怪事捜話
第十四談・メリー・メリー・コールミー②

 月も変わって週末土曜の昼下がり。
 その日小鳥眞虚の姿はというと、古霊町南西、国道沿いに建て並ぶ住宅街の中にひっそりと佇む木造二階建て――小説家・狩口梢の自宅居間にあった。
 地を射るような夏の陽気も遠くなり、皆の装いもいよいよ長袖へと変わった十月。狩口家の居間もまた夏の涼しげな様子から姿を変え、畳の上にはグレーの電気カーペット、剥かれたままだった炬燵こたつテーブルは相方であるチェック柄の炬燵布団を身にまとって、いよいよ目前に迫る冬へと備える姿勢を表している。
 そんな暖かな居間には、三人の女性たち。
 一人は家主である狩口。もう一人は眞虚。そしてもう一人は――。
 もう遠くなりし五月末に古霊町に大騒動を巻き起こした"ひきこさん"、いや、"・ひきこさん"とでも言うべきだろうか。あのいかにも都市伝説の怪人然とした姿から一転、今風のカジュアルファッションに身を包み、手入れしたロングヘアーをポニーテールにまとめた森谷燈見子ひみこであった。……ただ相変わらず、目つきはあまりよくなかったが。
 彼女たちの囲む炬燵の机上には、肉と野菜類の盛り付けられた大皿に、お玉・菜箸さいばし・トング。取り皿を含む数人分の食器類。中央にでんとかまえるカセットコンロの上で火にくべられている土鍋の中では、昆布のだし汁が沸騰の時を今か今かと待っている。
 この場でこれから行われようとしている事について、これ以上の説明は必要あるまい。そう、鍋パーティであった。
 だが元より狩口の親類である燈見子はともかく、狩口と親交のある美術部の中から何故眞虚だけがこの場に居るのかといえば、それはこのパーティが眞虚の快気祝いを兼ねているからという事に他ならない。
「本っ当、乙瓜ちゃんから話聞いたときはびっくりしたのよ。盲腸おなか、もうすっかり大丈夫なんでしょ?」
「はい! もうすっかり大丈夫ですよ」
 はきはきと受け答えする眞虚に、狩口は目を細めてニコリと笑う。五月の騒動をはじめ全く知らない間柄でもなかった狩口は、体育祭後に眞虚が倒れたという話を聞いて随分と心配していたのだった。それから北中の騒動を経て、行きつけのドラッグストアで乙瓜に会った折に、眞虚がすっかり元気になって退院したむねを聞き、今日のこの催しを思いついたのである。
 彼女にとって小鳥眞虚は、単なる知り合いではない。あの『ひきこさん事件』で、暴走した燈見子を見て真っ先に救いたいと願ったのが眞虚であると聞かされて以来、大切な恩人の一人なのである。……本来ならば美術部全員招きたかったのだが――皆今月は各々家の用事や習い事があるらしくて絶妙に予定が合わず、けれども「眞虚ちゃんだけでも」との返事を貰ったため、その言葉に甘える事にした――というわけであった(ちなみに美術部六人と狩口とはあの民宿の時に連絡先を交換している)。
美術部全員みんなと集まれないのは残念だけれど、今日は燈見子ちゃんも来てくれたから良かったわ)
 そう思いながら狩口は、前屈みになりつつ鍋の煮える様子をじっと凝視している親戚をチラリと見た。
 あの一件・・・・以来、燈見子は随分と変わった。それは勿論、だいぶ人間らしさを取り戻した風貌ふうぼうもそうなのだが、何より以前は外界を一切拒絶するようなオーラを放っていた彼女が、近頃は幾らか近寄り易くなった……と、狩口は思うのだ。
「えっと、燈見子さん……でいいんですよね?」
 そんな燈見子に、眞虚が話しかける。
 燈見子は相変わらずの――けれど、幾許かは優しくなったように思える――ギョロ目で眞虚を見ると、前屈みになっていた姿勢を正し、頬に掛かった髪を何気ない動作で掻き上げた。
 ふっとあらわになった頬には、狩口と同じように避けた口が、ひびのようになって広がっている。
 五月のあの頃、古霊町中の子供たちを恐れさせた姿の一端。けれどもそれを驚き恐れる者は、少なくともこの場にはもう居ない。
 顔色一つ変えずに己を見つめる眞虚に、燈見子はちょっぴり安心したように微笑み、それからほんのり申し訳なさそうに眉を曇らせ、口を開いた。
「小鳥さん。……あの時は、色々とごめんね。それにお礼の一つも言えなくて」
「あっ、いえ! そういうことなら大丈夫ですから! 気にしないでください!」
「そうかな……?」
 不安げに尋ねる燈見子はしかし、ぶんぶんと手を振って「大丈夫!」と主張する眞虚を見てクスリと笑った。
 その様子を傍から見ていた狩口もまた笑みを漏らし、二人の会話に割って入った。
「燈見子ちゃん、最近コンビニバイトも始めたの。深夜帯だけどね。……うふふ。本当、眞虚ちゃんのお陰」
「……ちょっと梢さん、それ勝手に言わないで――」
 燈見子がほんのり不機嫌そうに言い返す声に、眞虚が嬉しそうに手を叩く音が重なる。
「本当ですか!? それは良かった!」と、目を輝かせて心から嬉しそうな少女の様子に、燈見子はほんのり赤くなった顔を隠すよう俯きながら言うのだった。「ありがとう」と。

 ――と、丁度その時だった。
 プルルルルルルル、と。廊下に備え付けてある狩口家の固定電話がけたたましく鳴り響いたのは。

 その正統派オーソドックスな電子音を聞いて、狩口は思い出したように呟いた。「ああ、間に合ったみたいね」と。
(……間に合った? 電話が? どういう事かな?)
 微妙におかしな表現に首を傾げる眞虚の前で、狩口はすっと立ち上がる。
「すぐ戻ると思うけど、沸騰したら具入れちゃって」
 そう言い残し、彼女はスタスタと居間の外へと向かった。
「登さんかな?」
「いいや……たぶん違うよ」
 首を傾げたまま狩口の夫の名前を呟く眞虚に、燈見子は即座に否定を返した。そして変わらずポカンとしている眞虚に向けて一言。
「まあ、すぐわかるよ」
 そう言って、燈見子は狩口の消えた廊下をそっと指さすのだった。


 一方狩口はというと、鳴り続ける電話を前にしてふうと息を吐き、そのナンバーディスプレイを確認していた。
 白黒の液晶パネルには、荒いドットで『非通知』の文字。狩口はそれを確認し、まるで困った相手を前にしたように左手を腰に当てると、右手でぶっきらぼうに受話器を取った。
「はいもしもし、狩口ですけど」
 と、定型文のようなそれを言い終わるか終わらないかの内に、電話口の相手はこう答えた。

『もしもし、いまあなたの家の前にいるの』

 それは、少女の声だった。どこか楽し気に、歌うように告げられた言葉を耳に受け止めて、狩口はやっぱりと言わんばかりに苦笑いした。
「鍵、開いてるから入ってきていいよ。……ていうか、あんたそれ・・あるからっていつも時間ギリギリよね。もう鍋煮えちゃうんだけれど?」
 溜息交じりに狩口が言う中、返答と言わんばかりに玄関のドアノブがガチャリと音を立てる。
 狩口が受話器を置きながら振り向く先で、開かれた扉の向こうから姿を現すのは、モノトーンのロリータファッションに身を包んだ小柄な少女。
 カールのかかったハニーゴールドのツインテールをふわりと揺らした彼女は、悪戯っぽくニヤリと笑って狩口を見つめこう言った。

「ひっさしぶりね、"口裂け女"!」

 まるで旧い友人に言うように。……いや、まるでも何も、実際彼女は狩口の旧友なのだ。見た目の年齢は倍近く違う彼女たちではあるが、古くから互いに互いの存在を認識する同類・・であった。
 そう、少女もまた『都市伝説』。今尚時たま語られる、そして幾多の派生・発展形を生み出し続ける現代怪異の優等生。
『メリーさんの電話』。その怪談の名を受け継ぐ少女は、宝石のような緑の瞳をキラリと光らせるのだった。

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