怪事捜話
第八談・私とあなたと祭囃子②

 翌七月十九日、16時過ぎ。
「友達と行から」と、あながち嘘でもなければ本当でもない理由を叫びながら、乙瓜は一人で家を出た。
 服装は浴衣ではなく、普段の休日と同じパーカー姿。
 自転車にまたがり、夜都尾稲荷神社へ向かう。
 地元民しか通らないような一車線の裏道や、最早コンクリートすら敷いていない、獣道といっても過言ではないような凸凹でこぼこ道を走り抜け。20分ほど行ったところで、漸く境内の様子が見えて来た。
 流石は古霊町三大神社の一社である所以か、小高い丘の上に在る本殿は遠目に見ても立派な造りで、神社仏閣にそこまで興味のあるわけでもない乙瓜から見ても、何か言い知れぬ存在感や威厳のようなものを放っているように思えた。やしろを守る様に佇む鳥居は巨大にして、名立たる名所の鳥居の数々にも引けを取らない威容を誇っている。
 そんな神社の参道は、平時バスツアーの中高年観光客ぐらいしか訪れない長閑な姿とは打って変わり、ずらりと並んだ出店と赤提灯、近隣から集まった多数の若者たちに飾られて、大都会の歓楽街にも引けを取らない賑わいを見せている。
 親子連れが、カップルが、学生が。
 焼きそばを、たこ焼きを、かき氷を、或いは水風船や金魚など、各々違った戦利品を抱え。しかし皆笑顔で、楽し気で、愉快気に練り歩いている。
 誰もが日常の中で多かれ少なかれ抱えているであろう悩み悲しみ苦しみなんて、全て別世界に置いてきてしまったような。そんな光景が、そこには在った。
「相変わらず盛り上がってんなぁ」
 自転車を降りながら、乙瓜はそう呟いた。人通りに気を付けて自転車を押しながら、どこか適当な駐輪場を探す。程なくして駐輪用に解放されている空き地を見つけ、彼女はふぅと一息吐く。
 腕時計に目を落とせば、時刻は丁度16時30分を少し回ったところだった。
火遠あいつとの約束は17時だから……時間的には余裕だな)
 そう考え、乙瓜はふと顔を上げた。
 辺りを見れば、まだ明るい空にも僅かに色褪せた暮れの気配が入り混じり。傾いた陽光が、町を、人を、祭りの様子を。どこか懐かしく切ない黄金こがね色へと染め上げている。

 ――それはまるで、色褪せたアルバムの中の出来事のように。

 夢ともうつつともつかないようなそんな光景を暫し呆けたように見つめた後、乙瓜は思い出したように歩き出した。
 ひしめき合う大勢の人々をかき分けて、辿り着いたのは神社の境内だった。
 丁度山車だしを出すところのようで、巨大な屋台車を囲んで地区会の大人たちが何やら最後の確認のような話し合いをしている。
 拝殿はいでんの真ん前には夜の部で神楽を奉納する為の舞台が設けられており、こちらでも神職姿の数人の男性が何やら準備をしているようだった。
 普段の静けさとはかけ離れた、慌ただしい様子の境内。そこで行き交う人々の中に見知った顔を見かけ、乙瓜は手を上げ走り出した。
「八尾さん」
 呼びかけられた声に気付き、彼女――八尾異は振り返った。
「やあ、烏貝ちゃん」
 乙瓜の姿を認めて微笑んだ彼女は見慣れた制服姿ではなく、まばゆい白と鮮烈なあかが目を引く、所謂巫女装束に身を包んでいる。
 流石は宮司の娘というべきだろうか、そのスタイルはなかなか様になっていた。
「来てくれたんだね、ありがとう」
「まあ、暇だったからな」
「ふぅん。……でも一人かい?」
 異はゆっくりと辺りに目を遣った。その様を見て、乙瓜はハァと溜息を吐いた。
「あのな八尾さん。……だからずっと言ってるけど。別に彼氏とかいないからな? 今日もたまたま暇だったから、たまたま暇な友達と約束して来ただけだからな? ……そいつまだ来てないけど」
 何度目かわからない釈明を返し、乙瓜はもう一度溜息を吐く。
 異はその様子を見て――やはりほんの少しだけ何かを考えるように顎に手を当てて「ふうん」と呟く。
 その様子はやっと納得したかに見えたが、それも一瞬のこと。直後彼女はニヤリと口元を歪め、さも楽し気にフフンと鼻を鳴らしたのだった。
 その一連の様子から何か良からぬ気配を感じ取り、乙瓜は恐る恐る異に尋ねた。
「ちょ、あの、八尾さん? なんか、念の為に言っとくけど……俺別に誤魔化しとか、そういう意味で言ったんじゃないからな?」
「わかってるよ。わかってる。うん」
 わかってる、そう口にしながらもニヤニヤ顔を変えない彼女は、狐のように細めた目のままでこう続けた。
「ただ、さっきの言い方じゃあ、相手の友達はぼくの知ってる人じゃないみたいだなって思っただけだよ」と。
「やぁっぱり誤解したまんまじゃねえか!!? だからもう、本当にもう! 違うんだってば本当にぃッ!」
 いつだかと同じように顔を真っ赤にして弁明する乙瓜を見て、異は腹を抱えてあははと笑った。
 その姿を見て乙瓜は漸く悟った。
(繊細な見た目の優等生とか病弱とか神秘的な霊感少女とか、そんなの全部周囲の勝手なイメージで! 一人称のこととかもあるけど、そんなことより、こいつは、こいつは――!)

「お前結構性格悪……いい性格してやがんな!?」
 ビシッと向けられた人差し指の先、巫女の少女は満面の笑顔で頷いた。 「うん? そうだけど? やあっとわかってくれたのかい」

 あっけらかんと言ってのけ、異はくるりと乙瓜に背を向けた。そしてそのままゆっくりと歩き出しながら、彼女は言った。
「まあ、それはそれとして上手くやりなよ烏貝ちゃん。彼氏にしろ、違うにしろ、対人関係の悩みなんていつまでも引き摺ってくもんじゃないよ」
 じゃり、じゃり、じゃりと。白砂利を踏んで五歩ほど行ったところで、彼女は思い出したように振り返った。
「そうだ烏貝ちゃん。ちょうど神楽が始まる頃になると、本殿裏手の物置の方には誰もいなくなる。その時がチャンスなんじゃないか? きっと二人っきりになれるよ」
 ね? とウィンクして、彼女はもう一度にっこりと笑った。
 乙瓜はそれに何か言い返そうとするが、「ちょっとまて!?」と口に出した時には時すでに遅し。
 歩きづらい下駄履きであるというのにも関わらず、異は軽やかな足取りでその場から去って行ってしまった。
「……だからちげぇっての」
 やるせなさ気に呟き、乙瓜は軽く頭を抑えた。
(ていうか今週これで二度目だぞ……。神社で誰かに翻弄されるの……)
 脳裏を過るのは、【青薔薇】と名乗る魔女一派の一員・石神三咲との遭遇したあの日の出来事。そして彼女が残した意味ありげな言葉。

 ――またね。影泥棒さん・・・・・

(どこでどうやって知り得たのか知らねえけど、あいつは俺の知らない裏事情みたいなモノを知っている……)
 乙瓜は思う。そもそも、先日自分が火遠との契約の内容に薄らと疑問を抱いたきっかけだって、元を辿れば三咲の言葉があったからだ。
(……あいつら何者なんだ。火遠の奴とは少なからず縁があるみたいな物言いだったけど……。というか、これ結構大事な事だと思うのに、火遠の奴から何か説明あったか? 少なくとも一回は美術部皆襲われてるんだよな……?)
 そこまで考え、乙瓜はぶんぶんと首を振った。
(駄目だ駄目だ! こういう風になるからちゃんと話し合えって、今さっき八尾さんが言ってたじゃないか!)
 それはまるで、嫌な考えを払拭するみそぎのように。乙瓜は己の両頬をペチンと叩き、深く息を吐き出した。
 辺りを見回す。
 既に山車は行ってしまったようで、道の方からお囃子の音が幽かに響いている。
 神楽舞台の設営も終わったようで、神職の男たちは木陰で一時休憩を取っているようだった。
 神社を囲む鎮守の森には、ヒグラシの鳴き声がこだましている。
 その哀愁あいしゅうたっぷりの大合唱を聞きながら、乙瓜はふと腕時計を確認した。
 時刻は16時50分をとうに過ぎ、約束の17時まで残り幾許いくばくも無い。
「待ち合わせ、確か鳥居の下だったっけか……?」
 誰に確認するでもなく呟くと、乙瓜は小走りで鳥居の前へと向かった。



 ――それから10分後。
 白い大鳥居の根元で、乙瓜は非情にイライラしていた。
 入れ代わり立ち代わりひっきりなしに通りがかる楽し気な人々と腕時計の文字盤を交互に見遣りながら舌打ちし、そして叫ぶ。
「来ねえ!」
 その切なる叫びに何人かが振り向くが、それ以上の喧騒に揉み消され、多くの人は気にも留めない。
 振り向いた人々も、すぐまた何事も無かったかのように各々の行き先へと歩き出す。
 そんな非情に無情な人々を見送りながら、乙瓜は再び舌打ちした。
 待ち合わせの17時はとっくに過ぎてしまっている。
 なまじ鳥居が大きいだけに、それぞれ反対側の柱で待っていた……なんて古典的なすれ違いが無いように何度となく確認もしている。
 だが。乙瓜が待つ大鳥居の根元に、火遠は未だ現れていなかった。
 いたずらに時間ばかりが過ぎて行き、苛立つ乙瓜の気持ちと反比例するように楽し気な人々が増えていくのが現状である。
「……あいつ俺が迷子になるとか言っといて自分が迷子になってるんじゃねえのか?」
 ふとそんな発想に至り、乙瓜は背伸びして、改めて辺りを見渡す。
 だが視界にひしめく無数の人の波は容赦なく動き回り、知った顔を見かけたような気になっても、それが本人かどうか確認する暇すら与えてくれない。
 さながら難易度の高すぎる人探し絵本のようである。
 乙瓜はやむなく諦め視線を落とし、はぁと溜息を吐いた。
 ここから見えないなら直接探しに行けばいいだけの話なのだが、待ち合わせ場所を動いたタイミングですれ違いなんて事があったらそれはそれでしゃくだ。
「どうすりゃいいってんだよ……」
 弱気に呟き、足元の小石を軽く蹴飛ばす。
 小石はコンコロと軽く転がっていくと、誰かの足に当たって動きを止めた。
 その様を見て乙瓜は「ヤバい」と顔を上げた。
 "軽く"とはいえ己が蹴った石、当たったのがガラの悪いやからだったら大事だ。
 おっかなびっくり見上げた視線の先には、しかし想定していた最悪の状況は存在せず。だがその代りに、全く想定していなかった状況が存在してしまっていたのだった。

 ――そこには、少女が居た。
 黒いサンダルに黒いワンピース。こんなに晴れているというのに、片手にはピンクの傘を携えている。
 両の目に湛えるは、どこか高貴な薔薇色の輝き。その光で乙瓜の姿を認めると、少女は驚いたように口を開いた。
「乙瓜?」と。
 驚いたのは彼女だけではなかった。
 その時、その瞬間、乙瓜もまた少女と同じような表情を浮かべていた。
 否、それは「同じような」なんてものではない。そう、例えるなら。瓜を二つに割ったかのように。
 全く同じ表情を浮かべた、全く同じ顔立ちの少女たちが。そこには居た。
「な……おまえ……七瓜!?」
 不意討ちじみた状況に硬直する乙瓜の眼前で、件の少女――烏貝七瓜もまた固まっている。
 かつて北中に現れた、乙瓜の双子の姉を自称する少女。……そして、乙瓜の命を狙った少女。
 そんな彼女からしても、この鉢合わせは全く意図しない偶然だったのであろう。
 しばし互いに呆然とした後、先に動き出したのは乙瓜だった。
 素早くパーカーのポケットに手を回し、そこから僅かに紙片を覗かせている。
 流石に大勢の人目があるからかチラ見せ程度に留めているものの、ちゃっかり護符だけは持ってきているようだった。
「……やれ今度はお前か。一体何しに来やがった」
 敵意たっぷりに睨み付ける乙瓜とは対照的に、七瓜はそっと両手を上げた。
「やめましょう。……もう私の方からあなたをどうこうする気はないわ」
「仕掛けて来たのはお前じゃないか。今更信じられるかよ」
「……少なくとも、こんなに人目のある場所で事を起こしたくはない。あなたもそうでしょ?」
「…………」
 乙瓜は不満そうに眉を顰めた後、納得いかない表情のまま護符に掛けた手を下した。
たがえるなよ」
「勿論よ」
 七瓜は寂しそうな笑みを浮かべると、何を思ったか乙瓜の隣へと移動してきた。
 鳥居の柱に寄り添い、ふうと息を吐き、閉ざされた傘をステッキのように地につける。
 それを見て、乙瓜はある事に気が付いた。大鳥居の柱から自分の前方に向けて、大きな影が伸びている事に。
 己の影を持たない七瓜は、何かの影の中でないと誰からも存在を認識されない。
 認識されたりされなかったりという点では幽霊や妖怪と変わりないが、彼女は自分の意志でそれを制御することが出来ないのだ。
 故に日傘が必須アイテムであるのだが……なるほど、今日差していないのはこんな単純な理由からかと、乙瓜は納得していた。
(まてよ、さっきの驚きようからして意図的に俺の前に来たわけじゃないってんなら、こいつこんな所まで何しに来たんだ? ……まさか普通に祭を楽しみに来たとか? まさかな……)
 ふと疑問に思い、乙瓜は七瓜の方に視線を遣った。七瓜は宣言通り乙瓜に何をするわけでもなく、只々寂しそうな笑顔のまま通すがる人々の姿を眺めている。……まるで先程の乙瓜のように。誰かを探しているかのように。
「誰かを待ってるのか?」
「いいえ別に」
 七瓜は静かに首を振り、改めて乙瓜に向き直った。
「乙瓜こそ。誰かを待っているんじゃなくて?」
 その問いかけに乙瓜は火遠の事を思い出し、肯定か、それともただ唸っているのか。「ああ」と答えて眉間に皺を寄せた。
「待ってるけど何時まで経っても来やがらねえし! ちょっとマジあり得ん。腹立つし、腹減るし……」
 ブツブツと不満を漏らしだした乙瓜を見て、七瓜は「ふうん」とそっけなく呟き、次いで何やら考える様子で足元に視線を落とした。
 一秒、二秒、三秒と過ぎた後、思いついたように顔を上げ、七瓜は何でも無い調子でこう言った。

「じゃあ、私と回りましょうか?」

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