怪事捜話
第十六談・双月のメッセンジャー⑤

 更に同時刻、古霊北中生徒会室にて。
「職員室方面から二階以降への人払符、並びに敵進行方向及び一階方向への面展開結界符バリケード設置完了。計算上、最低あと五分は生徒会室ここへの到着を食い止められる筈です。……花子様及び裏生徒会の皆様は一刻も早く退避を」
 既に暗い室内に集った『裏生徒会メンバー』に向けて、一ツ目ミ子は呼びかける。
「退くしかないのね……」
 報告を受けた花子さんは、浮かない面持ちで窓を覆う暗幕を開く。
 今は退いた方がいいという事くらい、彼女にもわかっていた。けれども古霊北中の"花子さん裏生徒代表"としてこのを守る責任を【灯火】に押し付けて逃げるのか? と自分を責める自分が居る。
 その迷い・・が、花子さんの決断を鈍らせていた。だが、そんな胸中なんて彼女・・には御見通しだったのだろう。バシバシと背中を叩かれて花子さんが振り返ると、そこにはムッとしたような顔の闇子さんが居るのだった。
「馬鹿、"花子さんリーダー"がそんな浮かない顔すんな! 敵さんの能力はあたしらでどうこうできるレベルじゃない、それとも留まって北中ここ渡すのか? 渡したいのか!?」
「それは、……っ、…………」
 唇をキュっと噛みしめ、花子さんは静かに首を横に振った。闇子さんはコクリと頷き、ミ子に振り返った。
「んじゃ。あたしらはこの場この時だけ離脱する。……だからあんたも無事でいなよ。ミ子」
「言われずとも」
 闇子さんたちが黒穴の異次元に消えた事を確認し、ミ子は生徒会室を後にした。そして出た廊下には、己が張った結界を前に番人のように仁王立ちする嶽木の姿がある。
「嶽木様。裏生徒会の皆様は無事に退避致しました」
「……ん。ありがと」
「敵の進行状況は?」
「この三分で十五層中六層突破。……三十秒に一層、宣言通りだね。そして情報通り・・・・隔壁を超えての攻撃はしない。本当はできない・・・・のか、敢えてしない・・・のかはわからないけど。……どの道学校の壁に穴をあける気配が無いのは幸いかな。あちらさんも大事おおごとにはしたくないらしい」
「遊嬉様と眞虚様は」
 ミ子が問うと、嶽木は首を横に振りつつも「念を飛ばしたから早くてあと数分」と答え、「また一層破られた」と舌打ちし、それからハッとしたように目を見開いた。
(……【月】の幹部ともあろう者が、こちらが花子さんたちを逃がす可能性を考慮しないとも思えない。敢えて現世物理の壁に穴をあけず、表層だけ抉り取るようにしながら向かってくるのは愚直というよりは――)
「――嫌がらせ、か」
 とある答えに辿り着き、嶽木は吐き捨てるように呟いた。しかし彼女が何に考え至ったかを知らないミ子は、怪訝そうに一つ目を細め、「嶽木様?」と首を傾げる。
 嶽木はそんな彼女に振り返り、しかし疑問の言葉には答えることなく「ちょっと行ってくる」とだけ言うと、溶けるようにその場から姿を消した。
「どういうことなのです嶽木様……」
 取り残されたミ子が呆然とそう呟くと同時に、下階の火遠から念話が入る。
『ミ子ちゃん? 花子さんと姉さんの方はどうだい?』
「火遠様……。いえ、裏生徒会の皆様は退避を完了されましたが、嶽木様は今し方どこかに行ってしまわれて……」
『そうかい。……姉さんの事だから、多分またあの二人の所だろう。ところで水祢は来ていないかい?』
「水祢様ですか? いえ、こちらには」
『わかった。それじゃあ多分あいつも同じところだな。俺と乙瓜もそっちへ向かうから、ミ子ちゃんは防御術式の方を引き続き頼むよ』
「はあ、はい……」
 殆ど一方的に切れた念話に対し、ミ子は深く溜息を吐いた。
「まったく、嵐のような方々です……」と。

 そんなミ子の胸中など露知らず、火遠は美術室の扉に手を掛けた。
「じゃあ行くよ乙瓜。途中で遊嬉と眞虚が合流するから一旦昇降口前だ」
 言うなり教室から飛び出し滑空する火遠に一足遅れ、乙瓜もまた走り出す。
「おいまて! さっきのバージョンアップってのはもう終わったのか!?」
降神こうしんね、当然もう終わってるさ。流石に十年も弄ってないと術式共有サーバーの中身も新仕様のマクロとプラグインばっかりだったけど、実装出来て使えそうな奴は全部叩きこんでおいたから期待していいよ」
「サーバー!? プラグイン!? ……何言ってるかわかんないけど兎に角すごいんだなっ!?」
「すごい上に基本的な使い勝手は前と変わらないから安心しな! さあて昇降口だ――」
 目指す二学年用昇降口は職員室を超えた先にあり、職員室には月曜会議の為に教師たちが残っている。その目と鼻の先の廊下を、火遠を追いかけるように乙瓜が走る。普段ならばその足音を耳にした教師からすぐにお咎めの言葉が飛んでくるだろうが、先にミ子と嶽木が展開した人払いと認識妨害の護符の力によって、職員室からは誰一人として出て来る様子はない。
 そんな職員室前を走り抜け、乙瓜と火遠は昇降口へ辿り着く。前庭に出て十数秒も待っていると、校門の方向から息を切らして戻ってくる遊嬉と眞虚の姿が見えた。
「こっちだこっち!」
 逸る気持ちで手を振る乙瓜は、しかし走ってくる遊嬉の背中に奇妙なものを見る。
 白っぽくてふわふわした変なもの――教室で別れたときの彼女は確実に無かった筈の何かが、遊嬉の背中に張り付いて……否、背負われていた。
「なんだあれ……。あれ……? ……あれ!?」
 呟いた後で乙瓜は気づく。その謎の白いものに、どこかで見覚えがあるという事に。それが思い違いでも何でもないという事は間もなく証明された。
「ごめん! 急いで戻って来たんだけど校門の所でこの子に止められちゃっててさ」
 謝りながら遊嬉が降ろした白いものの頭には、一対の曲がりつの。それは現在北中校内で足止めされている鬼の兄弟の頭に生えているモノによく似ていたが、乙瓜は知っている。それが山羊の角であるということを。
 遊嬉が引き続き「敵じゃないっぽいから連れて来たんだけど」と弁解する中、彼女・・は顔を上げ、横棒の形をした瞳孔を乙瓜たちに向けこう言った。
「おう、久しぶりじゃの!」
 親し気に。ひづめの形をした腕を上げて。その様子に「知ってる子?」と問う遊嬉を見て、乙瓜は思った。そうか、遊嬉が会うのは多分初めてだ、と。
 だから乙瓜は、ちょっぴりの呆れとちょっぴりの意地悪を込めて。彼女を指してこう言った。
「何だと思う? これね、神様」
「神様!? 聞いてはいたけどこんなだったんだ!?」
「……何だとはなんじゃ、折角為になるモノを持ってきてやったと云うのに……」
 神様は――神逆神社祭神・薄雪媛神はぷぅと頬を膨らませ、小脇に抱え込んだ葛篭を掲げた。
「まあいい、わし直々に幸運のデリバリーじゃ。丁度ぴんち・・・のようじゃろう……?」
 と。女神が開く葛篭の中には、夕陽を浴びてキラリと輝くものが収められていた。そしてそれを覗き込んだ乙瓜・眞虚・遊嬉の三人には、その形に見覚えがあった。否、彼女たちでなくとも日本史を一度でも学んだ事がある者ならば、それが何だか気づいただろう。
「勾玉?」
 三人が声を揃えてそう言うと、薄雪はコクリと頷いた。彼女の葛篭の中には、黒い勾玉が六つ、円を描くように収められていたのである。
「邪神退治の勾玉か!」
 ハッとしたように火遠が言うと、神はニタリと笑って「ああ」と答えた。
「大分大分昔の事じゃが、ここいら一帯を支配していた悪神を退けるに際し、儂らの一族がたまわった守りの神具じゃ。天津神アマツカミの技術で有り余る魔除けの力が込められておる――まあ退魔宝具の類と思ってくれてかまわんよ。これとアレとソレがあれば、上の二匹を退けるくらいは・・・・・・・・・・・・易かろう。ま、詳しい説明は後じゃ。時間が無い・・・・・のじゃろ? 急ぐぞ」
 言ってトコトコと走り出した神に火遠が続く。乙瓜らもその後を追って走り出す。その中で、遊嬉は一人何か納得したように頷いていたが、状況が状況だけに誰も特に気にすることは無かった。
 敢えて結界を敷いていない東階段を駆け上がる途中、叫ぶように眞虚が言う。
「……ねえ乙瓜ちゃんっ! 上の二匹とか時間が無いとか、念話で聞いてた私たちは兎も角なんで神様が知ってるの!?」
「神様は心が読めます! 以上!」
「簡潔っ……!」
 恐ろしく簡潔ながらも『神様は』と付けるだけでそれもありかと思わせる説明に、眞虚は思わず壁を叩いた。……と同時に思った。
 神様は心が読める。……ならばつまり、校門から昇降口までの間に己の現在の状態を見透かされているのではないか? ――と。
(ううん、もしかしたらもう稲荷の神様から聞いて知っているかもしれない。……けれどどの道気づかれているとしたら、この二人・・・・にまで知られるわけにはいかないんだ……)
 眞虚は己の現状を知られることで他者に心配をかける事を恐れていた。そして何より、知られることによって気味悪がられることを恐れていた。
 全ての根源ともいえる、悪魔の卵を宿すに至った誘拐事件の後。彼女の親戚は不可解な経緯で生還を果たし、尚且つ目に赤い輝きを宿した眞虚を気味悪がった。――家族すらも。直接的な言葉こそなかったが、事件後に見た困惑の表情と盗み聞いてしまった伯父との電話の内容は、彼女を深く傷つけた。

『――不気味だなんてそんな、……母親おやの私だって幾らかは思うけれど……、だけど……!』

 会話の断片。それだけで十分だった。だからそれを補うように、眞虚はより一層『良い子』であろうと努めた。恐れられないように良い子であろうと努めた。
 努めて、努めて。やっと殆どの人間に何も言われなくなったというのに。忘れかけていた『悪魔との契約』は彼女の身体を突き破り、彼女を人ではないモノに変えた。
 ……だからもう、誰にも知られるわけには行かなかった。怪事に出会い、『多少の変わった所』くらいは気にしないであろう美術部の仲間たちにもだ。
 もしかしたら、既に妖怪や幽霊たちとも気軽に付き合っている彼女たちなら。己の秘密を知られたとしても、依然として同じ態度で接してくれるかもしれない。……だが。
 知られたときに向けられる瞳が、あの時親戚が見せたような瞳だったら? ……そう思うと、眞虚はそれ以上何も言えなくなってしまうのだ。
 杏虎には既に見られてしまった。メリーさんを救うためその選択をした事については後悔していないが、目がいい・・・・杏虎は、既に眞虚の正体・・に辿り着いているだろう。

 誰かは救いたい。けれど誰にも見られたくない。出来れば人間を完全に止めたくはない。不安で怖い。誰かに助けてほしい。……だけど誰にも知られたくない。
(お願い神様、お願い杏虎ちゃん。私の事を知ってしまったすべてのひと。お願い誰にも言わないで……)
 祈りながら走る眞虚は知らない。すぐ前を行く乙瓜が、既にそれを知っている事を――。

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