怪事捜話
第十五談・新解心海リメンバー②

「直接顔を合わせるのは初めましてだね、魔法使いちゃん。……でも駄目じゃないか、学生は授業時間の筈でしょ?」

 アンナはその視線の先に魔鬼を捉え、おちょくるように言いながら校舎に向かって歩き出す。

「まぁいいわ。アタシはアンナ。アンナ・マリー・神楽月。【三日月】関東地区総括部隊副長。人形師ドール・メーカー人形使いパペット・オペレーター。よろしくね?」

 頼まれてもいない自己紹介をしつつ出来のいい・・・・・笑顔を浮かべるアンナとは対照的に、魔鬼は強張こわばった表情を浮かべた。
 彼女の中に渦巻くのは、よりにもよって今この時に明確な敵に遭遇してしまった事に対する怒りと焦り。
 幸いなのは、何かあった時の為・・・・・・・・にと、杖代わりの定規をスカートのポケットの中に携帯していた事くらいか。
 だが雨と連動するような頭痛は未だ継続中で、遠からず発生するだろう戦闘に差し障る事は必至。
 せめて頭痛薬を飲んだ後であれば、と思うも、この状況でアンナに背を向け保健室に走るわけにもいかない。
 魔鬼は己の間の悪さを呪いつつ、せめてとばかりに精一杯の敵意を込めた視線を投げつけてやった。

「……予告状なんか寄越して何のつもりだ」

「ああ、アレ読んでくれたの? ありがとう。ということは、もしかして他の美術部の子も授業を放棄してアタシに備え、て、た、り?」

 わざとらしく語尾を上げたアンナの問いに、しかし魔鬼は答えない。
 それは正しい判断だった。例えこの場で嘘を吐いたとしても、そもそもが単騎で敵地に乗り込んでくるような奴には何の意味も成さないし、正直に答えて美術部の中で動けるのは自分一人であると知られるのは悪手だ。
 だから魔鬼は答えない。黙したまま定規を取り出し、只戦意があるという事だけを示した。

「質問にだけ答えろ。手紙なんて寄越して何のつもりだと訊いたんだ、私は」

 脳が脈動するような鈍痛をこらえ、魔鬼は淡々とアンナ告げた。
 怯む素振りも見せず昇降口の内部に侵入したアンナは、欠け曲がりの月が刻まれた作り物の瞳を怪しく輝かせ、ニィと口角を上げた。

「花子さんに話があるんだよ。古霊北中このがっこうの代表格でしょう、彼女。手紙の事は――送った方が心構えが出来るかなと思って」

 白々しくそう言って、アンナは「お分かりかい?」と人差し指を立てた。

「……花子さんを壊す・・つもりか」
「返答によっては」

 静かな怒りを内包した魔鬼の言葉にそう答え、アンナは全身をカタカタと震わせた。
 比喩ではなく彼女の作り物の――人形の関節が、堪え笑いに連動してカタカタと鳴っているのだ。

「何がおかしい!」

 怒鳴る寸前の声で魔鬼が言うと、アンナは「いや、いや」と、さも可笑しそうな色を含んだ声で言った。

「君は何か勘違いしているみたいだけどさ、アタシは別に戦いに来たわけじゃあないんだよ。ただ、先日の件で我々方の武器の威力とめんどくささ・・・・・・については十分理解してもらえたと思うから、交渉に来たんだよ」
「交渉だと?」
「そう。交渉」

 訝しむ魔鬼にコクリと頷き、アンナは続ける。

「そんなに難しい事じゃあないよ。先日みたいな事をまた起こされたくなかったら、古霊北中に関する霊的な支配権を我々に譲渡し、大霊道を管理しようとする【灯火】の手のモノを追放するのに協力してほしい、とそうお願い・・・しに、ね?」
「……っ、そんなのは交渉とは呼ばない! まるっきり強迫じゃないか!」

 とんでもない事を言いながら悪く思う様子もないアンナに、魔鬼は遂に大声を返す。
 けれども人形の女は黙らない。相変わらずの調子で再び口を開く。

「何を君がムキになることがあるのかな? そもそも世の中の大抵の学生にとったら学校妖怪なんていてもいなくても分からないもので、彼らがどうなったところで君たちが勉学を修めるのには関係ないんじゃないの?」

 それにだ、と、アンナは立てた人差し指の銃口を魔鬼に向けた。

「そもそも、我々が北中ここをどうしようとどうしまいと、どこかの国の偉い人がボタンを押せばいつ何時なんどきだろうが日常が吹き飛ぶ可能性を秘めているワケじゃない? だけど君たちはそんな状況には不安も抱かず、【月喰の影】我々だけを分かり易い悪者に仕立てあげて正義のヒーローを気取るの? そう思ってるんだとしたら、それは小説・漫画の読みすぎ、ゲームのやりすぎ、空想のしすぎだよ。君たちの大ボス・【灯火】のやろうとしてる事は、所詮奴らのエゴ――」
「論点をずらすな! 話のスケールを大きくしたところで惑わされないからな!」

 最早もはや近くに職員室がある事など気にしない声量でアンナの言葉を遮った魔鬼はしかし、頭の片隅で思ってしまった。
 アンナの言っている事は、存外正論なんじゃないか、と。
 ……だが、だからこそ。そんな自分を否定する為に彼女は声を張り上げるしかなかったのだった。

 アンナはそんな魔鬼を見て溜息一つ、次いで人形の関節をカチカチと鳴らせて肩慣らしするように動かすと、ほんのちょっぴり残念そうに「決裂だね」と呟いて……それから再びニヤリと笑った。

「アタシの言葉に寄り添う気が無いなら仕方ない、魔法使いちゃんにはここで倒れて貰おうかな!」

 彼女が愉快げに腕を広げると同時、周囲一面の景色が塗り替えられる。
 面は白く、角は黒く。壁も、床も、窓も、扉も。全ての景色が白いキャンパスに描いた線画のように変わっていく。
 影は存在しない、遠近を見失うような徹底したモノクロ世界。それがアンナの展開する妖界だった。

 芸術的アーティスティックにして不自然で不気味な世界に包まれて、モノクロ以外の色を持つことを許された二者が相対する。
 魔鬼は既にこの程度の空間変異には動じる事無く、定規に魔力を込めて五つの小魔方陣を己の周囲に生成・使い魔を召喚する。

「往け!」

 短くも力強く命令を下すと、使い魔たちは放たれた矢のようにアンナ目がけて飛んでいく。
 魔鬼自身は特にこれとしてイメージしていたわけではないが、野球ボール大の彼らのスピードは剛速球のそれを遥かに上回って秒速380メートル、拳銃の弾丸にも匹敵するものだった。
 しかしアンナはそれらの特攻・・を軽々と避け、左の手指を魔鬼に向けてかざすと、そこから何か――本物の弾丸を射出した。
 指先の弾丸フィンガー・バレット。アンナ自身がその技の名を宣言する頃には、その全弾が炸裂済みであった。
 白黒世界の一部が崩れ、真っ白い砂埃が立つ。
 全弾命中であった。
 だが次の瞬間、砂埃を引き裂くように紫色が弾け、光線銃となってアンナの右頬を掠め、表皮を僅かに削る。

「ふーん、バリアも張れるわけか」

 血の出ない傷口に指を這わせ、アンナが眼球を向けた先で、弾丸の命中を受けつつも殆ど無傷の状態の魔鬼が立ち上がった。

「思いの外強いじゃない?」

 さして驚いた風でもなく、寧ろうきうきとした様子で問うアンナに、魔鬼はチッと舌打ちをした。
 彼女の算段では、一度目の使い魔突撃はおとりであり、それによって予想される反撃によって倒れたと見せかけての奇襲で僅かでもダメージを通す予定であった。
 だが現状その思惑は外れ、アンナは殆ど無傷の状態である。

(どちらかと言えばあの弾丸の威力を削ぐ魔法でこっちの方が消耗してる……ほんの数秒撃ちあっただけなのに……!)

 マズイ、と思いつつ、魔鬼は思う。
 去年の今頃の時期、遊嬉はアンナの撃退に成功したという。
 あの友人がさも楽勝であったかのように語るアンナと、今現在相対しているアンナは、本当に同一人物なのだろうか?
 実力を隠す為に撤退しただけなのか、それとも遊嬉が規格外なのか……と。

(……いや、何故の理由を考えたって仕方ない。今はこの強敵・・にどう対処するか、それを考えなくちゃな……)

 焦りと共に思い出したようにうずく頭痛に、魔鬼は更なる舌打ちを重ね、眉間に皺を寄せた。
 アンナはその様を愉しむように見つめ、余裕を見せつけるように腕を組んでいる。
 攻撃の態勢ではない。余裕を見せつけるようなその態度に苛つきつつ、しかし魔鬼は一つの事を思いついた。
 真っ向勝負では勝ち目がない。だが、今日アンナが現れた目的からすれば、状況的勝利に持ち込む方法があるではないか、と。

(賭けだ……だが、やってみるしかない)

 己の内に渦巻く熱を逃がすように息を吐き、魔鬼はアンナに言った。

「今日は……あの危険なダーツ・・・とやらは持ってるんだよな?」
「? ええ、勿論よ」

 アンナは小首を傾げると、どこからともなくそれを取り出して見せた。
 毒々しいショッキングピンクの体に、申し訳程度の黄色いの付いた、チープな玩具の見た目をしたダーツ。
 妖怪の中に宿った人間のような心だけを破壊し、淡々と化け物としての役割だけを果たすようにする悪魔の発明。
 それを得意げに掲げたアンナは、誰に求められるでもなく勝手に説明を始めた。

「これは大霊道の瘴気の研究を進める中で生まれたの。元々我々は十年前の時点で北中大霊道を奪取し、その力を完全に開放するつもりでいた。けれどももう少しで開放というところで不具合が生じた。それは瘴気による暴走。大霊道が本来のの状態として蘇った場合に噴出する瘴気濃度は、概念として復活している現状の何百倍にも登る。すると精神力の弱い霊・妖怪アヤカシは、活性化しすぎて暴徒と化す事が判明したの。それでは我々の理想とする世界・・・・・・・・・・が実現しない。故に我々は、一時的に大霊道の完全開放を断念した。……邪魔者に入られたのもあるけれどね」

 アンナはダーツをくるくると回し、更に続けた。

「我々は大霊道の瘴気の研究をする必要があった。君たちは、度々ここを訪れては、けれども本気を出して大霊道の奪取にかからなかった我々に疑問を持ったことはなかった? その答えがこれ・・。今すぐに、とは言えない事情があったのよ。あとはまぁ、嫌がらせ。……そして十年の歳月をかけて、アタシは大霊道の瘴気に我が軍勢を適応させる方法を確立させ――副産物としてコレの発明に至ったのよ。君たちの観察結果からヒントを得てね」
「私たちの行動……?」

 眉を顰める魔鬼に満面の笑みを向け、アンナはコクリと頷いた。

「"ひきこさん"の件は興味深く観察させてもらったわ。それであの時ね、思いついたの! それまで我々に対する瘴気の影響を克服する事ばかり考えていたけれど、過活性が暴走を引き起こす事自体は何かに使える! って」

 うふふと笑いながら再びカタカタと全身を鳴らすアンナを見て、魔鬼は全身の毛が逆立つような感覚に襲われた。

「そんな事の為に……?」

 魔鬼は言う。「そんな事の為に、エリーザを……?」と。その声は震えていた。
 恐らくは、否、確実に。怒りのために。

「そうよ」

 アンナは事も無げにそう答え、「それ以上に何があると?」と首を傾げて見せた。

「あの赤マントの子だけじゃあないわ。我々に反抗する者、与する意思のない者は、将来的に全てああなる・・・・人間達ヒトの居る世界に味方して同情して悲しむくらいなら、心を砕いて害獣にんげんの頭数減らしに協力してもらった方が幾らか有益だもの。……まぁ、己の根幹に関わる処が壊れているわけだから、そんなに長持ちしないけれどね。一投あたりの生産にも時間がかかるし、完全に嫌がらせ向けかな」

 そう言ってアンナが笑う。――そこが沸点だった。

「よーく分かったよ。これから先お前らが何を主張しようと、絶対的に私の敵であるって事がッ!」

 瞬間、紫の光がほとばしる。黒梅魔鬼の魔力光が。
 まるで爆発するように拡散したそれを前に、アンナは一瞬だけ驚き怯んだ。

(このむすめ、どこでこんな魔力を……!?)

 衝撃と知的好奇心から成る疑問が、アンナ・マリーに隙を生む。コンマ一秒あるかないかの隙。だが、魔鬼にはそれで充分だった。

穿つ暁星のヘオス・アステル……――」

 魔力光が形成した魔法陣の中で、新たに召喚された一体の使い魔が大口を開ける。
 その照準はアンナの左手。ダーツを掲げる左手だった。

(まさか、狙いは――!)

 人形の瞳が見開かれる。その思考の一瞬前には、既に光線は放たれていたのだ。

「――稲妻アクティースッ!!」

 攻撃の宣誓より早く、紫の雷光がアンナの左手諸共にダーツを粉砕する。
 そう、それが魔鬼の狙い。そして状況的勝利条件。
 ダーツさえ破壊してしまえば、アンナの花子さんに対する強迫手段は失われる。
 アンナ自体も強敵である事には違いないが、ダーツ無しの条件ならば北中の学校妖怪も不安なしに戦う事が出来るし、美術部の仲間だっていずれ行動可能となる。総力戦に持ち込めれば撃退の望みはある筈だ……!

 魔鬼はあの状況下でそう考え、敢えてアンナに語らせるように仕向けた。
 直接顔を合わせるのは初めてであるとはいえ、初めの数分の遣り取りから、彼女が基本的に語りたがりの性分である事は想像に難くない。
 故に、あの状況で敢えて更なる反撃に出ず、語りたがりが語りたくなるようにと誘導したのである。

「他人の心をどうこうしようとするくせに、自分の心を制御出来なかった事があんたの敗因だ」

 ふうと一息つきながら魔鬼は言う。
 かっこつけてはみるものの、負担を顧みず最短且つ最大出力で魔法を行使した反動で、体力は既に限界だった。
 アンナはというと、そこから先の失われた左手首を見つめて暫し呆然とし……それからニィと、邪悪に頬を歪ませた。

「なっ……!?」

 驚く魔鬼を見遣り、アンナは言う。

「アタシから一本取るとはやるじゃない。だけどね、……うふふふふふ! あーおかしい。だって、そうじゃない」

 コツコツとヒールを鳴らし、アンナは疲労困憊の魔鬼へ歩み寄る。じわじわと、追い詰めるように。追い込むように。
 やがて魔鬼の目の前まで辿りついたアンナは、鼻と鼻とがぶつかる程の距離にヌッ顔を寄せて、悍ましく愉快げに歪んだ表情を見せつけるようにしながら……言った。

「ダーツが一投しかないって、誰が決めたのかなァ?」
「……ッ!」

 まさか。まさかまさか。魔鬼の顔面が青褪める。
 アンナは真正面からそれを見つめて更に嬉しそうに頬を上げる。

「確かに一投あたりの生産にも時間がかかる、とも言った。だけどそれは平均的な工業製品に比べたらの話。……いいこと教えてあげようか。今日のアタシは、これを六投持ってきた・・・・・・・・・・。言ってる意味わかる?」

 煽るように「ねえ、ねえ」と言いながら、アンナは残った右腕で魔鬼の顎下を愛おしそうに撫でた。子猫を撫でるように。
 ……だがその指先は弾丸だ。魔鬼は背筋に冷たいものを走らせながら答えた。

「あと五つ、ある……」
「ぴんぽんぴんぽーん。正解正解。でもね、微妙にハズレ。アタシが訊いてるのは、どうしてこんな事を君に教えたかって事なんだよ、魔法使いちゃん。お分かりだよね?」

 指先はあくまで愛おしそうに魔鬼を撫でる。柔らかで無防備な喉元に、五つの銃口を突きつけながら――。

「君は今日ここで終わりなんだよ?」

 不自然なまでに無邪気な笑顔を浮かべ、アンナは恐ろしく優しい声音で告げた。

(ふざけんな……こんなところでこんな奴に殺されてたまるか……!)

 明確な死刑宣告を受けた魔鬼はしかし、僅かな望みをかけて己の中に残るなけなしの魔力を練り始めるものの、魔力不足から来る眠気と気圧から来る頭痛がそれを阻害する。

(くそが……)

 心の中で可愛くない悪態を付きながら陥落しつつある魔鬼の身体は、しかし次の瞬間動き出すことになる。

 理由は三つ。
 一つは、「魔鬼!」と。叫ぶ声が聞こえたから。
 二つ目は、それが花子さんの声であると気づいたから。
 そして三つめは――

「へえ、アタシの妖界に割り込んで助けに来たんだ? でも、それはそれで好都合」

 アンナが己にかけた手を離し、花子さんに向かってダーツを投げようとしたのが見えたから。

(いけない、それだけは――)

 思った瞬間には、魔鬼の身体は動き出していた。
 彼女の目にはアンナが振りかぶった手と、飛んでいくダーツ、怒りと驚愕をい交ぜにしたような花子さんの表情、その一つ一つがスローモーションのようにゆっくりと映った。
 果たしてそれは彼女に残ったなけなしの魔力の賜物だったのか、それとも交通事故の際にしばし起こると云う脳の誤作動だったのか。
 全てが鈍重になった世界で、魔鬼は花子さんへと向かうダーツの射線上に立ち塞がり……その直撃を受けたのだった――。

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