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愛玩生首

 夢を見ているようだった。或は本当に夢を見ていたのか。

 私は一人の女に抱かれて。只ぼんやりと彼女の顔を見上げていた。
 彼女は能面の如く白い顔に、極楽の住人のように柔和で慈愛に満ちた笑みを浮かべ。而しながら、その内に一瞬でも油断すると魂ごと奈落の底へと引き込んでしまわれそうな妖しさを匂わせながら。まるで血が通っていないのではないかと思う程冷たい両の掌で私の頬に触れているのだ。
『あなたはわたしのものよ』
 真っ白い顔に似つかわしくない程鮮やかな深紅の唇が、鈴を転がすように可憐な(おと)を紡ぎ出した。
『あなたはわたしのものなの』
 彼女は確かめるように繰り返した。
――わたしのもの。そう彼女は言ったが、私には彼女のものになった覚えなど、当然の事ながら、無い。私は少しむっとして、反論の声を上げようと口を開いた。
「―――、――――!」
 だがしかし、私の言葉は大気を震わすことなく。私は陸に打ち上げられた魚のように、只ぱくぱく、ぱくぱくと、口を開閉する事しか出来なかった。
 そこで初めて、私は声を発することが出来なくなっている事に気付いた。
 否、それだけではない。今、私は四肢を動かすことができない。今、私は恐ろしく不自然な体制で彼女と向き合っている。今、私は呼吸をしていない。……そして今、私は、気付いてしまったのだ。今、私は――。

 首から下の私という體を、持っていないということに。

「―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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―――――!!!!」
 絶叫だった。

「助けて」だったかもしれない。「嫌だ」だったかもしれない。月並みに「きゃあ」とでも叫んだのかもしれないし、意味のわからない言葉の羅列だったともしれない。
 しかしその何れであろうとも、私の声帯は五十音に当て嵌められる音を紡がず、ただ掠れた、蚊の鳴くような音を僅かに絞り出すだけだった。

 気が付くと、対面の女はにやにやと笑っていた。
 驚くほど長い緑の黒髪を面に垂らし、深紅の唇は不気味に弧を描き、光を反射しない真っ暗な瞳は獲物を逃がさんとばかりにかっと見開かれている。

 嗚呼、喰われる。私はいよいよ覚悟を決め、固く瞼を閉じた。





『あなたはわたしのものになったわ』





 ぐしゃっ。

 意識を手放すほんの一瞬前。私は気付いた。嗚呼、私は気付いてしまった。


「          」




 夢を見ているようだった。或は本当に夢だったのかもしれない。
 夢幻の現実逃避は無限に続き続け、首無し少女は永遠に食べられつづけるだろう。


 彼女が無幻に気付くまで。

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2011.8.2 嬉美と丹夜の話