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執着

 私・首接丹夜とはとこの首接嬉美がよく遊ぶようになったのは、確か四歳くらいの頃だった。

 その頃、嬉美はとても泣き虫だった。
 私の家で飼いはじめた大きな犬が怖くて、あいさつ代わりに軽く吠えられただけで腰を抜かしてしまって、ぎゃんぎゃん泣き出してしまうような子だった。
 それに、その当時の嬉美は少し抜けているところがあって、しょっちゅうその辺で転んでは膝小僧や鼻の頭をすりむいてばかりいた。

 私は、正直言ってこのはとこがあまり好きではなかった。

 私の方がたった二、三日早く生まれたからって、パパもママも「丹夜の方がお姉ちゃんなんだから、嬉美ちゃんに怪我させないように気を付けてね」なんてことばっかり言うし、嬉美が自分でヘマして怪我したのに、傷を作って大泣きする嬉美を見るなりいつも私を怒鳴るからだ。

「嬉美ちゃんにもしものことがあったらどうするんだ!」

 知るか。
 更にムカつくことに、人見知りが激しいのかなんだか知らないけど、他のいとこはとこのところには行かず私のところへばっかりやってくるのだからたまったもんじゃない。

 次第に鬱憤が溜まっていき、私はいつしか、「仕掛け」をつくって嬉美にわざと怪我をさせるようになっていった。
 靴の中に画鋲を仕込んでおくことにはじまり、あの子の好きなキャラクターのぬいぐるみの中に裁縫針を仕込んでおいたり、ジュースの中に乾燥剤をぶち込んでやったり、とにかくいろいろやった。

 中には引っかかるかどうか微妙な仕掛けもあったが、あいつは面白いくらいになんにでもひっかかった。
 そうして嬉美が痛い思いをするたびに、私は怪しまれないように白々しく心配をしてやった。
 傷には絆創膏を貼ってあげたし、妙なものを飲み込ませたときはすぐに吐き出させた。
 こっそり隠れて読んだ難しい家庭の医学の本は想像以上に役に立ってくれた。

「丹夜ちゃんいつもありがとう」
 私が怪我に対応する度、何にもしらないあの子は私に感謝するのだった。

 悪くない。

 嬉美が怪我すると、パパとママは私を怒った。
 でも、嬉美が怪我すると、嬉美(この子)は私に感謝してくれる。

 悪くない。

「いいの。嬉美ちゃんが怪我したら、いつでも私が手当してあげる」

 初めて、このはとこがかわいいと思えた。




 時は流れ、私たちは中学生になった。
 昔は私の方が高かった身長は10cmほど嬉美に抜かれた。
 嬉美はスタイルもよくなったし、それに、どんくささが抜けて怪我をしなくなった。
 小学校に上がるくらいまで続けていた「仕掛け」はもうすっかりやらなくなっていたから、尚更のことだ。
 
 嬉美は頭がよくなって明るくなって泣き虫じゃなくなって、私以外の友達もたくさん持つようになった。
 週末はおしゃれして街の方へ遊びに行くことが多くなった。

 その兆候は小学校の中ごろくらいからあった。
 だから、なんとなくわかっていた。

 私はそろそろ「用無しになる」。


 怪我の手当てをする私に感謝の言葉を投げかけてくれた嬉美、
 小学校で初めて会う級友になかなか打ち解けられずに私の背にかくれてばかりいた嬉美、
 毎日のように私の家に遊びに来ていた嬉美、
 刷り込みされた鳥のように私にべったりだった嬉美、
 意地悪するとすぐ泣き出してしまう嬉美、
 かわいい嬉美、
 私の嬉美。

 みんな、みんな。

 盗られる。

 いなくなる。


 どうする。

 どうする。

 どうするどうするどうする。




 ずっと彼女を、ずっと私の手の届くところに。











 二〇〇×年、七月二十九日。

 曽祖父が亡くなった。


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2012.12. 6 首接丹夜の話。