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ロクマルヨンゴー

After.

 引っ越しの準備をするため荷物の整理をしていた春。
 湯布院梨夏子は、小学校の卒業アルバムに懐かしい顔を見つけた。
 それは、入学式の写真の、最下段で笑っているおかっぱ頭の女の子だった。

 彼女の名前は、確かミサキと言った。たいていいつも赤い服を着ていて、よく笑っていたのを覚えている。
 遠い地区に住んでいたミサキと梨夏子は入学して初めて知り合った関係だが、同じキャラクターの鉛筆を使っていたことから仲良くなったことを、梨夏子は覚えていた。
 家同士が遠くて遊びに行けないけれど、互いに「みーちゃん」「りかちゃん」と呼び合う仲であったことも。

 ――あれ? あの子ってどうなったんだっけ。

 六年生のクラス写真のページには、ミサキの顔も名前も載っていなかった。
 そういえば、途中から学校に来なくなった気がする。でも、それは転校とかじゃなかった気がする。

 不意に、暗い面持で話すかつての担任教師の姿を思い出した。

『みんなでミサキさんが無事に戻ってくるようにお祈りしましょう』

 そのときの教師の言葉が、梨夏子の脳裏に蘇る。
 不安そうなクラスメイトの表情一つ一つが、写真でも見ているかのように鮮烈に想起された。

 そうだ、そうだった。
 ミサキは事件に巻き込まれて、それで……。

 いつもと同じように校門で交わした「バイバイ」が、ミサキと交わした最後の言葉だった。

 十二年も昔のことだ。おそらく彼女はもう生きてはいないだろう。
 望みなんてほとんどないに等しい。
 そう思い、アルバムを閉じかけたとき。アルバムの隙間から一枚の紙切れがはみ出していることに気付いた。
 なんとなくそれを引っ張り出してみた梨夏子は、眼を見開いた。

『××区×××町 ××-×××× イシガミミサキ』

 ミサキの住所だった。
 
 何故、そんなものがアルバムに挟まっているのか、誰の仕業なのか、梨夏子にはわからない。
 少なくともその文字が梨夏子や両親の筆跡でないことは確かだった。
 だが、その紙切れを見た瞬間、梨夏子はどこか運命めいたものを感じた。

 梨夏子は先日高校を卒業して、四月から地方都市にある中小企業に就職が決まっている。
 これから地元に戻ってこれるとするなら大型連休か盆正月くらいか。ならば今やるしかあるまい。

 梨夏子は決心したように立ち上がると、外出の準備をした。

 ナビを頼りに車を走らせると、住宅街からすこし外れた小高い丘の上に、それはあった。
 薄汚れた壁には蔦が這い、庭には雑草が生い茂っている。門につけられた表札には、薄らと「石神」の文字が刻まれている。
 石神家。ミサキの家。
 かつて一度も遊びに行くことができなかた友達の家は、すっかり廃墟と化していた。
 門の所には近所の住人がやったのか仏花やジュース、人形などが供えてあった。
 これは梨夏子が後に知ることだが、誰にでも分け隔てなく愛嬌をふりまく幼い三咲は近所の住人に好かれていた。
 当時を知る住人達は、幼くして悲劇に見舞われた彼女を今でもこうして悼み続けていたのだ。
 梨夏子は来る途中で買ってきたジュースを供えると、しゃがんで固く目をつぶり、手を合わせた。

 ――「みーちゃん」、忘れていてごめんね。天国で幸せにね。

「誰か死んだの?」

 不意にかけられた言葉に、梨夏子は振り返る。
 いつの間にいたのか、それとも最初から見ていたのか、梨夏子の背後には十五、六歳くらいの少女が立っていた。
 冬だというのに薄手の赤いワンピースを着て白いパナマハットを被り、後ろ手を組んで興味深そうに梨夏子の顔を覗き込んでいる。

「ねえねえ、誰が死んだの?」

 少女はくすくすと笑いながら梨夏子に顔を近づけていく。

 ――赤だ。
 その、少女の不気味なくらいに赤い瞳が、威嚇する猫のようにぐんぐんと近づいてくる。

「だれが、死んだの?」

 怖い。
 なんだかわからないけど、この少女は普通じゃない。
 逃げたい。
 怖い。
 動けない。
 怖い。
 こわい。

 得体のしれない恐怖ばかりが梨夏子の心を支配する。


「そのくらいにしておきなさい、三咲」

 その時どこからか聞こえてきた声で、梨夏子は解放される。
 赤い目の少女は「はぁい」とかわいらしい声音で返事するとくるりと背を向け、……消えた。
 まるで初めから何もいなかったかのように、忽然と。跡形もなく。
 梨夏子は静まり返る廃墟の丘の上に、一人ぽつんと取り残された。

『だれが、死んだの?』

 先ほどの少女の言葉が蘇る。

「……ちがう。ミサキは死んでなんかいなかった」
 梨夏子は震える声で誰に答えるでもなくつぶやいた。

 立ち上がり、今度こそ誰もいないことを確認すると、梨夏子は一目散に廃墟を後にした。



『ばいばい、「りかちゃん」』

 誰もいなくなった廃墟で、声だけが静寂の中に溶けて行った。

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2012.12. 6 みなかったことにしよう。