怪事捜話
第八談・私とあなたと祭囃子③

 日は半ば地平線の向こうに身を隠し、薄紫から濃紺へと変わりつつある宵空の下。
 赤に橙に、幻想的に輝く提灯の明かりの照らし出す露店の道を、同じ顔した少女二人が行く。
 乙瓜と七瓜。似た名と似た姿を持つ人間と、人間かどうかすら怪しい"何か"。
 その"何か"に手を引かれながら、――烏貝乙瓜はさがしていた。

 話は小一時間前へとさかのぼる。
「私と回りましょうか」
 そう提案する七瓜に、乙瓜は最初反発した。「誰がお前なんかと」と。
 だが、そこから執拗に食い下がられた乙瓜は遂に折れ、渋々七瓜と露店巡りに繰り出す事となったのだった。
 無論、ここで動けば来るかもしれない火遠とすれ違うのではないかという懸念が無かったわけではないが――先に約束を違えたのはあちらだと割り切って、乙瓜は鳥居の前を後にしたのだった。
「一応もう一度だけ確認するけど、万が一仕掛けてきたら容赦はしないからな」
 柱の影から抜けた所で乙瓜は言った。
 七瓜はふっと振り返ると、「くどいわね」と困ったように笑った。
 眩い西日に今にも消え入りそうな彼女は、行き交う人々の創り出す不安定な影によって辛うじてその姿を留めているように見えた。
 ともすれば今にでも霧散してしまいそうな輪郭を逃さないように指でなぞりながら、彼女は改めてこう言った。
「約束するわよ。絶対に攻撃したりはしないって」
 だって、こんなに楽し気な日だものね。そう続けて、七瓜は乙瓜に手を差し伸べた。
「じゃあ、行きましょうか。ぼうっとしていたら祭が終わってしまうわよ?」と。
 その時彼女が浮かべた、まるで裏の感じられない――心から嬉しそうな表情を見て、乙瓜は一瞬戸惑うと同時に、何かを思い出しかけた。
 何か――遠い昔にあった事を。暖かくて、漠然と大切で愛おしいと思えるものを。
 だが思い出しかけたそれは形を成す前に霧散し、彼女の中には「何かがあったかもしれないが思い出せない」という、釈然としない感情のみが残った。
 そのモヤモヤとした気持ちを振り払うように乙瓜は頭を軽く左右に振り、次いで差し出された七瓜の手を無視して歩き出した。
「勘違いすんなよ、俺はまだお前の事完全に信じちゃいないからな」
「……。ええ、そうね……」
 吐き捨てる様な乙瓜の言葉に、七瓜は少しばかり声を震わせた。まるで動揺を無理矢理抑え込んだように。まるで涙を堪えるように。
 しかし振り返らずに雑踏の中へと足を踏み入れていく乙瓜を見て、彼女は小走りでその後に続いた。

 そして至る現在。

 はじめこそどこか険悪且つぎくしゃくしたムードを漂わせた二人だったが、周囲を埋め尽くす賑やかで楽し気なムードに飲まれてか、次第に互いの緊張が取れて行き。
 露店を巡り遊ぶうちに、互いの態度は柔らかく自然なものへと変わって行った。
 数十分も経つ頃にはやり取りが自然になり、すれ違った人々の目には、二人の姿は昔からの友人のように映っただろう。或いは、それこそ本物の姉妹のようにも。
 射的で取ったキャラメルの箱とりんごあめ片手に、次はどこへ行こうかと七瓜が言う。
 黒い和金が一匹入ったビニールの巾着と水風船にラムネびん、食べかけのたこ焼きのパックにブルーハワイのかき氷をバランス悪く抱え、そろそろ休もうと乙瓜は言う。
「一旦持ち物のバランス直さないとヤバいって……!」
「そうね、どこか落ち着いて物が置けるような場所があるといいのだけれど」
 七瓜は少し考えるようにして辺りを見回す。周囲には未だマグロの大群の如く休みなく行き交う人の波があり、ここではどうにも落ち着けない様子だ。
 どうしたものか。二人がそう思った、丁度その時。今まで幽かに聞こえていたお囃子とは違う鈴の音が神社の方から響いてきた。どうやら神楽奉納が始まったようである。
 その音を聞いて、乙瓜は不意に異の言葉を思い出した。
(そうだ、「ちょうど神楽が始まる頃になると、本殿裏手の物置の方には誰もいなくなる」……って。八尾さんはそう言ってたっけ)
 ならばそこに行くのがいいのではないかと、乙瓜が声に出そうとしたその瞬間。「ああ」と閃きの歓声を上げ、七瓜が先に言葉を紡いだ。
「神社の裏手に行きましょう? あの辺暗くて誰も寄り付かないから!」
「……!」
 奇しくも自分の考えに先手を打たれる形となり、乙瓜は開きかけた口の形のまま目を白黒させた。
(俺が今日知ったような事を、なんでこいつ知ってるんだ……? ……いや――いや。このくらいなら推測出来ない事もない、よな……。大抵皆神楽に目が行くから、その間裏手に人が居なくたって何の不思議も無い……けど)
 まるで昔から知っていたかのような口ぶりに違和感を覚えつつも、乙瓜は既に歩き始めた七瓜の後を追った。
 七瓜は迷いなき歩調で行き交う人々の間を難なく潜り抜けていき、後追う乙瓜はその後姿を幾度となく見失いそうになる。
 それでも迷子になりそうな人波にもまれ、幻のような提灯の道を藻掻いて七瓜を追う内に、乙瓜は遠い記憶を思い出していた。

 人ごみに紛れて消えてゆく見知った後ろ姿。
 それを見失わないように必死で追いかけた小さな自分。
 色褪せた記憶の世界で、どこからともなくシャンと響く鈴の音。

(ああそうか、これは昔母さんと来た時の記憶だ。迷子になって、見つからなくって、大泣きした時の。……でも、そうだ。あの時俺は一人じゃなかった。隣に誰かが居て、今日みたいにかき氷のカップを抱えてて、一緒に母さんを探してて――そういえば、そいつも泣いてた気がする。そうだ、そうだ。確かそれは俺と同じくらいの――)
 そこまで考えたところで乙瓜はハッと我に返った。
 気が付けば露店通りを抜け、七瓜と出会った鳥居前まで戻ってきていた。
 神楽の鈴の音はより近くなり、笛太鼓の音に合わせてシャン、シャンと静かに厳かに鳴り響いている。
 明るい間に見たあの舞台で、舞っているのは異だろうか。
 あの鮮やかな紅白の装束を宵闇に躍らせるクラスメートの姿を想像し、乙瓜は一瞬それを見てみたい気持ちになった。
 だが、手招き呼びかける七瓜の声に気付き、乙瓜は観衆取り巻く拝殿へと向かいかけた足を止めた。
 いくらか話をするようになった間柄で薄情なようだが、きっとこれでいいのだろうと乙瓜は思った。
 そもそも裏手へ行く様勧めたのは異本人なのだから、むしろ拝殿に顔を出して行ったほうが不義理というものだろう。
(ありがとな、そしてごめん)
 感謝と謝罪の言葉を心の中に留め、乙瓜はそっと本殿の裏へと向かった。
 
 本殿の裏手には異が言った通り祭具一式や掃除用具等が納められた物置があり、何故か外灯が一つポツンとある以外は七瓜の言った通り真っ暗で、今までの賑わいがまるで嘘のように静まり返っていた。
 ともすれば不良の何人かがたむろしていても不思議ではないのに、と疑問に思いつつも、ゆっくりできるのならそれに越したことは無いと、乙瓜は手にいっぱいの荷物を一時地面へと置いた。少々汚いが、無残に落としてひっくり返すよりは余程マシである。
 と、乙瓜が漸く一息ついたところで七瓜が口を開いた。
「ここって不思議な所よね。祭のこの時この瞬間。絶対に穴場なのに、誰一人として入ってこようとしなくて。まるで誰にも邪魔されない魔法でもかけられてるみたいで。……あの時と全然変わってないわ」
 言って、七瓜はフフっと笑った。その口ぶり、その様子にを見て、乙瓜は不思議そうに眉を動かす。訝しみながら「……前にここに来たことあるみてえじゃねえか」と問うと、七瓜は困ったように笑った。それは鳥居の所で見た、どこか寂しそうな笑顔だった。
「来たこと……あるわよ。ずっと前にね」
 彼女はスゥと目を閉じフッと息を吐くと、どこか覚悟を決めた様子で乙瓜を見た。
 両の瞳には先ほどまでと違った真剣な光が宿っており、乙瓜はハッと息を飲む。
 そんな眼差しを向けて、七瓜は静かに、そしてはっきりとこう言った。
「あのね、乙瓜。聞いて欲しい事があるの。……それは、そう。一年前のあの日の事に対する弁明で、きっと言い訳なのだと思う。そしてきっと、あなたは私がこれから言う事を信じてくれないと思う。……だけど、あなたに聞いて欲しい。例え信じてもらえなくても。あなたに私の話を聞いて欲しいの」
 おねがい、と。七瓜は乙瓜に頭を下げた。
 先程まで旧来の親友のように居た姿とは打って変わり、まるで目上の者と対峙したが如く深々と腰を折る彼女の姿を見て、乙瓜は正直困惑していた。
 束の間それまでの関係を忘れて楽しんでいたとはいえ、目の前のドッペルゲンガーはかつて自分の命を狙ってきた存在なのである。殆ど一年経った今更何を弁明すると言うのか、と。
(……ッ。忘れるなよ俺。こいつは一度は確かに敵だった女で、しかも未だに味方とも言えねえような奴だ。こうやって油断させておいて、また何か碌でもねぇ事を狙ってやがるのかも知れねえんだぞ……! 確かに、今日は楽しかった……だけど! こいつは……まだ敵なんだ……!)
 自分自身に言い聞かせ、乙瓜は七瓜をキッと睨む。
 だがそんな態度も想定済みといわんばかりに表情一つ変えない七瓜は、日傘をそっと地に置いた。
 刹那、夏の夜風がさわさわと吹く。人々の喧騒や神楽の鈴の音は異世界の音のように遠く遠く、森の木々がざわざわと鳴る音だけがはっきりと聞こえている。
 そんな夜の本殿裏で、乙瓜と七瓜しか居ない世界で。七瓜はゆっくりと息を吸い、はっきりと口を開き。――そして、言った。

「あなたは私だったのよ」

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