怪事捜話
第十談・憑呪四辻デイドリーム②

 週は明けて八月四日、月曜日。
「おはようそしてたっだいまー! 良い子の一年生のみんなげーんきだったかー!」
 妙にテンション高く美術室に現れた遊嬉は、既に全員集まっていた一年部員達に向けて大きく手を振ると、その手に持ったバッグの中からお土産と言う名のアイスキャンディーの箱(十二個入り)を取り出して見せた。
 無論、それはこの陽気の中態々自宅から持参したものではなく、学校はす向かいのコンビニで今さっき買ってきたものだ。
 彼女は「先生には内緒だぜ」と前置きすると、既に軽く結露している箱をバッと開き、好きなの取ってけと皆に促す。
 忽ち箱に群がる一年達。彼女らは皆口々に感謝の言葉を述べながら一本ずつアイスを引き抜いていった。
 明菜もまた「ありがとうございます」と頭を下げると、黄白色のものを選んで引き抜く。
 溶けぬ間にと口に含むと、冷たく甘い林檎リンゴ味が口中へと広がり、明菜はちょっぴり幸せな気分になった。
(ちょっと変わってる先輩達だけど、こういう所があるから憎めないんだよなあ)
 そう思いながら明菜が視線を向けた先では、遊嬉と深世が最後の葡萄ブドウ味を巡って争っていた。……イマイチ締まらない。
 見なかったことにしよう。明菜はそっと二人から目を逸らし、同時にある事を思い出した。
(そういえば、この間の話どうなったのかな?)
 心の中で呟き、明菜はふと背後を振り返った。そこには満悦の表情でオレンジ味のアイスをしゃぶる柚葉の姿がある。
 この間の話とは、先日――殆ど一週間前に柚葉が電話してきた話に他ならない。四辻通りに出ると云う"犬の幽霊"の話である。
 明菜の脳裏に、先日の電話で柚葉が語った噂話の続き浮かび上がる。

 ――四辻通りには犬の幽霊が出る。それが出るようになったのは最近の事だ。
 時間帯はいつでもいいが、少人数で四辻通りを通ると何処からともなく犬の唸り声が聞こえてくる。
 人によっては唸り声の他にけものくさいにおいを感じたりもするらしいが、姿だけは決して見えないらしい。
 そして唸り声を聞いた後、見えない何かに飛びかかられるのだ――。

 そんな噂なのだが、……しかし明菜が思い出したのは噂そのものではない。
 その話をした直後で、柚葉が「今度四辻通りに行ってみる」と言っていた事である。
 最初は同行しないかという風だったので丁重にお断りしたが、そういえばあれ以来続報は無い。結局どうなったのであろうか。
 明菜はそれを思い出して無性に気になってしまい、名残惜しくも口中の甘味をかじり、柚葉へと声をかけた。
「あのさ、柚葉。この間の、電話で言ってた話なんだけど」
「ん?」
 柚葉はアイスを咥えたままでそう答えると明菜に向き直り、棒を伝って溶け落ちる汁を舐め取りながら残るアイスを全て口中に含み、少しの間もぐもぐとしてから言葉を続けた。
「こないだ電話って……、あー。四辻通りのハナシー?」
「そうそれ、その話。……あの後どうしたのかなーって」
 明菜がそう問うと、柚葉は浮かない顔で首を左右に振ってみせた。
「ごめーん明菜ー、……あの後親族会議とか言って暫く古霊町出てたから、あの後行ったりとかしてないんだわー」
「そっかぁ……」
 やれやれと肩を竦める柚葉を見て、明菜もまた溜息を吐いた。親族会議なら仕方ない。
 古虎渓家では親族会議そういうことなんて全くないのだが、そこは人それぞれの家庭の事情だ。
(……でも柚葉の言ってた噂が本当の事なら、それって先輩達案件みたいな気がするんだけどな)
 思い、明菜は再び二年生の屯する一角に目を向けた。
 葡萄戦争は深世に軍配が上がったらしく、遊嬉はやや不服そうな顔で林檎味を頬張っていた。
 ……いいじゃないか林檎だって。私は好きだぞ林檎。そんな不満を胸中で呟き、いやいやそんな事はさて置きと、明菜は気持ちを切り替える。
 視線の先の二年生達は、明菜達一年生が真面目に絵を描いている部活中にふらっと何処かへ行ってしまったり、同じ暑さにやられている中で自分達だけ海に行く計画を立てて急にいなくなったりするどうしようもない先輩であるが、お化けを退治しては近隣の少年少女の間で伝説になっている(ある意味)凄い人達である。
 明菜も入部前に助けてもらった事があるし、重い家庭の事情から人間不信のようになっていた元同級生を結果的に救ってくれたりもしたし、明菜の知らないところでは街中を脅かした"ひきこさん"を改心させたりもしたらしい。
 そんな、もはや美術部というよりお化け退治の専門家のようなあの先輩達に、四辻通りの噂を教えてみたらどうするだろうか。
 或いは既知の事かもしれないが、やはり"犬の幽霊"を倒しに行ったりするのだろうか。
 などと考えながらぼんやりとしている明菜の耳に、ガラリと勢いよく美術室の扉が開く音が飛び込んでくる。
 入口を振り返ると、一足遅れてやってきた魔鬼が、珍しく顧問を引き連れて立っていた。

「あー! おまえら私に隠れてアイスなんか食ってー!」
 魔鬼は開口一番そう叫ぶなり遊嬉たちに詰め寄ると、箱の中に最後に残った溶けかけの一本を素早く開封し、つるりと口中へと滑り入れた。……勢い余ってちょっとむせていたが。
 一方、滅多に姿を現さない所為で部のレアキャラと化している顧問はというと、「お前らアイスとか溶けるもん持ち込むなよー」と、別段怒っているわけでもなさそうなトーンで注意して、小脇に抱えた厚手の模造紙を教壇上にどっかりと降ろした。
 そして『すてきな夏課題』について改めて手短に説明すると、他にまだ持ってくるものがあると言い残し、再び美術室を去って行った。
「あーあー。ここまでやる事あると夏の間は怪事関係は休業かなー。折角のシーズンなのにさー」
 顧問が廊下の角の向こうへ消えてから、遊嬉は実につまらなそうな調子でそう言って、手に握りしめたままのアイスの抜け殻(袋)をゴミ箱に捨た。
「……なーにがが休業だよ! この間も海で変な事起きたじゃんか!」
 深世が口を尖らせる。
「別に深世さんに何かあったわけじゃないんだからいーじゃん」と遊嬉は言い返す。
 その様を見て、旅先でも何かあったのかこの人たち、と一年生は戦慄する。勿論明菜も。
(まるでオカルト的トラブルに付き纏われてるような人たちだなあ……)
 他人事のようにそう思う明菜の傍らでは、柚葉が目を輝かせて「羨ましい」などとほざいている。
 ……確かに柚葉のような好事家こうずかからすれば羨ましくも思えるのかもしれないが、明菜はそうは思わない。
(というか、柚葉も一回きっちり怖い目に逢えばいいと思うよ……)
 暇さえあれば心霊スポットに突撃したり交霊術紛いの遊びに興じているというのに未だ恐ろしい目に逢った事がないとぬかす友人に羨望の視線を向けながら、明菜はハァと大きく溜息を吐いた。

 一方二年生たちはというと。各々アイスも食べ終わり、これから一仕事取り掛かるかというタイミングで、魔鬼が徐にこう切り出した。
「そういえばなんだけど」
 言って取り出すのは一通の封筒。
 その辺の文具屋で売っているような、水色ベースのデザイン封筒だった。
 住所も切手も消印もないその封筒には、ボールペン書きで『美術部様へ』とだけ記されている。どうやら、いつもの相談箱の手紙らしい。
 去年の秋頃からか、ここ古霊北中学校の相談箱は本来の用途――なかなか相談できないようないじめの告発や家庭環境から来る悩み、その他思春期特有のアレコレ等を担任や養護教諭、週一でやってくる学校カウンセラーへと届ける為の投書箱――からほんの少し在り方を変え、オカルト的な悩みや心配事項を『お便り』として美術部へ届ける為のポストと化してしまっている。
 そういう手紙は誰が決めたのか、宛名を『美術部様』とするのが慣例となっているのだ。
 直接相談してくる者も居ないではないが、手紙は依然として無くならない。
 匿名によって、先輩だから、後輩だから、男だから、女だから、親しくないから、そもそも学校が違うから……といった「相談しにくさ」の垣根を超える事の出来る手紙は、やはり便利なのだ。
 中には冷やかしや中傷の手紙もあるが、そういったモノは即シュレッダーへGOするので問題ない。
 ……とまあそういうわけで、今回も今回とて相談箱の手紙が来たというわけだ。
 夏休みだからか一通だけだが、多すぎても困りものなのでこのくらいが丁度いい。
 粘着性の低いシールで留められた口を開き、魔鬼は中の手紙に目を通して――そして首を傾げた。
「……なんだこれ? どういうこっちゃ」
 訝し気な魔鬼の表情を見て、皆何事かと首を傾げる。
 魔鬼は黙って手紙を机上に置くと、軽く手で押さえながら「どう思う?」と眉をひそめた。
 果たして、その手紙にはこう記されていた。

『躯売詩弦の様子を見てきて欲しい。荒寺綾刃』

「……躯売さんて、あの躯売さん?」
 真っ先に反応したのは眞虚だった。
 眞虚は手紙に書かれた二つの名前に見覚えがあった。
 否、それは眞虚だけではなく、その場で手紙を覗き込んだ二年全員に言える事であろう。
 躯売むくろうり詩弦しづる。二年一組出席番号三十八番、つまり同級生だ。
 部活動は剣道部、剣道部員は美術室を出てすぐの武道館で活動しており、休憩時間は美術室前の水飲み場に来たりする為よく見かける。
 そしてもう一人、差出人の荒寺あれでら綾刃あやはもまた剣道部だ。
 二年二組、出席番号十九番。名列順で『あゆみみよ』の次。
 彼女らはクラスこそ違えど同じ部活の親友同士である。
 だのに態々美術部に頼んでその片割れの様子を見て来て欲しいとは、荒寺綾刃は一体何を考えているのだろうか。
 名を明かすから、詳しい事は自分に聞いてくれという事だろうか。
 炎天下の屋外を挟んで向こう側の武道館から聞こえる威勢のいい掛け声に耳を傾け、美術部二年六人は神妙な顔になった。
 そんな所に丁度顧問が戻ってきて、既に置いてあった模造紙の山の上に、拡大コピーしてきた下書き用の文字や円グラフ等の印刷物をどっさりと載せて一言。

「ほれ、さっさと取り掛からないと夏休み終わらないぞ」

 遊嬉はその言葉に不平不満を垂れながらも、ダラダラと模造紙を広げ始めた。
 二年が手紙に反応している間に既に模造紙を広げて待っていた一年生たちは、顧問の持ってきた印刷物の中から各々必要な物を見つけ出すと、それを持って急ぎ作業に取り掛かりはじめた。
 統計グラフ……それは日本の夏休みの代表的な自由課題の一つである。
 個人ないし複数人のグループで考えたテーマを元にそれに関するアンケート等を実施、その結果をグラフとして簡潔に表現するという……まあ、グラフ縛り付きの自由研究だ。
 絵画や作文と同じくコンクールがあり、毎年創意工夫に富んだ成果物が日本全国から寄せられている。
 自由課題なので学校として特にやってこいと言われた場合を除けばやってもやらなくても問題ないのだが、美術部がこうして半強制的(?)に取り組んでいるのにはちょっとした理由ワケがある。
 ……要するに、成果が少ないと厳しいのだ。予算が。
 応募したコンクールの作品展だとか期間限定の特別展だとか、そういったものを見に行くのにも。部員の表現幅を増やす為に新しい道具を取り入れてみたり、古くなった道具を新調するのにも。
 まだ十代前半の学生達は何とも思って居ないかも知れないが、とにかくやることなす事には予算が必要なのである。
 しかし予算は顧問教諭の一存で増やせるものではない。
 学校予算の中から必要に応じて割り当てられているので、前年度分を使い切っていなかったり、予算を注ぎ込んでも何の成果も得られていないように思われたらそこでお終い、予算削減を逃れることは出来ないだろう。
 そうならない為にも、「遊んでないですよ。真っ当な事に予算使ってますよ」「色々成果上がりましたよ」「予算寧ろ足りないくらいですよ」という証拠を目に見える形で作らなければならない。
 実は教員の間でも「一部の美術部員が部活時間中に勝手に外出しているのでは?」と噂になっている現状(明らかに外に出ていくのを見かけり、近所の人からそれと思しき特徴の生徒が買い食いしてたとの通報があったりするのだが、美術室には式神やらの替え玉が居るので噂止まりである)、顧問としてそれは急務であった。
 そんな事などいざ知らず、「めんどくさいなあ」くらいに思いながら取り組む部員達。
 模造紙に下書きする用のグラフは顧問が出力したとはいえ、元のデータはは一学期の内に彼女ら自身がテーマを決めてアンケートを取ったものなので、とりあえずは問題なかろう。
(これで変な噂さえなければなぁ……)
 顧問の彼は肩を竦めた後、ふと職員室に水筒を忘れたことを思い出し、それを回収すべく再び美術室を後にした。

 途中の廊下ですれ違った、奇妙な頭髪の三人に気付かないまま。

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