怪事捜話
第十談・憑呪四辻デイドリーム③

「おや、珍しくまともに活動してるみたいじゃあないか?」
 顧問が一時不在の絶好の機会ジャストタイミングで美術室に現れた火遠は、そう言うなり引き連れて来た水祢と嶽木と共に未使用の机の前へと歩を進めると、椅子にどっかりと腰を下ろした。
 しかし美術部員はそんな彼らに殆ど目もくれず、額に汗を浮かべながら手元の資料と机上の模造紙を交互に睨み、鉛筆を走らせている。
 火遠はそんな周囲に軽く目を遣ると納得したように一人頷き、長い脚を組み頬杖を突くのだった。
「課題中ってところか、大変ご苦労なこったね。……まあ、どこかの二年生はこの間海に行って遊んできただろうから、丁度いいんじゃあないのか?」
 そう言ってケラケラと笑う火遠を振り返り、乙瓜と魔鬼は口を揃えて「余計なお世話だ」と抗議した。
「……大体そもそも、そっちだって山に行くとか言ってたじゃねえか。こちとら海でちょっとだけ怪事に巻き込まれてたっつーのに、そっちこそ呑気に遊んでたんじゃないのか?」
 続け様に乙瓜は言う。不服気に口を尖らせて火遠をじとりと睨む。
 その視線の先の火遠は「だから?」と言わんばかりにニヤニヤとしている。
 あの小馬鹿にしたような表情だ。美術部員が皆汗だくなのに対し汗一つかかない涼しい表情なのも相俟あいまって、全く腹立たしい。
 ……この炎暑の中嫌がらせのように髪の毛が燃え盛っているのも、腹立たしさを際立たせている。
 そんな火遠に代わり、姉の嶽木が口を開いた。
「まあまあ、こっちも遊んでいたというわけじゃないんだよ乙瓜ちゃん。おれたちはね……そうだね。去年春から今年の今までの色々をある人に伝える為、おれたちの総本に行っていたのさ。ある人に会う為に、ね」
「「総本山……?」」
 乙瓜と魔鬼が言葉を綺麗にハモらせる。眞虚や杏虎も口には出さずともピクリと反応する。
 深世は自分には関係ないと知らん顔している。
 唯一、遊嬉だけが知ったような表情で声を上げた。
「ああー。なーんだ。山って【灯火】の本山の事だったん?」
「わ、わかるのか?」
「うんまあ、ていうか魔鬼も乙瓜ちゃんも知らなかったのかー」
 食い込み気味に前のめりになる魔鬼にそう答え、遊嬉は続ける。
「割と前に嶽木に教えて貰ったんだけど、【灯火】ってのは火遠とか嶽木とか、人間襲うよりそこそこ仲良くしたい、でも手放しに人間の味方ってわけでもなくて、どっちかってーと人間と妖怪の中立で、悪い事したら人間だろうが妖怪だろうがらしめるよ? みたいな、そんな感じの組合? 組織? なんだよ」
 ねえ? と遊嬉は嶽木に顔を向ける。
 嶽木は静かに肯定の頷きを返した。
 それを見ていた乙瓜は、不意に「あっ」と声を上げた。
 瞬間、魔鬼ら同期の視線がわっと乙瓜に集中する。
 すっかり注目の的となった乙瓜は、思い出していた。もう大分前の事ですっかり記憶の底に埋もれかけていた、とある女の言葉を。

 ――いい? 【灯火】とは、我々【月】や魔女たちの【薔薇】を蛇みたいに睨んで監視している忌々しい連中のこと。人もヒトデナシも平等に公平に裁き、世界のバランサー気取りでいる愚か者の集い。

 それは去年の秋、【三日月】のアンナ・マリー・神楽月かぐらづきと名乗る人形師の言葉だった。
 乙瓜の脳の遊嬉の言葉を鍵として埋もれかけた記憶を呼び起こし、閃光の如く迸った記憶が乙瓜の口をして声を上げさせたのである。
「【灯火】って、……そうか! あの時【三日月】のアンナとかいう奴が言ってたっ……、それがお前らで、だからそうなのか!」
 興奮気味に纏まらない思考をそのまま吐き出す乙瓜を見て、皆目を白黒させた。
「まってまって乙瓜ちゃん、何言ってるか私たち全然分からないから……!」
 宥めるように眞虚が言う。「落ち着いて、分かるように話して?」と。
 その言葉にハッと我に返り、乙瓜は数秒掛けて大きく深呼吸をしてから改めて口を開いた。
「……眞虚ちゃんたちは知らないかもしれないけど、去年の秋に俺と遊嬉は【三日月】って組織のアンナって奴に会ったんだ。……魔鬼はその時気絶してたんだっけな。あの、被服室の人形が花子さんたち学校妖怪の私物を盗んで回ってた事件の時だ。憶えてるか?」
 乙瓜は魔鬼を見た。
 魔鬼は眉間に僅かに皺を寄せながら静かに頷いた。
 その事件については彼女も憶えている。……忘れるものか。魔力切れで無様に倒れた自分を、そして自分とほぼ同等に疲弊していた乙瓜一人で強敵に対峙させてしまった事を。
 ……後に遊嬉の登場でその場の危機は退けられたものの、魔鬼は無力だったあの夜を決して忘れないだろう。
 魔鬼がそっと唇の内側を噛む中、乙瓜は続けた。
「そのアンナって奴が言ってたのを思い出したんだ。【灯火】は自分達や魔女を監視している忌々しい連中だって。奴はその時俺たちを指して【灯火】の遣いって言ってたが……成程わかったぞ。【灯火】ってのはつまり火遠、お前らの属する集団で、組織として【三日月】の奴らと対立してたって事か」
 びしり、と。乙瓜は火遠を指さした。
 指さされた火遠は頬杖を倒して体を起こすと、スッと真面目な表情になって「そうさ」と頷いた。
「【月】の連中の言う【灯火】とはつまり俺たちで、最終的に人類の撲滅を目的とする奴らにとって俺たちは邪魔なのさ。だから相容れないし敵対してる。……言わなかったかい?」
「……【三日月】が碌でもない連中だってのだけは前に聞いたけどお前らの事は初耳だよ。ていうかいきなり妙に話の規模がでかくなったなオイ? 眞虚ちゃん達困惑してるぞ」
 乙瓜がそう言って振り返る先には、案の定ちんぷんかんぷんと言った表情の眞虚や杏虎が居た。
 傍聞きしていただけの深世も「本当かよ」と言わんばかりだ。
 一年部員もそれに同じく、普通の雑談っぽい触りから始まった超規模の話に呆れるやら困惑するやら、どうリアクションしていいかわからない様子。
 ……ただ、柚葉だけはちょっと嬉しそうであった。
 そんな何とも言えない空気の中、それまでじっと黙っていた水祢が口を開いた。
「信じられないなら信じなくてもいいこと。でも俺たちは存在して、奴らもまた存在している。奴らの狙いは古霊北中学校ここにある大霊道。現状只でさえ封印が解けて現世に瘴気を撒き散らすそこを刺激して、太古に存在した黄泉に通じる大穴を物理的にも再現する事。……そんな事になったら、今の比にならない濃度の瘴気とあの世に封印されていたモノが一気に噴出し、普通の人間は死に絶えるだろうね。……だから必ず再び仕掛けてくる。遠からず、必ず。だからお前たちは可及的速やかに怪事の芽を摘み、大霊道をなるべくの状態へと保たなければならない。……お前たちの平穏を守りたいならね」
 水祢はそこで一旦言葉を区切り、一息吐いてから一言。

「それは兎も角、その封筒」

 張り詰めてしまった空気を切り替えるように彼が指さしたのは、美術部二年が模造紙を広げる机の端へと追いやられた、相談箱の手紙であった。
「ああ、これ……。いつもの相談箱から美術部わたしたち宛てに来た手紙だけど……」
 恐る恐る眞虚が答えると、水祢は呆れたと言わんばかりにフンと鼻を慣らし、そっと火遠に視線を移した。
「どう思う?」
「ああ、良くないね」
 呟くように問う水祢にそう返し、火遠はスッと目を細めた。
 只でさえ炎色の瞳を更に赤々と輝かせ、火遠は射抜くような視線を手紙へと向けた。
 それはまるで、何か見えざるものを見るかのように。
「呪いかなにかじゃあないか? 手紙を書いた奴とは直接的には関係ないだろうけれど」
 火遠は少しの間手紙を見つめた後にそう答えた。
 水祢はというと、兄のそんな言葉を受けてほんの数秒押し黙った後、徐に眞虚の名前を呼んだ。
「小鳥眞虚」
「……え、な、何?」
 不意討ち気味に名を呼ばれてドキリとする眞虚を殆ど無視して、水祢は淡々と言葉を続けた。
「部活の後でいい。その手紙に書かれている用事をしに行くよ」
「それって……つまり?」
 問いかける眞虚には、……しかしわかっていた。恐らくこの場に居た二年生にはもうわかっていた。
 この後に続くであろう言葉を。そしてそれが意味する事を。

『躯売詩弦の様子を見てきて欲しい』

 同級生・荒寺綾刃が名を明かして送って来た手紙の内容。ともすれば唐突なその文章の意味。躯売詩弦という同級生に何が起こっているのか。
 美術部二年生かのじょたちにはわかってしまっていた。
 そして、彼女達が思った通りのその言葉を。水祢はそっと紡いだのだった。

「怪事、来たれり」



 静まり返った家の、カーテンの閉ざされた部屋の中。
 直射日光から遮られ、只でさえ日当たりの悪い部屋は薄暗く。
 ベッドの上の痩せこけた少女は、虚ろな瞳で天井を見る。

 きっと罰があたったのだ。
 少女は思い、心の中で繰り返し懺悔を続ける。……しかし、もう遅い。

 ――どこかで、獣の鳴き声が聞こえた。

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