怪事捜話
第十四談・メリー・メリー・コールミー③

 都市伝説・『メリーさんの電話』とは、おおまかに云えばこんな怪談である。
 ある日「メリーさん」を名乗る知らない相手から電話がかかってくる。メリーさんは「○○にいる」と居場所を告げ、電話が切れる。それから度々似たような内容の電話がかかってくるが、電話を取った者はメリーさんの居場所が少しずつ自宅(或いは自分のいる場所)に近づいてきているのに気づく。
 恐れをなして電話口で怒鳴ったり、何故こんなことをするのかと問いかけても特に反応は無く、電話線を抜くのも効果はない。メリーさんは着実にじわじわと近づいてきて、そして最後には――。

「知っての通り『あなたの後ろに~』って続くのさ」
「振り返るとどうなるんですか?」
「んー、それは企業秘密だからおしえなーいよー。だけど最寄りのメリーさんによっては違う結果になるかもだから、いろんなところで電話待ちしてみてね~」
「なるほど……バリエーション……」
 語るメリーさんに、眞虚は興味深そうに頷いた。
 机上では既にだし汁がグツグツと音を立てており、投入された肉や野菜がグラグラと煮込まれている。
 肌寒さを覚える季節、ごく一般的な民家の居間で鍋を囲う怪談の者たち。只でさえ"口裂け女"、"ひきこさん"と豪華ラインナップであったのに、更に"メリーさん"が加わると聞いた時は流石に驚いた眞虚であったが、今やすっかり馴染んでしまっている。
 今この場に居るメリーさんは、狩口のふるい友人であり、過去に眞虚たち美術部の前に姿を現した複数の場所で語られる怪異と同様に、この「古霊町近辺で活動するメリーさん」である。ひきこさん時代の燈見子とも面識があるらしく、顔を合わせるなり「イメチェンした?」と首を傾げていた。
 人を襲う(?)都市伝説のくせに初めて顔を合わせる眞虚にもフランクな態度で、簡単な自己紹介を兼ねて嬉々としてメリーさんの怪談を聞かせて今に至る、というわけだ。
「それにしても狩口さん、あと一人来るなら教えてくれても良かったんじゃないですか?」
 ちょっぴりの不満混じりにそう言いながら、眞虚は狩口に視線を向けた。丁度灰汁あく抜きをしていた狩口は、苦笑いして「ごめんねぇ」と返す。
「この子ったら直前まで『行けたら行く』なんてハッキリしない事言ってたから……でも来る気になったら確実に来れちゃうでしょ? メリーさんだもの」
「メリーさん……なるほど……」
「他所のメリーさんは知らないけど、電話をかけたところに確実に移動するのがこのメリーさんの能力ってわけ。オカルト的には嫌な能力だけど、買い出しの時に距離とか道路状況とか全然考えなくていいのはほんっと便利よねえ……」
 しげしげと頷く眞虚に田舎住まい主婦の小言を呟き、狩口はハァと溜息を吐くのだった。
 一方のメリーさんはというと、「別に便利な事ばかりじゃない」と否定しながら壁際に置いたハンドバッグを開き、その中から何かを取り出した。パカと小さく子気味のいい音を立てて開かれたそれは、二つ折りの携帯電話であった。
 それを見て、狩口はやや驚いたように言う。
「あらケータイ買ったの? あんた自分の能力で電話要らずじゃない」
「必用だったの! だって【メリーさん能力】じゃメールとかできないんだよ!?」
「なんだ、あんたメールする相手いたの」
「居るし! 失礼な……」
 茶化すような狩口に、メリーさんはその口をへの字に曲げると、ぷくりと頬を膨らませた。
 その様を傍から見ていた眞虚は、「狩口さんにもこういう対等な・・・やり取りをする相手がいるんだなあ」と考えていた。
 考えてみれば当たり前の事ではあるが、美術部を前にした時の狩口は怪談的存在である事以前に「一人の大人」として振る舞っている。故に、こんな風に子供っぽく・・・・・誰かと話す狩口を見た眞虚は、それを新鮮だと感じたのであった。
(それにしても、学校の外のオバケもこういう風に仲良かったりするんだなあ)
 感心しながら眞虚が見つめる先で、メリーさんは狩口に言う。
「……っていいますかかりぐっちゃん・・・・・・・、今日のぼるくんどうしたのさ」
 登くんとはもはや言わずもがな、狩口梢の夫である。
 唐突に出されたその名に、狩口は一旦目をぱちくりとさせた後、「そのことか」と答えた。
「登さんはお仕事。休日出勤。県北けんぽくの方の橋のメンテ」
「ふうん」
 メリーさんはそっけなく頷きながらケータイをバッグの中に仕舞った。
 そんな彼女とは対照的に、眞虚は興味ありげな瞳で狩口に問う。
「橋のメンテナンス……ですか?」
「うん、まあ道路橋メンテナンスとかそんな感じの仕事なのよ。どこかで見かけたらよろしくね」
 狩口はそう答えつつ鍋の中の大根の様子を確認し、「そろそろ良い感じ」と火を止めた。つまみがカチリと鳴る音に、暫く手持無沙汰にしていた燈見子が顔を上げる。
「それじゃあ分けますか?」
「うん、もう分けちゃっていいと思うな」
 親類怪異二人は短く言葉を交わし、眞虚の分から手際よく分け始める。その様子を途中まで黙って見ていたメリーさんは、急に何かを思い出したようにハッとして、それからがっかりしたように肩を落とした。
「あーー、そうだー、折角鍋やるなら闇鍋したかったんだよなー。わたし」
 すっかり忘れてたと嘆くメリーさんに、狩口は苦笑いを返す。おたまを持ったままの燈見子はハアと溜息を吐き、「他人ヒトの快気祝いに何しようとしてんですか」と正論を唱える。
 そんなカウンターパンチに頬を膨らませ、しかしメリーさんは「そうだけどさ」と弁明に出た。
「そうだけどさーーあーーー? だぁってここしばらく時々電話かけては特に知らない相手の所おもむくだけのスンゴイつまらない生活してたんだもん~。なんか、なんかこうパーーっと面白い事ないかなーーって、思ってたりしてたりしたわけーーーー」
 駄々っ子のように言いながら炬燵に腕をうずめ、猫のように背中を丸める彼女の前に取り皿を置きながら、燈見子はやれやれと頭を振った。狩口も乾杯用の烏龍ウーロン茶をグラスに注ぎつつ呆れ顔だ。唯一、この場只一人の人間にして主賓しゅひんたる眞虚だけが、真面目な表情で顎に手を当て、「面白い事か……」と呟いている。
 そんな眞虚の様子に気付き、狩口は烏龍茶を渡しながら小声で助言する。
「真面目に考えなくていいのよ眞虚ちゃん。どうせあの子の思い付きのワガママだから」
「え、あっ……はい……?」
 グラスを受け取りながらぎこちなく頷き、眞虚は改めてメリーさんの方を見て……、幸か不幸か、そこでピタリと目が合ってしまったのだ。メリーさんと。
 不機嫌なジト目となっていたメリーさんは、何を思ったのか一瞬真顔となって、睫毛の長い眼をまるく開くなり口を開いた。
「そういえばさ、ぐっちゃん・・・・・と眞虚ちゃんってどういう関係? ……まさかぐっちゃん、また・・人間の子に惚れたの惚れられたので持ってきちゃったとか、そういうのじゃないよね?」
「また?」
「またって何よ、違うわよ!? 眞虚ちゃんはちょっと、燈見子ちゃんの事で助けて貰った事があるから、恩人と言うかなんというか……今日はそのお礼も兼ねてのパーティだからねっ!?」
 首を傾げる眞虚の言葉が言い終わるか終わらないかの内に、狩口は慌てた様子で言い返す。
「……ふうん。本当かなー。あやしーなー」
 メリーさんはおちょくるようなにやけ顔で狩口に向けて、よっと猫背の姿勢を正した。
 二人が何のことでにやけたり慌てたりしているのか分からない眞虚は、その表情を交互に見ながらオロオロしている。そんな眞虚に教えるように、燈見子はひそひそと囁く。
「梢さん、登さんとの馴れ初めが登さんが小学生の頃だったから」
「? そうなんですかー……って、えっ?」
 ギョッとしたように狩口を見る眞虚。その視線と傍らの燈見子で事態を察した狩口は「だからそれ違うから!」と必死で首を振った。

 そう、メリーさんの言う「また」とは、狩口とその旦那の馴れ初めのエピソードから来る揶揄やゆである。
 狩口梢と登の出会いは今から三十年近く昔。"口裂け女"の都市伝説の流行も下火になって来たある日の事であった。
 噂話が下火になったとはいえ、その頃はまだ現役の怪人として活動していた狩口は、いつものように帰路で友人と別れ一人きりとなった少年の前に現れ、お決まりの文句を口にした。「わたし綺麗?」と。
 その少年は、マスクの狩口をまじまじと見つめ「綺麗ですかね」と、妙に落ち着き払った様子で答えた。その態度こそは珍しいものの、返答そのものは稀によくあるものであった為、狩口はいつもの如くマスクを取り払い、耳まで裂けた口を露わにした上で、改めて同じ問いを繰り返した。
 それまでに狩口に出会った子供たちは、大抵がその時点で悲鳴を上げて逃げ出すか、失禁するか、涙目になりながら全身を締め付けられたカエルのような声で何かしらの回答をするか、有効であるとされる呪文を必死に叫びはじめるのが常であった。しかしその少年はと言うと、マスクを取り払う前と何一つ変わらない態度のまま「綺麗ですよ」と答えたのだった。
 これにはさすがの狩口も狼狽した。確かにその頃には、口裂け女に会ったら「綺麗」と答えれば助かるというパターンの噂もまた存在していたし、震える声で「綺麗です」と答えられた事も無いわけではなかった。だが、この少年のように冷静に、そして真剣な瞳で「綺麗」と答えられたことは、只の一度としてなかったのである。
 驚かすために出てきておきながら却って恐ろしくなった狩口は、どうしてそんな風に言うのか、その少年に訪ねてみた。すると少年は、少しの間困ったように唸った後、こんな風に答えたのだった。

 上手く言い表せないから、ちゃんと言えるようになった時にまた言いに来る――と。

 呆気にとられた狩口は、その少年をそのまま帰してしまった。ランドセルを背負った背中が曲がり角の向こうに消えていくのを見守った後で我に返り、上手い事言って逃げられたなと、悔しさ半分感心半分に思ったのだった。
 しかし驚くことにその少年は、それから度々狩口の前へと姿を現した。「まだ理由を上手く言う言葉が見つかりません」などと言いながら、その日はどこに潜んでいるとも知れない狩口を捜す少年こそが、後の夫・登だったのである。

「確かに出会った時の登さんは小学生だったけれど、持って帰ったりとかしてないから! プロポーズしてきたのも向こうからで、社会人になってからだから! ……ったく、なんでこの話今更またしなくちゃならないのよっ」
 言って、ちょっぴり乱暴にメリーさんの分の烏龍茶を置いた狩口の顔は真っ赤だった。メリーさんは相変わらずニヤニヤ顔で、燈見子はちょっぴりうんざりした様子で座り直している。
「あ、なんだかんだ言ってこれ惚気のろけだな?」と思った眞虚は、食欲を刺激する匂いを放つ鍋料理を見つめ、取り皿の上の冷めるまでにこの話が終わるかどうかを気にしはじめた。
 まあ、そんな心配は無用とばかりに、乾杯の音頭がかかったのが数秒後の事。カコンと合わさるグラスの中で揺れる烏龍茶をそれぞれ口に含み、いよいよ鍋パーティーは始まったのだった。



 丁度その頃、古霊北中学区南端、神池かみいけ小学校近くの野池にて。
 神池の名が示すように、そのほとりに何かしらを奉る祠を持つその場所であるが、四寺社と比べて特に観光名所でも何でもないその場所には、普段ならば釣り人や悪童以外に寄りつく者は無い。
 しかしその日その場所に居たのは、釣り人でも悪童でもなく、周囲に背の高い草の生い茂った野池に似つかわしくない、珍奇な服装の女――【月喰の影】……【三日月】のアンナであった。
「……ふーむ。座標を間違えたかな?」
 バチ当たりなどまるで気にする様子も見せず、祠を踏みつけ立つアンナは、暫し首を捻った後、「まあいいや」と伸びをした。当然、その伸びに意味はない。人形遣いにして人形である彼女の身体は所謂「凝り」を知らず、精々精巧な絡繰りで動く関節や歯車がカタカタと音を立てる程度である。
 人の形を模すモノは、そんな無意味に人間じみた動作をした後で、ニヤリと笑って彼方虚空を見つめた。
「問題ない。大丈夫。……アレが今古霊町ここに居る事は分かってるんだから」
 誰に言うともなしにそう言った彼女の太腿に取りつけられたホルダーには、いつだかのダーツ・・・がしっかりと装着されていた――。

HOME