怪事捜話
第十六談・双月のメッセンジャー①

 日月はめぐり、時は淡々と進む。
 あの日――アンナ・マリー・神楽月の襲撃から二ヶ月。北中では九月の臨時休校によって延期されていた合唱祭や諸々の行事が無事執り行われた以外は特に何事もない、平凡で平穏な時間が流れていた。
 だが美術部は、そんな平穏の中に不気味さを感じずにはいられなかった。相も変わらず時折届く小さなオカルト依頼をこなしながらも、心の片隅には常に不穏の影が寄り添っていた。
【月】は、【月喰の影】は必ず再び訪れる。いつか――だが必ず、確実に。
 嵐の前の静けさのような、殆ど何事もない日常のが流れる中。季節は北風吹きすさぶ冬へと変わっていた――。

「んでさ、ここまで何もなく時が過ぎると、あたしとしてもいい加減そろそろじゃないかなーって思うワケよ」
 毎年恒例マラソン大会の行われた翌日日曜日、戮飢家遊嬉の部屋にて。読みかけの漫画本やぬいぐるみの類が散乱するベッドの上でそうぼやくと、遊嬉は特に意味も無く天井に向けて両手を伸ばした。そうしながら彼女がふと目を遣った先には、冬でも瑞々みずみずしい緑の葉を頭から生やす嶽木の姿がある。
 遊嬉が特に言う必要もないかと判断したため美術部や他の友人たちは知らない事だが、去年の七月以降、遊嬉と嶽木は週に数日は一緒に暮らしている。そしてその事は遊嬉以外の戮飢の家族にも気付かれていない。そもそも嶽木が姿を消せるのと、食料は持参している事が主な要因だ。
 そうした理由で、遊嬉は嶽木に【灯火】や【月】【青薔薇】にまつわる情報を聞き出す機会が多かった。恐らく、今現在では美術部の他の誰よりもあちら側・・・・の情報を知っている。だがその全てもまた秘密にしたままだ。今はまだその時ではないと、遊嬉はそう思っている。
 さて、遊嬉に情報を与えた嶽木の方はというと。先程から遊嬉に背を向けたまま、手にはゲームのコントローラーをしっかりと握り、迷いのない動きで淡々と画面ゲームの中の怪物を倒しまくっていた。それは彼女が遊嬉と契約した頃に勧められて始めたゲームであり、今ではすっかり遊嬉より上手い。
 そんな彼女をじとりと見つめ、遊嬉は言った。
「そっちもそんな感じで大丈夫なわけですかー? ねー、嶽木さーん? もしもーし」
 大丈夫とは無論の事、鳴りを潜めたままの【月】に対しての事だ。遊嬉がそれを問い、上げたままだった手をぽふんと落とすと、嶽木は画面から目を逸らさぬままに「んー」と唸る。
「大丈夫ってことはないけど、ちょっとうちの本部と各支部で術式作ってる最中。……といっても、【月】の末端が各地の妖怪を例のダーツで襲撃する案件の対応で、進捗しんちょくはあまり順調とは言えないようだけれど」
「ふーん……。大変じゃん」
 遊嬉は少々眉を寄せ、手近なぬいぐるみをぎゅっと抱き寄せた。嶽木は視線はそのままにコクリと首を振ると、思い出したかのように「そういえば」と呟く。
「今年の神議かみはかりの合間に神逆かむさかの神様が色々と申請してくれたみたいで、あと少ししたら何かしらいいものが北中に届くらしいよ」
「いいもの?」
 言葉を反芻した後、遊嬉は徐々に明るい表情を浮かべた。よっ、と体を起こし、ワクワクを抑えられない調子で改めて言う。「いいものって!?」と。
 そこで初めて、嶽木は遊嬉の方を見た。ゲームの方は恐らく中断したのだろう、体ごと遊嬉へと向き直ると、「詳細はまだ知らないんだけど」と前置きしてからこう続けた。

「多分、遊嬉ちゃんたちにとってプラスになるものだよ」と。



 一方、その頃。【月喰の影】では。
「あらあらあら。折角可愛く作った顔が台無しだわ。可哀想にね、可哀想」
 鉄の重いの扉を開けて、葵月あおいづきかずらはニタリと笑った。その視線の先には拘束衣を着せられ、更に念押しのように何らかの術式の施された護符を貼られている、アンナの無様な姿があった。
「……いつも気分最悪なときに現れるね、葵月のあねさんは」
 扉から覗く見下した笑顔を睨み付け、アンナは一つ舌打ちした。
 先の失敗――偵察でも牽制でも無く、古霊北中学校の裏生徒代表格・花子さんを陥落させるという任務を果たせなかった彼女に与えられた罰は、半年間の禁錮きんこであった。
 物理的にも呪術的にも拘束されたアンナは、唯一動かせる頭で己の失敗を回想しては屈辱に歯軋はぎしりし、雪辱への意欲を燃やした。蘰はそんな彼女の様子を週に数回覗きに来ては、決まって嫌味や嘲りの言葉を残して去っていく。それがここ二ヶ月ばかりの"お約束"であった。
 そもそもがアンナの直接の上司であった蘰としては、アンナの失敗を受けて諸々の面倒事が己の所に回って来た事が随分と不服らしく、こうして事あるごとに鬱憤うっぷんを晴らしに来るという訳である。
 だがしかしその日葵月が口にした言葉はというと、普段の嫌味ではなく。
「喜びなさい神楽月。あんた今日から自由の身よ」
「なんですって……?」
 アンナは耳を疑った。自由の身、とは? と。刑期が明けるまでまだ長いものと考えていた彼女には、一瞬その言葉の意味が分からなかったのだ。
 蘰はぽかんとした表情を浮かべる部下を小馬鹿にするように肩を竦め、いつも覗き込む止まりだった独房の中に踏み入ると、未だ身体の自由のないアンナの隣に屈みこみ、その耳に囁きかけるように手を立てた。良く聞きなさいとでも言うように。
「あんた、あのダーツおもちゃ作っておいて良かったわねぇ。アレのお陰で灯火どもが大霊道について割ける人的リソースは大幅に低下し、何かしら術式を構成しようとしてるらしいけれど……それについても進捗が思わしくないみたいね。うふふ。……だから、マガツキ様からあんたに恩赦が出たのよ。だから今日で釈放」
 そう言って、最後に嫌味ったらしく「あんた使い捨ての有象無象バイトじゃなくて良かったわね」と付け加えると、蘰はアンナに施された拘束を黙々と外し始めた。
「古霊北中学校攻略の進捗状況は」
 徐々に自由になる身体を起こしながらアンナが問うと、蘰はゆっくりと首を横に振り「全然よぉ」と答える。
「この二ヶ月何もしていなかったと?」
「暫く何もせずに泳がせておいた方が面白いだろうって、まあ、いつものマガツキ様の遊びだわね。まあ、あの玩具に対抗できる手段はごく限られてる上に手間がかかる方法しかないのだから、それこそ『灯火・・』が星の種の力を使われない限りは大丈夫。事はこちらの優勢に進む」
 蘰は事も無げに言うと、アンナの拘束衣のベルトを外しにかかった。
「星の種の力ね……。マガツキ様には本当にそれを使われない自信があるのかしら」
「さあて、それはあたしたちが預かり知る処ではないわねぇ。でもまあ、あの方には確信があるようだから。妾たちはそれに従うだけね……っと」
 短く声を上げ、蘰はアンナの拘束を完全に解除した。
 二ヶ月ぶりに漸く立ち上がる事の出来たアンナを見て蘰はどこか含みのある風に笑い、そして言った。 「お勤めご苦労様。現在時刻からあんたは自由の身だけれど、残念だったわね。あんた古霊北中の案件については担当を外されてるのよ」
「……なんですって?」
「嫌だわぁ、独房行きになっていたんだから当たり前じゃない。でも安心してね神楽月、西で暇を持て余してた子が新しく任命されたから」
「西……? まさか関西方面の!?」
 心当たりに目を剥くアンナに微笑み、蘰は「ええ」と頷いた。

「あの子たちが来たのよ。叩き上げながらも我が【三日月】最凶の能力を持つ、あの双子が」



 同日深夜、古霊町北・神逆神社境内けいだいにて。拝殿前に下げられた鈴が、人も風もないのにひとりでに揺れ、カラカラと乾いた音を立てた。
 その鈍い音はしかし、本殿に座す神逆神社祭神・薄雪うすゆき媛神ひめのかみの耳にしっかりと届いていた。願いも乗せず、風の悪戯でもなく、ただどこか不穏な色を含んだその響きを聞きつけて、小さな神は境内へと走る。
 古霊町北東部でもとりわけ高所に位置する神逆神社の境内からは、明るい時刻であれば古霊北中学校くらいまでなら悠に見渡す事が出来る。薄雪はそんな場所で夜闇を睨み、町に近づきつつある異物の気配を探っていた。

 その気配を感じ取っていたのは、何も薄雪だけではない。

 同刻・古霊北中学校図書室。窓から徐々に満ち行く月光が差す中、【灯火】本部からの伝達通りに未完成な術式を書込んでいた一ツ目ミ子は、北東から流れ込む嫌な気配に顔を上げた。
 人で無きもの、それも妖怪アヤカシをしてと思わせるようなそれを感じ取り、彼女は二ヶ月に渡った仮初の平穏の終焉を悟った。
「来ますよ火遠様、丁丙大師匠。防御術式も未完成なまま、次なる【月】の従僕しもべが……」
 呟き、未だ不完全な術式の進捗分を記録媒体オフダに保存し終えると、彼女は溶けるように姿を消した。



 夜闇の中に紛れ隠れ、彼らはそこに立っていた。
 頭に二対の角を生やし、丑寅の方角より現れ出るモノ。
 空よりの月光を金の"三日月"で跳ね返し、彼らは古霊町を見つめていた。

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