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悪魔の娘

 物心つく前から父は狂っていた。

 私が二本の足で立てるようになる頃には母を殺し。
 五つになるかならないかの時には一番上の姉を。
 それから二年後に二番目の姉を。
 私が十になる頃には、三番目の姉を殺し。

「全て大いなる実験の為なのだ」

 父は誰かを殺める度、まるで何かに言い聞かせるように、静かな声音でそう言った。

 それなりの名家だったのに、気味悪がった使用人は次々と逃げるように辞めて、否、辞めるように逃げて行き。
 気付けば、広い屋敷には父と私しか居なくなってしまった。

 町に出たある日のこと、私は聞いた。
 森の屋敷に住む伯爵は狂っているのだという噂を聞いた。
 どうせ殺されてしまうのに、ついぞ一人きりで父の世話をしている私も狂っているのだと歌われていた。

 ヘンゼリーゼは悪魔の子。
 気違いと呼ばれる伯爵の娘。

 石を投げられ追い立てられ。結局パンも卵も手に入れること叶わず屋敷に逃げ帰る。
 父は相変わらず書斎で分厚い本に読みふけっている。

 ――愛しのルノア、愛しのルノア。もうすぐ会える、間もなく会える。

 ここに存在しないひとの名前を呟きながら鬼気迫る表情でページを捲る父は、身内から見てもやはり狂っているようにしか見えなかった。……相変わらず狂い続けている。
 その晩、私は耐えきれなくなって父に問いただした。

「お父様はいつ私を殺すの」と。

 父は首だけで私を見、否、本当に私を見ていたかどうかわからない。何かの幽霊を見つめているような虚ろな目で私の居る方向を見て一言だけ。

「殺しはしないよ。お前にはずっとずっと生きていて貰わなければ」

 そう言って破顔する父が不気味に見えるのは、蝋燭の薄ら明かりの陰影の所為だけでないのは間違いない。少なくとも私はそう思った。

 姿を見かけられれば石を投げられ、食べるものすら碌に手に入らず。
 当然といえば当然の摂理でやせ衰え、いよいよ天の迎えを待つまでになった。

 最後の日。父は話があるといって、今まで決して立ち入らせてくれなかった地下室へと私を呼ばった。
 ふらふらの足で一歩一歩石段を下っていくと、何やらやかましい音が――いや、これは只の音ではない。
 嫌な予感に階段を駆け下りる。地下室の扉を開き、眼前に飛び込んできたものは。

 ――赤ん坊。居るはずのない赤ん坊が、そこにはいた。
 聞こえてきた音は赤ん坊の泣き声だったのだ。しかも、赤ん坊は一人二人ではない。
 その数は三、四、五、六、七、八……十。

 地下室には十人の赤ん坊が、奇怪な模様を描いた冷たい石床の上に寝かせ、否、並べられていた。

「見えるかいヘンゼリーゼ。三番目の姉さんの子供たちだよ」

 私に背を向け松明を持ち立っている父は、いつも通り静かな、しかし内なる興奮を隠しきれない声音で言った。

「……お姉様は生きていたのね」

「ああ生きていたとも、先週までは。ちょっとした薬を使って生贄の不足分を一度に産んでもらったら、死んでしまったがね」

「生贄?」

 唐突に現れた怪しげな言葉を反芻する。

「お父様、答えて。一体何をしようとしているの」

 父は答えず、狂ったように笑い出した。狂ったように? いいえ、この人は狂っている。そんなこと最初から解っていたし、判っていた。父は気違い伯爵。私はその娘。悪魔の子。

「さて、準備は整った。ヘンゼリーゼ、私はこれから悪魔を喚ぶよ。そこでお前は永遠の所為を得るのだ」

 父は壁に括り付けてあった鎖を解きだす。それが天井の丸い石板に繋がっていて、鎖が解ければ直ちに石版が落下することはすぐにわかった。
 落下する。どこへ? 決まっている。
 今も火のついたように泣き続ける、十人の赤子達のところへ……。

「……やめて、やめてお父様……!!」

 私は父に駆け寄り腕を掴むものの、女手の弱々しい静止など容易く振り切られ、父は鎖を解き手を離す。

「あっ……! やめっ……いやぁああぁああッ!!!」

 がしゃああん。

 無情な轟音が狭い地下室に反響し、先程まで煩いくらいに泣き叫び続けていた赤子たちの生命の灯火は、消えた。
 石版と床の隙間から生々しい血がじわじわと溢れ、鉄錆のような臭いがじわじわと部屋に充満する。むせ返る程の臭気に吐き気を覚え、私はその場にうずくまった。

「おお、おおおおお! まさに生贄は捧げられた!! さあ魔法陣よ、血を吸え! 悪魔よ出でよおおおッ!!!」

 父は狂喜し両手を天に掲げておぞましい文言を紡ぎ続ける。おそらくそれが悪魔とやらを呼び出す呪文なのだろう。
 間もなく地鳴りとも遠雷ともつかない音がして、部屋中に黒く禍々しい靄が立ち込める。
 やがて靄の中に大小合わせて十の影が現れる。どうやら父の悪魔召喚は成功したようだ。

『我ラヲ呼ンダノハ汝ナリ也?』

 顕現した内一体の影が男とも女ともつかない耳障りな声で父に問う。

「ああそうだ、私が喚んだ……!」
 父が誇らしげに宣言すると、間髪入れず先程とは違う影が問う。
『汝ノ願イハ何ダ』

「願いだと? 願いなどとうに決まっておる、娘を不死身の体にしてくれ!!」

「お父様……?」
 一体どういう事。という間もくれず、また別の影達が次々と父に問う。

『ソレダケカ?』
『ソレダケナノカ?』
『汝ノ真ノ願イハ何ダ』

「私の、私の本当の願いは――」
 父は急かすように問い続ける影達に囲まれ、そして言った。

「私の願いは、――私の人生で唯一愛した教会の娘、ヘンゼリーゼ・ルノアを蘇らせることだ……! 僅か十五にして天の教会が私から奪って行ってしまったルノアを蘇らせる為……娘にはその為に、その為だけに生き長らえて貰ったと言ってもいい! 娘があの日の彼女と同じ歳になるのをずっとずっと待っていたのだ。あの美しい女性ひとに、天使のような微笑みに再び会えるならッ! 天上の主に背くことなど恐るるに足らず! ああ、悪魔達よお願いだ、娘を不死身に!! そしてルノアの魂を天上より取り返し、娘のそれと取り替えておくれ……!」

 私は言葉を失った。あまりにも呆れた願いだった。
 父の大いなる研究も母や姉妹、名も無き赤子達の犠牲も、全てが全てこの時のためにあったのかと思うと呆れて涙が止まらない。
 結局、私が行かされていたのも私が「ヘンゼリーゼ」と名付けられたのも。全ては父のエゴイズムだったのだ。
 自己中心的で周りの一切を考えない、愚かで狂った哀れな男。

 こんな男の所為で私は死ぬのね。私の躰は生き続けるけど、私は死ぬのね。
 悔しく悲しく思えども、今の私では抗うことなどできる筈もない。もうお終いだ。……諦めて、目を閉じた。瞬間。

『我シカト聞キ届ケタリ。……ダガ、ソレニハ命ガ一ツ足ラナイネ』

 はっとして目を見開く。
 父もおそらく同じような顔をしていたことだろう。一体どういうことかと。何が起こったのかと。

『トーニカ、』と仲間の悪魔が諫めるように言うが、他の悪魔の中でも『確カニ足ラナイ』『割ニ合ワナイ』等と、最初の悪魔(トーニカというのが名前だろう)に同調する者が次第に増えていった。

「なんの冗談だ……! 私は妻を娘を、長年使えてきた使用人を、通りすがりの旅人を、名も無き娘の子供達を生贄に捧げたというのに、まだ足りぬと言うのか! ええい、この期に及んで私を騙くらかすつもりかあッ! とうに数は足りておる筈だ!」

『足リナイモノハタリナイ。コレッポチノ生贄で天上カラ魂ヲ奪ッテクルノハ割ニ合ワナイ』

 悪魔達は頑なに父の言い分を突っぱね、父はついにはみっともなく泣き出してしまった。

『今生贄ニ捧ゲラレタ人数分デハ娘ヲ不死身ニスルコト程度ハ出来ルダロウガ……モウ聞イテハオラヌカ。オオソウダ、娘ニモ意見ヲ聞イテミヨウ』
『娘、オ前ハ何ヲ望ム?』
『怖ガルコトハナイサ、言ッテゴラン』

 悪魔達はすっかり父に興味を無くしたのか、今度は私に意見を振ってきた。

「……私を不死身に出来るって?」

『アア、勿論。オ安イゴ用サ』

「他に何が出来るの?」

『我ラハサホド高級ナ悪魔デハナイガ、死者ノ魂ヲ呼ビ戻ス事以外ナラ、何デモ』

「そう」

 素っ気なく呟いて私は決めた。子供のように地団駄を踏んで大声で泣き、憤慨する父を一瞥し、悪魔達に向けて宣言した。


「父を生贄に捧げるわ。だから私を不死身の魔女にして私に仕えなさい」

 これでいいのよ。これでよかったのよ。どうせ私は狂人の娘悪魔の子。ならいっそ魔女にでもなってしまった方が何万倍もマシだわ。

『畏マリマシタ、ゴ主人様』

 ――ぐしゃっ。

 悪魔が一礼すると、煩く喚く父は一瞬にして塵とも煤ともつかないものになって消滅した。
 不思議と、悲しみも憎しみも喜びも湧いてこなかった。

 ――ああ、なんだか。何もかもどうでもよくなってしまった。父のことも、家のことも、町の人のことも、全て、すべて。
 ……どこかに楽しいこととか落ちてないかしら。

 月のない新月の晩。真っ黒な魔女が、この世に産声を上げた。

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2011.12.25 ヘンゼリーゼのはじまり