怪事戯話
第三怪・怪談の女王様⑨

「まあ、見つけちゃったのね」

 寿命の近づいたの蛍光灯が照らす黄ばんだ明るさの中。花子さんはあっけらかんと言ってのけた。
 トイレの太郎さんから本物の鏡を手に入れた乙瓜と魔鬼は、花子さんの居城たる二階西の女子トイレにて花子さんを呼び出し、鏡を見せつけた。
 時刻はもはや午後5時55分を回っており、青々としていた五月の空は、その色を宵闇の中に鎮めようとしている。部活動の生徒たちは後片付けに追われているが、もう五分もすれば流れる最終下校の校内放送音楽を背に聞きながらのんびりと家路につくのだ。
 そんな、花子さんが提示したリミットギリギリの時間。確かにこれが本物であるというお墨付きと合格の通達を言い渡された乙瓜は、へなへなとトイレの床に崩れ落ちた。
「あーらあらあら、昨日といい今日といい汚いわよぉ?」
 花子さんはクスクス笑いながら茶化すが、正直今日一日でほとんどの気力を使い果たしてしまい即座に立ち上がることが出来ない乙瓜は、後で洗うからいいんだよと頬を膨らませた。
 魔鬼は魔鬼で、壁に手をついて大きなため息をついている。それは疲れのため息でもあるし、安堵のため息でもあった。
「それにしてもお婆ちゃんの四次元を破られた時は正直驚いたわ。お婆ちゃん、加減してたとは言え軽く自信失くしたみたいだし。ケンカはじめちゃったときは流石に笑ったけど、見直しちゃったわ」
「なんだ、見てたのか花子さん」
 そういえば、四次元で聞いた大勢の嘲笑の中に、ひときわ高い女の笑い声があったような気がする。あれ花子さんだったのかと、乙瓜は妙に納得した。
「試練を課した張本人がちゃんと見てないのは駄目でしょう? 不正がないように確認しなくっちゃあ、テストにならないじゃなーい」
 おほほほほとワザとらしく笑う花子さん。その横で、赤色の光が弾けた。
「やあ、元気してたかい?」
 火遠だった。水祢の時とは違い、話かけて助言を与えることすらしなかった契約の妖怪は、お疲れーなんて言いながら乙瓜に手を振ってくる。
「お、お前なあ! 今までどこ隠れてたんだよ!」
「なーにいってんだ、俺はずっと君らの傍にいたよ? 姿を見せず声も出さなかった、それだけじゃあないか」
 心底意外そうな顔をして宙を泳ぐ火遠は、「ねー」と言いながら花子さんとハイタッチする。
(こいつも観客席か……!)
 花子さん同様に嗤っていたんだろうかと思うと腹立たしい。体力が残ってればまず手がでたろうな、と乙瓜は思い、軽く歯ぎしりした。
「まあまあ、そう怒りなさんなよ。一回だけ手助けしてやったじゃあないか」
 いけしゃあしゃあと言ってくる火遠を、乙瓜が睨み返すと、火遠は「わっかんないかなあ」と切り出した。
「『流星ながれぼし』。あのとき魔鬼との合わせ技で使ったアレ、まさか自ずと口をついた言葉だとか思っちゃあいないだろ?」
 乙瓜はハッとした。咄嗟に思いつくはずもない呪い文句が、流れるように自分の口をついた時の事を、そして札が流星となって四次元の檻を打破したことを思い出したからだ。
「第一の技・『暁闇あかときやみ』そして第二の技・『流星ながれぼし』それぞれ俺が君に与えた札術の型の一つ。役に立ったろう? 尤も、君が自分自身で護符フダを投射できるようになれば、あんなごり押ししなくてもいいんだけどねぇ」
 言って、火遠は苦笑いした。
 壁に寄り掛かる魔鬼は、不満そうに「ごり押しとはなんだごり押しとは」と呟いている。ただ風を起こしただけでなく、360度均等に飛ばしたという大事なポイントをさらっとスルーされて不服なようだ。
「まあ、何はともあれ乙瓜、君が花子さんに認められてよかったよ。学校に居着いてる妖怪の半分くらいは、君たちを調停者まとめやくとして認めるだろう。やったね」
「やったねって、お前なあ」
 軽い調子の火遠に乙瓜が呆れ顔を返すと、思いがけず真面目な顔をして火遠は言った。
「花子さんのお墨付きがあるってのは重要なことだぜ? 君らの学生証に『本校の生徒であることを認める』って書いてあるのと同じくらい重要なことだ。君らだって部外者がなんの許可もなくやってきて好き勝手していったら嫌だろ? 妖怪も同じさ。縄張りを荒らされるのは基本的に好まない。……君たちだって、敵は増やしたくないだろ?」
 茶化すでも驚かすでもなく淡々と語る火遠はやや不気味ではあったが、それだけ大事なことであるということは二人にも伝わった。一方で、魔鬼の頭には一つの疑問が浮かび上がっていた。
「待って。学校妖怪の『半分』って言ったね? ……残り半分は?」
 間に入る魔鬼の問い。直後、火遠の口がにたりと曲がり、傍らの花子さんの口角もつぅっと上がった。
 まるでその質問を待っていたかのように、嬉しそうに、愉快そうに、不気味に笑う二匹の人外たちは、赤い目を爛々と輝かせながら交互に語った。
「私たちは『怪談』である以上人の事を驚かすし恐怖も与える。でも、大抵はそこまでよ。人間側が相当のことをやらかさない限りは殺すとか滅多にしない。誰それ構わず学校の七不思議だの禁忌だのに触れて蒸発してたんじゃあ、この世に人間なんかいなくなっちゃうわ。でもね、いるのよ。平気で本気に人間を襲うのが、危害を加えるのがいるのよ」
「学校の妖怪・幽霊達も一枚岩じゃない。話の通じる奴もいれば、人間の理屈なんてさっぱり通じない奴もいる。そもそも知性なんてさっぱりなくて、地震や台風みたいに突発的に起こる現象みたいなのもいる」
「あなたたちにはそういったならず者たちを大人しくさせる手伝いをしてもらいたい。ここ何十年か大人しくしてた連中も、大霊道が開いた影響で活性化してきてるわ。そういうのとあと、校内に侵入してきた霊なんかを優先的に調伏してもらいたいの。勿論、私や私のお友達はあなたに協力するわ。火遠この人もきっと力を貸してくれる。……改めて、お願いできるかしら?」
 花子さんはそれまで浮いていた宙からふわりと降り、タイルの床に足を付けた。そしてへたりこむ乙瓜の手を取り、お願いねと笑いかけ。そして、額にキスをした。
「ふえぁっ!?」
 花子さんの行動に、すっかり油断していた乙瓜はしこたまビビった。しかし当の花子さんは乙瓜からさっと離れ、魔鬼にも同じことをしたようで、花子さんのこういう妙なフレンドリーさに初めて触れた魔鬼は乙瓜以上に仰天しているようだった。額を抑え「今のどういうこと!? どういうことなのっ!!!?」と混乱している。

 かくして、怪談の女王様・花子さんに認められた彼女らは、改めて怪事に立ち向かうこととなった。
 だがその翌日。学校に来ながらすべての授業をボイコットしたことで大目玉を喰らい、二人して反省文を書く羽目になったのは言うまでもない。

(第三怪・怪談の女王様・完)

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