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奏雷、葬来

 毎年この季節になると思い出す光景。たった一人の兄との別れ。

 あれからもう五年は経つだろうか。あの日も確か今日のような快晴で、迫る夏の陽気を感じさせる日だった。
 その日、私の兄・栗木出雲は。部活の朝練があるからと、私が起きるのを待たず早々に家を出ていたため、私は兄がどんな様子で、どんな顔をして出掛けていったのかを知らない。けれどおそらく、家を出た時の兄の顔は。その他大勢の十四歳の少年少女らと同じく、誰に約束されたわけでもない漠然とした未来への希望に満ち溢れた、清々しい表情であったことだろう。

 だがしかし、私がそんな兄の顔を見ることは二度と適わなかった。
 だって、誰が予想しただろうか。……兄が無言の帰宅をするなんて。
 兄の学校で起こった惨劇。校内に侵入した不審者の仕業となっている、生徒大量殺傷事件の犯人は、未だに捕まっていない。捕まっていない、というのは語弊があるかもしれない。大勢のの目撃者を出しながらも何故か公表されない犯人像。世間のバッシングを受けながらもまともに捜査もせず、それどころか口封じにまで走っていると噂されている警察。そんな不可解な状態の中、やがて人々の間でこんな噂が流れるようになった。『犯人は捕まっていないのではない、捕まえることができないのだ』と。

 兄を殺したのはおそらく人間ではなかったのだと、私も思う。

 その場に居合わせた多くの目撃者や、生き残った被害者は確かに語った。『あれは絵巻物に出てくるの餓鬼のような生物だった』と。
 パニックによる幻覚で片付けられたその目撃証言を私は信じた。私には確信があったのだ。兄を殺したのは決して人間などでは有り得ないという確信が。
 検死され帰ってきた物言わぬ兄の体には、顔面が、私の大好きだった兄の顔が……昨日までは確かに怒ったり、笑ったり、泣いたり、様々な表情を見せていた顔があった場所には、黒く冥い穴がぽっかりと覗き。
 そうだ、例えるならそれは、蝉の抜け殻のような――……幼い日の私は、そこで気絶した。

 それから葬儀までの数日の事はよく覚えていない。ただ大声でお兄ちゃん、お兄ちゃんと叫びながら泣きつづける妹をそっと慰めていた記憶があるのみで、私自信がどういう心持ちでいたのかは、不思議なくらいに全く思い出せない。
 在りし日の兄のことを想い、顔面ごと頭蓋の中身を刳りぬかれ死んでいった兄がどれほど無念であったか考えていたのかもしれないが、実際の所はどうであったか。何も考えていなかったのではないだろうかと、今はで思う。

 そして迎えた兄の葬儀の日。

 季節外れな程蒸し暑いのにも関わらず、空は今にも泣き出しそうな鉛色で、まるであの日から沈んでしまった私の心を映しているかのような天気だった。式場には親族をはじめ兄の同窓生や学校の先生方に加え、マスコミ関係者も多数押し寄せ、各方面の対応に追われていた両親は心休まる暇すらないように見えた。

 私はまだ知らない。その時一人の少年がとある誓いを立てたのも。
 私はまだ知らない。その時一人の青年が、残酷で不謹慎な発想を得たのも。
 私はまだ知らない。その時一人の孤独な男の運命が大きく変わったのも。

 ただ、両親が、彼らに付いてまわる妹が、私の視界からいなくなった時。私はまるで堤防が決壊したかのような大声でわんわんと泣いた。

 ――お兄ちゃんが死んでしまった! 私の兄は死んでしまった!!

 外の天気はいよいよ崩れ、急に降り出した打ち付けるような雨の音と、幽かに奏でられる遠雷の音、そして私の泣き叫ぶ声が、小さな式場にいつまでもいつまでも響いていた。


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栗木奏雷とお兄ちゃんの話。