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鉄道と少年

 あれはいつの事だったろうか。

 確か、鉄道なる便利な交通機関の開通により、人々が疲れず、かつ迅速に長距離を移動できるようになったばかりの時代のことであったと思う。


 黒鉄の車は暗色の煙を次々と吐き、その車輪を休むことなく回し続けている。ガタガタゴトゴトと音を立て、大勢の人間を乗せたしゃたいを力強く引き回す。

 ――速い。

 まこと乗り物というモノは便利だ。
 賃金は嵩むが己が足で走るより速く、その上、石炭さえ喰わせておけば疲れることすらないと言うのだから恐ろしい。
 未だ行けるところなど数える程しかないが、そう遠くない未来には今より遥かに多くの地に鉄道の駅ができ、人々の暮らしをより豊かたらしめる事であろう。
 などと考えつつ、背にした窓を振り返る。

 文明開化の車窓から見えるのは、未だ旧い時代が生きている長閑な村々。遥か遠方には野良着の男女が畑仕事をしている様が見える。
 しかし、その風景は直後近景に現れた木々によりかき消された。

 進行方向を見れば、以降暫くは森が続くようである。

 ……面白味のない。
 残念に思っていると、不意に声をかけられた。

「もし、お兄さん」

 滅多にないことに僅かに驚き、声の方へと顔を向けると、如何にも育ちの良さそうな格好をした少年が一人。
「隣に座ってもいいかい?」
 賢そうなそうな顔をした少年はにこりと愛想良く笑いながら、だがこちらの答えを待たず、俺の隣にちょんと座った。

「おいおい、良いだなんて一言も言っちゃあいないぜ?」
 溜息混じりに言うと、少年はけろりとした顔で「でも断らないのでしょう?」などと呑気にぬかす。
 そりゃあ、此方にだって初めっから断る義理もないのだから当然だけれども。
 なんだか不思議な少年だ。そう思い乍ら見ていると。

「お兄さんお兄さん、のっぺらぼうは知って居るかい?」

 少年は怪訝な視線を送る俺に答えるかの如く、これまた唐突且つ妙な事を問いかけてきた。愛想のいい笑顔を顔に張り付けたままで、だ。

 のっぺらぼう、というのは十中八九間違いなく、あの顔のない妖怪の事であろう。
 文明開化で妖怪が絵空事の類として解体されつつある現代。
 年頃の少年が、今し方知り合った人物に対し妖怪話などとは、驚くやら呆れるやら、感心するやら。

「のっぺらぼうってのは顔面つるつるのお化けだろう? 勿論知ってるさ。しかしいきなりどうしたんだい」
「いやあ、深い意味はないんだ。でもね、聞いてくれるかい? あのね……」

 少年は声を落とし、そっと俺に耳打ちする。

「僕はのっぺらぼうに会いに行くんです」

 驚いて少年をまじまじと凝視する。

 少年は「内緒ですよ」と言って口の前に指を立て、怪しく笑った。
 三日月の如く弧を描く口から、チロチロと紅い舌が覗いている。
 にやりと歪んだその目の奥に佇む瞳孔は細く、まるで獣のようだ。
 ……なんだ、≪そんなこと≫か。

「いい加減戯れは止したらどうだい」
「おやおや、流石にバレちまいましたか」

 少年は残念そうに言いながら、大袈裟に肩をすくめる仕草をした。

「そりゃ、普通の人間の子供はそこまで不審じゃないからね、見ていりゃわかるさ。で、妖怪が妖怪に会ってどうしようというのさ? 同胞・・
「なぁに、単純なことですよ同胞。本を作るんです」

「本だって?」
 意外な単語に思わず大きな声を出してしまい、少ない乗客が怪訝な顔をして一斉に此方を見る。
 静かに静かに、と少年が再び口に指を立てる。

「まあまあ、兄さん。実はここだけの話なんですがね、僕は妖怪を、旧きも新しきも、洋の東西をも問わぬ世の人ならざる者共の総てを纏めた本が作りたいので御座いますよ」

「……全妖怪の目録を作ろうと云う訳か。しかしまるで人間の道楽じゃァないか」
「道楽と言われればその通り、返す言葉もありません。でも、だからこそ余計に作りたいのさね。妖怪目録……否、どちらかといったら妖怪史と言った方が目指す物に近いでしょうかね。だから今日は、その取材旅行なのさ」

 ――くれぐれも他言無用、絶対秘密ですよ。
 彼はそう釘を指し、団栗のような眼をにぃ、と細めた。

 ガタガタ、ゴトゴト。
 大勢の人を乗せ、箱は揺れる。揺れ続ける。

 何里も進んだ後、少年は荷物を纏めながら尋ねる。

「僕は次の駅で下りますよ。兄さんは何処まで行くんだい?」
「まだまだ行くさ。終点まで行ってもまだまだ先へ」
「そうですか、まあそうでしょうねぇ。兄さんはきっとそう言うと思っさよ。きっと僕なんかよりずぅっと昔から旅をしている、初めて見たときからそんな気がしていたもの。なんだか興味が沸いてきましたよ」

 いつか取材してもいいかい、そう言って少年はーー否。妖怪の全てを知らんと欲し、記し残さんとする奇特な同胞は微笑む。
 ……なる程、なかなか面白そうではないか。

 袖振り合うも多生の縁。こうして同じ列車に乗り合わせたのも、恐らく何かの巡り合わせか。
 どうせ当て所ない旅を続けてゆく身。この少年の興に付き合って何か損はあるだろうか。いや、そんな物はなにもない。

「火遠。草萼火遠だ。いつでもおいで、小さな同胞。待っているよ」

「曲月慈乃じだいです、火遠の兄さん。いつかまたお会いしましょう」

 駅が目視できる距離に迫り、列車は緩やかに速度を落としてゆく。

 ガタン、ゴトン。ガタン……ガタン。
 列車が停まる。ドアが開く。

 布の鞄を肩から提げて降りていった彼は、やがて電車が動き出し、こちらから駅が見えなくなるまでずっと。
 ずっと、手を降り続けていた。

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2012.2.6 火遠と歴史妖怪の話