そういう風にできているからね」
「ならどうすんだよ、収拾つかな――……!?」
 反論する魔鬼の唇を、火遠の人差し指が塞ぐ。

「止めるのさ。きわめて理性的かつ平和的な交渉で」



 一方。

 烏貝乙瓜は待っていた。
 異怨の攻撃から逃れる為に特定の目的地も持たず。攻撃をかいくぐりながら廊下を右へ左へと逃げながらも、ただひたすらに待っていた。
(火遠の奴、何か策がある風だった。何をするつもりか知らねぇが、出来るだけ早くしてくれよ……!)
 などと考え事をしている乙瓜の右頬を、異怨の腕が掠める。ほんの少しだが浅く皮膚を切り裂かれ、乙瓜は僅かに眉間にしわを寄せる。
 直後大量の紙の鳥が舞い、引き返す腕から防御するように乙瓜を囲む。
「ボサッとしない……! しにたいの?」
 水祢だ。
 ひねくれた態度だが、ここまできちっと守ってくれる。始めは敵意を持って襲い掛かってきた存在に守られることになるなんてなあと、乙瓜は感慨深く思った。
 水祢のの残りは異怨の前まで飛んでいき、その周りをぐるぐると旋回する。

「むー」
 取り囲まれた異怨は立ち止まり、振り払うように両手を動かす。しかし生命を持たない紙の鳥たちは、落とされても破られても舞い上がってぐるぐると飛び続ける。
(封じた……!)
 乙瓜は振り返り、軽く拳を握りしめた。
「安心するな、札を撃って! 全部、全部撃ちこんで!」
 すかさず水祢が檄を飛ばす。
 乙瓜はハッとしたようにポケットから残りの札を全て取り出した。
 残りの札は四十八枚。それらを六枚一組に重ねて両手の指と指の間八つの又に挟み込む。そして自らを抱くように両腕を交差させ、宣言とともに射出する。
「四十八枚重符封縛結界! 夜風よかぜ!」
 撃ち出された札は直線に曲線に、壁や天井にあたったものは勢いをがれることなく跳ね返り。この世のあらゆる物理法則を無視して異怨目がけて飛んでいく!
 札の接近とともに紙の鳥たちは一斉に床に落ち、意思を持っているかのように床をさっと滑って水祢の元へ帰還していった。
 障害物がなくなった札たちは異怨の周囲で隊列を作り、縦にななめに線のようになって彼女をからめ取る。
「あ、れ?」
 異怨は不思議そうな顔をして札に囚われる。それもその筈。
 少なくとも彼女の視点では、気を取られていた紙の鳥が突然いなくなったと思ったら、どこからともなく現れた札に動きを封じられていたのだから。
「よし、捕った!」
 完全に術中に嵌めたと確信し、乙瓜は今度こそガッツポーズを取る。傍らの水祢はふんと鼻をならしたものの、何も駄目出ししてこない辺り本当に成功したのだろう。
 脅威を一時的とはいえ封じることに成功した乙瓜は、得意顔で廊下に仁王立ちしていた。

「いやあ、ご苦労ご苦労」
 その向こう側、異怨を挟んで廊下の向こう側から。パチパチと軽く手を叩く火遠が現れた。
 傍らには魔鬼、背中にはてけてけを背負った火遠は、蜘蛛の巣にかかったような異怨を見て「これっぽちの量で封縛ふうばくするとはよくやったじゃあないか。普通は百枚以下でやろうだなんて思わないぜ?」と、褒めているんだか貶しているんだかよくわからないコメントをした。
「おう火遠、言われた通りこいつの興味引きつけたし足止めしといたぞ」
「ああ。期待以上だぜ、やるじゃあないか。あとはこちらの仕事だね」
 火遠はしゃがみ、てけてけを背中から降ろす。
「てけ、てけ」
 縛られたままの異怨の首がぐるりと回り、てけてけを見る。てけてけはそんな異怨を何とも言えない表情で見上げている。
 火遠は様子を見つつ魔鬼に視線を送る。魔鬼は頷いていつもの定規を構え、何かを唱え出す。
「魔界の主よ地獄の王よ、我が魔力に応じこの者に施したまえ! 限定修復リミテッド・リペア!」
 定規の角から紫色の光が走る。それはてけてけの周りで円形を成す。次第次第に幾何学的な文様が浮かび上がる。――魔法陣だ。
 ぴゅぅっと火遠が口笛を吹く。感心しているような彼をじろりと見ながら魔鬼は言う。
「言っとくけど、もって三分が限度だからね。それ以上はしらない」
「十分さ、三分もあれば余裕だろ」
 魔鬼が若干不機嫌そうに頬を膨らませたところで、魔法陣の光が粒子状に弾け飛ぶ。

「「さあ、言ってやんな」」

 魔鬼と火遠は口をそろえて言う。誰に? それは勿論――てけてけに。

 しかしてけてけは声が出せない筈。異怨が言い、火遠も認めた。それは確かな筈。
 だが、存在しない筈の幻想の声は。

「わたしのはなしがきこえますか」

 確かに空気を揺らし、この場に姿を現したのだ。
 魔鬼と火遠の間でどのようなやり取りがあったのか何も知らない乙瓜は、突然の第三者の声にきょろきょろとあたりを見渡す。
 水祢はそういうことかと小さく呟くと、ふわりと宙に浮かぶと見えない椅子に座るように足組した。
 その様子を見た乙瓜は、少し遅れて気付いた。理解した。
 この声は、自分より遥かに下の目線から届く声は、てけてけの声なのだと。

「わたしのこえがきこえますか、ごしゅじん」

 てけてけは少しだけたどたどしい、けれどしっかりとした口調で異怨に呼びかける。
 しっかり口を動かして喋っているところから見るに、おそらく魔鬼がかけたのは身体の一部を再生させる魔法だ。その魔法でてけてけの失われた声帯を、声を再生したのだ。
「てけ、てけ?」
 異怨がただでさえ開き気味の目を一層見開いて話しかける。それにてけてけはこくりと頷いた。
「てけてけ、おはなし、できた」
 それを見た異怨は、小さい子供のようにきゃっきゃと無邪気に笑った。しかしてけてけの顔は暗い。
「ごしゅじん、やめましょう。もう学校のひとたちをおそうのは、やめましょう」
「どし、て?」
「わたしは、いやです。学校のひとたち、わたしだいすきです。傷つくのはかなしいです」
「てけ? てけ?」
 何が何だかわからないという風に首をかしげる異怨を見て乙瓜は火遠の作戦を悟った。

異怨やつはあんなではあるけどてけてけのことを一応大事にしていた。仲良しだと思っていた。それはてけてけが喋らないからであって、それをイコール肯定だと捉えていたんだ! そんな相手に拒否されたら、奴は確実に揺れ動く……!)
 だが、それが吉と出るか凶と出るか。万が一逆上したら大変だ。しかし札を使い切った乙瓜に出来ることと言えば、固唾を飲んで見守るくらいだ。
 どうか上手く行きますように、と。

 てけてけは言う。
「ごしゅじん、わたしは食べられたこと、怨んでないです。わたしをてけてけにしてくれて、感謝してます。だって、学校の怪談のみんな、とても優しいです。出会えてよかったです。だから、ごしゅじんのこともすきです」
「……じゃ、あ」
「でも、つらいです。だいすきな学校のみんな、だいすきなごしゅじんがいじめて、かなしいです」
 必死に声を上げるてけてけの目に、何か光るものがあった。
「てけ、てけ、ないた、いる?」
 異怨はきょとんとした顔で右腕を伸ばそうとしている。しかし、伸縮可能な腕も結界に囚われているためなのかてけてけに届かず宙を切るのみ。
「ごしゅじん、やめましょう。もう学校のひとたべるの、やめましょう。にんげんも、おばけも、食べないで。食べないで……!」
 涙ながらに訴えるてけてけ。その姿は、もう正体不明の化け物然としたそれではなかった。
 一人のかよわい少女だ。今は人間でないだけの、元人間の少女が嘆いている。訴えている。
 その姿に、心を打たれたかどうかは定かではないが。一拍の間の後、異怨は言った。

「いい、よ」

「ごしゅじん?」
 てけてけは顔を上げる。その見上げる先の異怨には、相変わらず作りものみたいな表情のまま。しかしもう一度、はっきりと言った。
「いい、よ。おそう、ない。……てけてけ、ごめん、ね」
「ごしゅじん? ――ッ、ごしゅじん!」
 てけてけは廊下を這いずり、異怨の足にすがりついた。

「もういいだろ、離してやんな」
 火遠が静かに言った。
「…………大丈夫なのかよ」
 乙瓜が不審そうに返す。
「大丈夫さ。異怨はアレな分嘘がつけない。本当の事しか言えない。だから――真実だ。今の言葉は真実さ。大姉上さまは約束を守るよ」
 だから解いてやりなという火遠を信じ、乙瓜は『夜風』を解除した。
 札はバラバラと拘束隊列を崩し、少しの間宙をひらりと舞った後に乙瓜の手元に帰還していく。

 後に残るはもう魔法が解けて物言わなくなったてけてけと、てけてけの頭をそろりそろりと優しくなでる異怨の姿だけだった。



「――ありがとう。ご苦労様」
 翌日の早朝。二階西女子トイレにて。
 二人の報告を受けた花子さんは、ほっと胸を撫で下ろして言った。
 危うく大事な仲間を失うところだったわ、と心底安心した様子の彼女を見るに、てけてけを排するという苦渋の決断がいかに彼女の心を苦しめていたのか伺い知れる。
「学校の仲間たちには私から伝えておくから、すぐにてけてけに関する悪い風聞は消えると思うわ。それに新入りちゃんのことも話しておかないと――」
 花子さんが言う新入りとは、勿論異怨のことだ。放っておけばなにをするかわからない異怨を追い出したら何をしでかすかわからない。一応てけてけの嫌がることはしないようなので、一緒にいてもらおうという火遠の案を話してみたところ、花子さんはすんなり許可したのだ。
 怨みはないのか? と言う二人に彼女は、「来るもの拒まずよ。和解したんならいいじゃない」と、あっさりと言ってのけた。――広い。器が。

「あ。……そういえば、なんだけど」
 その時、何か思い出したような顔をした魔鬼が、おずおずと手を上げる。
「どうした魔鬼?」
 怪訝な顔で見つめる乙瓜と、どうしたの?と覗き込む花子さんをそれぞれ見ながら、魔鬼は言った。
「火遠のきょうだいってあと一人いるらしいんだけど、花子さん何か知らない? っても、学校にいるかわからないんだけれど……」
 魔鬼の発言に、そのくだりを碌に聞いていなかった乙瓜は「げっ」と顔を歪める。
 水祢、異怨と個性が強すぎる相手ばかりが続いたため、警戒する気持ちはわからんでもない。
 花子さんは警戒する魔鬼と乙瓜を見てくすくすと笑う。

「ああ、ああ。彼女・・のことね、彼女の事ね。心配しないで、彼女はとてもやさしい・・・・から」

 ――あ、嫌な予感がする。
 乙瓜と魔鬼は同時に思った。知った風な花子さんの口ぶりと謎の含み笑いを見て思った。



 誰もいない静寂の空間。段々ホールの音楽室。
 人間ひとが立たない舞台の上で、一音二音ピアノの音。
 怪事はまだまだ始まったばかり。

(第四怪・放課後の狩猟者・完)

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