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ロクマルヨンゴー

ある事件の顛末

 石神家は日本のどこにでもある、ごくごく普通の家庭だった。
 サラリーマンの父親と専業主婦の母親、長女の三咲の三人家族。
 
 家族仲は良好で、休みの日にはよく家族そろって色々な場所に出かけた。
 遊園地にもデパートにも、海にも山にも出かけた。幼い三咲はそこで手に入れたぬいぐるみや貝殻を、とても大切にした。

 三咲が小学校に上がった四月。石神家で犬を飼いはじめ、家族が増えた。
 「たろう」は人懐こくて利口な犬で、一人っ子の三咲のよき遊び相手となった。
 また、その頃三咲には小学校で新しい友達ができたようで、よくその子の話をしていたという。

 三咲はとても幸せだった。
 だが、その幸せも長くは続かなかった。


 五月に入り、夫婦仲に亀裂が入った。父親の浮気が判明したからだ。

 相手の女は父親の昔の交際相手で、最近まで同棲していた男に逃げられたばかりだった。
 男が財産を持ち逃げしてしまった為、女は生活に困っていた。
 その時都合よく三咲の父親に再会し、気のいい性格に付け入って誘惑したのだ。

 当然といえば当然だが、それを知った母親は怒り狂った。
 夫婦喧嘩が絶えなくなり、石神家の家庭環境は一気にぎすぎすしたものに変貌した。

 優しかった父親は、あまり家に寄り付かなくなった。まれに帰ってくるときはきまって泥酔していて、母親を口汚く罵った。
 穏やかだった母親は、いつもイライラするようになった。三咲が少しでも粗相をすると、八つ当たりするように怒鳴り散らすようになった。

 三咲は学校に居るとき以外は部屋に引きこもるようになった。
 その日のうちに学校であった楽しい出来事を、どんな些細なことでも思い出して頭の中で繰り返した。
 両親の罵声が聞こえる中、必死で耳を塞いで、楽しいことだけを考えるように努めた。

 きっといつか、父親も母親も元の関係に戻ってくれると信じて。


 五月二十八日の深夜、三咲の両親の言い争いはいつにもましてヒートアップしていた。
 母親が頑なに離婚を認めないからだ。

”お願いよ、戻ってきて。三咲だってまだ小学校に入ったばかりなのよ?”
”煩い、お前とはもう終わりだ! 俺はあの人と結婚するんだ! ……離せ!”
”そんなに、そんなに出ていきたいなら……私たちを捨てたいなら……”
”け、恵子? 止せ――”


”――許さない”

 次の日の朝三咲が目覚めると、父の姿はなかった。
 台所には久方ぶりに上機嫌で鼻歌交じりに食事の準備をする母親の姿があった。
「おかあさん、お父さんは?」
「大丈夫よ。心配ないのよ」
 要領を得ない母親の返事を不思議に思いつつ、三咲は朝食のハンバーグを食べて学校に向かった。

 学校から帰ってきた後も、母親は機嫌よくニコニコ笑っていた。
 そして、その日は久しぶりに一緒の布団に入るように言われて、三咲と母親は一緒に眠った。

 次の日、目覚めた三咲の隣に母親の姿はなかった。
 そのかわり、大きなてるてる坊主が天井の梁からぶら下がっていた。

 母親が首を吊って死んでいた。


 幼い三咲にはよく意味がわからなかったので、「たろう」の散歩をして、作り置きのおにぎりを食べて、そして学校へ向かった。

 学校から帰ってきた後も、母親は相変わらずてるてる坊主だった。
「おかあさん、おなか減ったよ。早く帰ってきて」
 てるてる坊主に呼びかけるが、それはしずかに揺れるだけで、何の返事も返してくれなかった。
 三咲はお母さんが帰ってくるのを待ち続け、しばらくの間冷蔵庫に入っていたハンバーグの作り置きを食べて飢えをしのいでいたが、ある日を境に帰ってくることはなかった。


 世間に全てが知れ渡るのは、六月の中ごろになってからである。


 担任が三咲が学校に来ないことを不審に思い、家に何度も電話を掛けたが繋がらず、石神家を訪ねて行ったところ、鍵がかかっていなかった。
 玄関を開けると猛烈な腐敗臭があふれ出し、担任はかなり腐敗が進行した母親の死体を発見する。そしてようやっと事態の深刻さを知り、警察に通報するに至ったのだ。
 警察の調べで、石神家の冷蔵庫の中に人肉が発見され、また、地下室の倉庫に成人男性のものとみられる遺体を発見、衣服や所持品からこの遺体が父親のものであると発覚する。
 また、遺体に腕部や脚部がなかったことから、冷蔵庫の人肉も父親のものであると推測され、DNA鑑定でそれが証明された。

 警察は夫婦間のトラブルから妻が夫を殺害して自殺したものと判断。
 行方不明となっている娘も事件に巻き込まれた可能性があると彼女の捜索を続けたが、彼女の行方は依然として掴めていない。
 
 余談ではあるが、石神家で飼われていた犬は現在近所の住人に引き取られ、大切にされている。





「ほんとかな?」
 古いゴシップ記事と自分の記憶を交互に混ぜ読みながら、彼女はにやりと笑った。
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2012.12. 6 どこまでが本当なのか