怪談。怪異譚。
暗幕を引いて暗くした部屋の中心に蝋燭の頼りなく揺らぐ照明を灯し、今日もそれははじまるのだ。
「これはこの学校に伝わる、怖ーい話……」
この手の話に付きものゆっくりと静かなテンポで、戮飢遊嬉は語り出した。
「知ってる? 昔の先輩から先輩に、ずっと語り継がれてきた話なんだけどね。そう、今から二十年くらい昔の話。練習で遅くまで残ってた吹奏楽部の女子生徒が、一人で廊下を歩いていたのね――」
聞き手は薄暗くてなんとなく不気味な廊下を想像する。校舎に残っている生徒はほとんど無く、すれ違う人も皆無に等しい廊下を。
……どこか心許ない感じだ。たったそれだけのことを想像しただけで、人一倍恐がりの深世は少し震え上がった。
「その子は『なんだか怖いな、早く帰ろう』って、早足で昇降口まで歩いていたの。だけど、なかなか昇降口までたどり着けないんだ。『なんでだろう、おかしいな?』階段は三階の音楽室からちゃんと階数分降りたのに、何故か昇降口が見つからないのね。その子は不安になって、とりあえず職員室に行って先生に会おうって、再び歩き始めたの。……すると、おかしな事にね。さっきまであんなに誰もいなかったはずなのに、後ろから誰かが付けてくる気配がしたの」
さわさわと、電子の照明が落ちた部屋を囲う紗幕が意味ありげに揺れる。
閉めきっていない窓から風が漏れたのだろう。しかし、それだけでもう深世の心臓はどきりと跳ね上がり、一瞬の後風の仕業だと気付いた後も、ばくばくと早鐘を打ち、端から見てもオドオドとして落ち着かない様子になっていた。
遊嬉は、そんな深世の様子をちらりと見て、そろそろ切り上げ時か、などと考え、そしてふと、深世の隣りの眞虚を見遣る。
深世と同じかそれ以上に怖がりの、しかし怪談好きという、少々矛盾した趣向を持つ彼女は、寝ているのだか俯いているのだか一見すると判別がつかないが、遊嬉には判った。眞虚は気絶している。
――まだ話が盛り上がるのはここからなんだけれど。
遊嬉は少々残念に思いつつも、聞き手二人の様子を鑑みて、話の展開を端折り、駆け足で終わりに向かわせた。
「……不気味に思ってその子が振り返ると、そこには――」
そのとき偶々、蝋燭の明かりがぐらと揺らいだ。
只でさえ覚束ない光源が危うくなり、話のオチが来るより一歩早く、既に恐怖の限界の一歩手前にいた深世の持ちこたえ得るラインを超えてしまった。
「きゃぁあぁああぁあああぁああああああああああああああぁああああああああああああああああああああぁああ!!!」
まるで生娘のような(いや、実際生娘なのだが)悲鳴を上げる深世を尻目に、遊嬉はそそくさと、消えずとも小さくなってしまった蝋燭の火を消し、遮光性の高いカーテンを一気に開く。
昼間の温かい日差しが部屋に満ち、それまで闇に遮られて姿を失っていた物が形を取り戻す。
窓辺に置かれた作りかけの粘土細工が、キャンバスに画かれた未だ稚拙ながらも独創性溢れる絵画が、棚の上に置かれた有名な石膏像のレプリカが姿を現す。
六、七人が同時に作業できる程度の大きさを持った机は、新旧様々な彫刻刀や絵の具の跡で、既にまともな平面を失っている。
そう、ここは古霊北中学校の美術室。他の教室より一回り広かったり、そこでしか使わないような道具が置かれている、所謂特殊教室という部類の部屋だ。
そして更に、美術室は、美術部の活動の拠点でもある。
時刻は放課後。突発的な怪談タイムを終えたそこには、いそいそとイーゼルを広げてデッサンを始めようとしていたり、屋外の風景をスケッチをはじめたり、美術雑誌の写真を模写しようとする生徒達の姿があった。
彼女たちは、美術部だった。
先程怪談をしていた遊嬉たちも同様。美術部の新入生――つまり一年生――である。
「てなわけでおしまい」
完璧に平時の姿を取り戻し、いつのまに誰が点けたのか蛍光灯の明かりが照らす室内で、遊嬉は簡潔な終了宣言をした。
「や、やや、やっと終わったみたいじゃないの! 毎度毎度あんたの話は怖すぎんのよ!!!」
明るさのお陰で平常心を取り戻したのか、しかしながら未だに挙動不審気味で小刻みに震え続ける深世が、気絶したままの眞虚を抱き寄せながら文句を言い始める。
何も心の底からそう思っているわけではない。怖さが極限まで達して少々テンパっているだけなのだ。
でなければ部活の度に怪談話に付き合ったりしないし、嫌ならそもそも真正面で聞かなければいいのだから。
「はいはい、それは深世さん達が飛び抜けて恐がりなだけっしょー? 大した話してないよ、あたし。ねえ?」
遊嬉は口を蛸のように尖らせて愚痴っぽく言いながら振り返り、更なる仲間に同意を求めた。
「んー? まあねー」とは、白薙杏虎の言葉だ。
続く「右に同じく」は烏貝乙瓜の。二人とも遊嬉や深世と同じ美術部の一年生だ。
恐がりが過ぎる深世や眞虚と違って、この二人は耐性があってオカルト好きの部類だ。
平時クールな杏虎も無口な乙瓜も、日夜インターネット等でさっきの怪談以上の話を仕入れているに違いない。少なくとも遊嬉はそう思っている。
「ほーらねー? やっぱりあたしの話くらいでびびってるんじゃ、この先美術部やっていくのは大変ですぞ」
「あの二人は例外だろ!?」
得意顔で言う遊嬉に深世はすかさず反論する。
「あー……そもそも美術部に入ってからというものまともな絵の一つも書かずに毎日毎日雑談怪談オカルト談義三昧で……。ええい、誰ぞ真面目に創作活動を始める輩は――」
「はいはい深世さん長文乙!」
「黙れ小僧! 兎に角ッ!!私はこの部にもっと創造的な活動を求めてるのッ! ていうか、あんたらこそ何で美術部入っておきながらオカルトなの! それ普通に考えておかしいよ、変でしょが!!」
「はいはい、ワロスワロス」
深世が言っていることは至極当然で真っ当な事なのだが、遊嬉はまともに取り合わない、どころか、同室で活動している先輩達も彼女らの鼬ごっこを特に諫めるでもなく、「まー、それもそうだねー」とか「なかよくねー」などと、呑気に相槌を打っている。
そんな変梃な状態の中、ガラガラッと。美術部の扉が開いた。
「失礼しまーす。こんにちわー」
入室の枕詞みたいになっている挨拶をして入ってきたのは、この場にいなかった最後の一年生美術部員。黒梅魔鬼だった。
「はーい、こんにちはー」「なんだ魔鬼か」「おーっす魔鬼ぃー!」等、他の美術部員が思い思いの挨拶を受けつつ、魔鬼は棚のスケッチブックを取って一年のたむろする一番奥の窓際へと移動した。
「ごめんごめん、二組のHR長引いちゃってさ。……てか『なんだ』って言ったの誰だ」
「幻覚だ」
息をするようにきっぱりとそう言い張った乙瓜を見て、魔鬼は溜息をつき席に着いた。
本当は「おまえかよ」と言いつつ小突いてやりたかったが、まだ知り合ってから日が浅い為、そうまでするのは少し抵抗があったからだ。
「……で、今日は何の話してたん? UFO? 呪術? それとも怪談?」
今更追って説明することもないだろうと思うが、彼女らは所謂不良美術部だった。
不良といっても、世間一般が想像するヤンキーだとかギャルだとか、そういったベクトルの不良ではない。
ただ単純にオカルト話が好きで本来の活動に打ち込まない。古霊北中学校美術部一年は、そんな集団だった。
加え、彼女らの郷里・古霊町はその名の通りオカルティックな町であり、因縁・祟り・呪詛・伝説。その手の噂は常に尽きない、オカルト好きにとっては聖地のような場所だったのだ。
学校の怪談だけでも7不思議を悠に越し、カウント不可能な多不思議が用意されているというパラダイス!
故に彼女らは、ネタに困ることもなく大いに語りまくった。先輩に半ば黙認されていることもあり、部活の間中大好きな怪奇の話を話し続けた。
……その影で、何かが始まろうとしていることすら知らないまま。