人の噂は駆け巡る。
たった一つの真実に、数多の推測・無数の憶測を入り混ぜて。
人の間を駆け巡る。
在る事無い事付け加えられて、面白おかしく装飾されて、過激に下劣に歪められて。
やがて一巡して戻って来た時、噂の大元はこう叫ぶ。
――こんなものは真実じゃない!
七月十一日、金曜日。
二日前の青空から一転、窓の外には再び一面の灰色が広がっている。
そんな、どこかすっきりとしない空に目を遣りながら。烏貝乙瓜はうんざりとした表情を浮かべるのだった。
時刻は午後1時過ぎ、昼休みの真っ只中。
僅か20分程度のこの時間を、ある生徒は己のホームルームでだらりと過ごし、ある生徒は腹ごなしの運動とばかりに校庭や体育館を動き回って過ごし。教師に呼び出されてちょっとした用事を任される生徒もあれば、人気のない場所でひっそりと過ごす生徒もあったりと、各々が皆それぞれの形で過ごしていた。
そんな時間の真っ只中、乙瓜は珍しく図書室に居た。
本棚が整然と立ち並ぶ広々とした教室の中には現在、乙瓜を含めても七人ばかしの生徒しか居ない。
内一人は図書委員当番の男子で、入口付近のカウンターに待機しながら退屈そうに、且つこっそりとケータイを弄っている。
椅子に掛けた三人は本の世界に集中しており、一人は何らかの調べものなのか、難しそうな本を見ながらせわしなくシャープペンシルを動かし、ノートを取っているようだった。
そして乙瓜を除いた最後の一人は、入口から一番奥の席・乙瓜の正面に座っている。
肩より長く墨のように黒い髪と、新雪のように白い肌の女子生徒。
彼女はその切れ長の両目に乙瓜の姿を捉え、静かな声でこう言うのだった。
「……さて、君とはこうして一度話をしてみたかったんだよ。烏貝乙瓜ちゃん」
乙瓜がその女子生徒・八尾異と話す機会を得たのは、他でもない遊嬉の紹介だった。
なんでも遊嬉は、先日の一件――古井戸の夢事件――で話題に挙げて以降、ずっと乙瓜と異を引き合わせたいと思って居たようで。
火曜日に早退してから水曜日・木曜日と学校を休んだ異が再び登校してくるのを、今か今かと待っていたらしい。
というわけで本日。遊嬉はやっと異が学校に出て来たのを確認すると、昼休みの始まりを待って乙瓜と異を対面させたのだった。
食事の片付けも終わったばかりの二年一組教室に、遊嬉のお気楽な声が響き渡る。
「はいはーい! そんなわけでこっちゃんを! 紹介しにあがりましたぜ! じゃーん!」
「こんにちは烏貝ちゃん。宜しく」
やけにテンションの高い遊嬉とは対照的に、異はまるで波一つ立たない湖面のように落ち着き払った様子で言うと、ぺこりと頭を下げた。
釣られ、乙瓜もまた頭を下げる。
そして頭を上げると、目の前に立つクラスが同じということ以外殆ど接点のない少女をまじまじと見つめた。
知らないながらに知っている通り、八尾異は同性の乙瓜から見てもえらく美人だった。
顔も容姿も精巧な人形のように整っていて、見る者に儚げな印象を与える。そんな壊れ物のような外見とは裏腹に声は少しだけハスキーで、だがそれがまた魅力的でもあった。もしも彼女に真正面で笑いかけられて「好きです付き合ってください」なんて言われた日には、殆どの男子が躊躇なく首を縦に振るだろう。
(……って、如何にも清純派美少女に見える割に、授業中は内職ばっかりしてる変わり者。そして何より――霊感少女)
――こっちゃんはねー、あたしら社祭第二小学校生の間では、そこそこ有名な霊感少女だったんだよ。
以前聞いた遊嬉の言葉を思い出し、乙瓜はほんの少しだけ眉間に力を入れた。
その微細な表情の変化を捉えたかのように、件の霊感少女はニコリと微笑んだ。
そしてくるりと遊嬉に向き直ると、機嫌よさげな声音でこう尋ねた。
「遊嬉ちゃん。少しだけ烏貝ちゃんと二人で話をしたいんだけど、いいかな?」と。
「あーあーうん! オッケーオッケー。ぜーんぜん大丈夫よー?」
遊嬉は快く承諾するなり「じゃあ、あとはお二人で~」と、調子のいい言葉を残して風のように姿を消した。
「えっ……ちょっ、まっ!?」
乙瓜は遊嬉を呼び止めようとしたが、既に時は遅し。
斯くして「クラスが同じだけで大して話した事もない子」と二人きりにされてしまった乙瓜は、助けを求めるように辺りをキョロキョロと見渡した。
しかし見渡す範囲に頼れる者もなく、乙瓜は頭を抱えた。
(待って! ちょっと待って! いきなり話せって言われても何の話すればいいんだ!? 話題広げるの?? 周りに人いるのにいきなり霊感どうとか聞いていいものなの!? それ引かれない!? ねえ!!?)
悲しいかな、ほぼ身内としか話した事のない乙瓜の脳内は完全にパニック状態だった。
そんな彼女を見て、異はほんの一瞬だけ考える様な素振りをみせ、それから乙瓜にだけ聞こえるように、耳元でそっと囁いた。
「図書室にでも行こうか? 多分今の時期ならそんなに人はいないだろうから」
というわけで至る現在。
一度ちゃんと話をしてみたかったと告げた異は、二年一組で見せたのと同じようにニコリと笑った。屈託のない笑顔だった。
「……私と話してみたかったって、どういう?」
乙瓜がそう尋ねるなり、異は首を軽く左右に振った。
「私だなんて気を張らなくてもいいよ。いつも通りで話そう。ぼくはあまり気にしないからね」
「ぼく?」
その一人称を復唱し、乙瓜は眉を顰めた。
それもまた当然である。「ぼく」などと、その外見のイメージからは180度対極にある一人称が飛び出したのだから(少なくとも教室で意見を求められた時の一人称は「私」だったはずだ)。
「八尾さんてこんなキャラだったのか!?」と、乙瓜は内心相当な衝撃を受けた。
そんな乙瓜の心情は思い切り顔に出ていたのか、異はクスクスと笑った。
「驚いたかな。だけどぼくは、君が知るよりずっと前から。しいて言うなら元々こういう奴なんだよ。烏貝ちゃんが抱いていた想像とは、大分違ったようだけどね。だけども、それは君も大概だと思うよ?」
異は乙瓜の目を真っ直ぐに見つめ、そして言った。
「烏貝ちゃんだって、普段は俺、俺って言ってるらしいじゃないか。ねえ?」
「なっ!?」
その言葉に、乙瓜の心臓はドキリと跳ねた。短く飛び出した悲鳴を受けて、図書室中の生徒が一斉に顔を上げる。
異はその様子をチラリと伺い、口の前でそっと人差し指を立てた。そして先程よりよほど小さく絞った声で、ゆっくりと「しずかに」と囁くのだ。
「図書室ではお静かに、だよ?」
優しく窘めるような言葉を受け、乙瓜は只々コクリと頷いた。
次いでわざとらしく咳払いを一つ。生徒たちの注意が散った事を確かめるなり、乙瓜は訝しむような調子で異に尋ねた。
「……誰に聞いたんだ、それ」
「リクに決まってるじゃないか」
「誰だそれ」
「遊嬉ちゃんだよ。……本人には内緒だよ?」
異は悪戯っぽく口角を上げた。どうやら彼女はクラスメートに内緒のあだ名を付けているらしい。
遊嬉は戮飢遊嬉なのでリク。恐らくそんな具合に。
乙瓜はその事をなんとなく理解しつつも――しかしやはり理解しかねていたのだった。他でもない、八尾異という人間を。
話せば話すほどイメージとかけ離れていく彼女のキャラを、乙瓜は掴みかねていたのだった。
そんな乙瓜の心中などおかまいなしに、目の前の不思議ちゃんは上機嫌な笑顔で話を続けた。
「でも良かった。ぼくたち存外話が合いそうだね。リクのやり方は些か強引だったけれど、彼女には感謝しないといけないね。本当によかった」
「話が合う……? いやいや、なんていうか。まてまてまて。……今までの会話でどこをどう拾ったらそういう判断になるんだ?」
おかしいだろ、とツッコむ乙瓜に、異は「とんでもない」と首を振って見せた。
「とんでもない。そんなことはないよ。ぼくはね、先に言った通り君と話をしてみたかったんだよ。美術部の君と、そして何より――社祭第一小学校の霊感少女だった君とね?」
言ってまたニコリと微笑む異を見て、乙瓜はうんざりしたように言った。「その噂、誰に聞いたんだ?」と。
「斬子に。幼馴染なんだよ、ぼくたちは」
「ああ、そういや八尾さん家も斬子ん家も神社だったな……」
この場に居ない小学校の同窓生の顔を思い浮かべながら、乙瓜は大きく溜息を吐いた。
「勘弁しろっつーの……ったく」
もう何年も前の事になる。
まだ社祭第一小学校の児童だった時分の烏貝乙瓜は、一小の霊感少女と噂されていた。
何でもない場所を見ては何かに怯え、一人きりでいるのに誰かと居るかのように楽しそうに過ごす事の多い彼女は、鵺鳴峠を筆頭とした女子グループに忌み嫌われ、度重なる嫌がらせを受けていた。
とはいえ、乙瓜自身にはその頃の記憶はあまりない。ただ、漠然と嫌だったという思い出だけが残っている。
本当に霊が見えていたのかどうかすらも、今の乙瓜にはまるで思い出せなかった。
いくら今よりも子供だった頃とはいえ、ここまで不自然に記憶が飛んでいるのは、恐らく小学五年生の頃のとある事件が原因だろう。乙瓜はそう考えていた。
そのとある事件とは、他でもない。乙瓜が夜中に学校に忍び込み、その屋上から飛び降りたという、かの事件の事であった。
「別にいじめを苦にして死のうとか、そんな気分ではなかったとは思うんだけどさ……。そこも覚えてないからさっぱりわからん。幸呼は誰かに追われてたみたいって言ってたけど、それも全く思い出せないんだ」
その頃の烏貝乙瓜には、只一人だけ話せる友人がいた。
それが幼馴染の幸福ヶ森幸呼だった。
乙瓜はあの晩、小学校の向かいに建つ文具店にある電話ボックスから幸呼の家に電話をかけていた。
その内容は、今や幸呼しか覚えていない。
親から受話器を受け取って応答した幸呼が聞いたのは、酷く切羽づまった様子で助けを求める友人の声。
『今小学校の前の電話ボックスで……助けてっ!』
『ちょっとまって、どうしたの? 何があったの?』
しかし幸呼の問いに乙瓜は答えず、通話はそこで途絶えた。
心配した幸呼の両親は警察と乙瓜の自宅に連絡し、――程なくして小学校の敷地の中に倒れていた血塗れの乙瓜が発見されたのだった。
そこから数か月の入院生活を経て烏貝乙瓜は小学校に復帰する。
頭を強く打ったことで何らかの身体的後遺症が懸念されたが、幸いな事に彼女は順調に回復し、背中に大きな傷を残すのみに留まった。
そう、身体的後遺症は無かった。……只一つ、「霊感少女」と揶揄されていた時の記憶が失われてしまった事を除いては。
目覚めた乙瓜は、日常生活を行うための動作や読み書き、学校で習ったこと、家族や学校の先生、クラスメートの顔と名前などは滞りなく思い出すことができた。だが、「霊感少女と呼ばれていた」「そのために嫌がらせを受けた」「なにか他人に見えないものを視た」という記憶だけは、綺麗さっぱり消えてしまっていたのだった。
まるで初めから何もなかったかのように。まるでそれが当たり前であるかの如く。
あの夜何故小学校に行き、幸呼に電話したのかさえも。きれいさっぱりと。
医師による診断は、頭を打ったことによる解離性健忘、ということだった。
とはいえ日常生活に支障をきたすような深刻な記憶喪失ではなかったのと、身体的には健康そのものだったため、定期的に検診に訪れるよう言われただけで、乙瓜はあっさりと退院することができた。
だが記憶を失って以来、乙瓜は何でもない場所で怯えることも、一人きりで居るのに誰かと居るかのように振舞う事も無くなった。
乙瓜を不気味がるクラスメートは減ったが、その大部分は腫物を触るような態度に変わっただけだった。
鵺鳴峠のちくちくとした嫌がらせも依然として続いた。そして不自然な記憶の欠落が原因か、幸呼との距離も次第に離れていったのだった。
「そんなわけだから、今は霊感少女でもなんでもねえよ。……いや、色々あってまた見えるようになったけど、前の事なんて覚えちゃいないしな」
そう締め括ると、乙瓜はふぅと息を吐いた。
長話を黙って聞き終えた異は、少々気まずそうな顔で「ごめんね」と呟いた。
「いきなり話し辛い事を話させちゃったね……」
「気にすんなよ、俺が話したかっただけだし。……ていうか、もう昔の事過ぎて辛いもなんもよくわからん。そもそも覚えてないんだから、他人の話みてぇなもんだ。だから八尾さんも、その、なんだ。気にすんな」
こういう話は苦手とばかりに額に手を宛てる乙瓜を見て、異は少しだけ表情を和らげた。
「……ありがとう」
「いや、だから気にしなくていいって。そもそもいきなりこんな話しちまった俺のが悪いっていうか……ていうか。八尾さんも引いたろ? 俺の話引いたろ?」
やっちまったと思い、乙瓜は異の顔色を窺った。
昨日まで親交なんて無いに等しい間柄だったというのに、いきなり自分語りの昔話なんぞを披露されてきっとうんざりしているに違いない。
そんな発想に、その時漸く思い至ったからだ。
しかしそんな乙瓜の想像に反し、眼前の異はクスリと零した。
(……?)
その意味するものが分からず、乙瓜は目を白黒させる。
苦笑? 嘲笑? それとも話以外の所で自分が何かおかしなことでもしただろうか? と。
己の予想外の反応を受けて、乙瓜は完全に動揺していたのだ。
一方異は、目の前の相手がこんな些細な事で動揺しているとは露知らず、スゥと息を吸い込んで続く言葉を紡いだ。
「――いいや、引いてなんかいないさ。寧ろ、ああ、烏貝ちゃんもそうなんだって、不謹慎ながらに少し嬉しくなったんだよ。ぼくはね」
異は机の上で両手を組むと、今度は自分の事を話し始めた。
「きっとリクもそうだったと思うけど、みんなぼくの事を霊感が強いって言うだろう? そして伝説だとか言って適当な事を言い連ねるわけだ。何か不思議な事件を解決したとか、実は心が読めるとか言われた事もある。何故だか勝手に御淑やかだとか、近寄りがたいお嬢様だとか、病弱な優等生だとか思われることも多いしね。でも、本当のぼくはそうじゃないわけだ。こんな奴だし、勉強もそんな好きじゃない。学校もよくサボってる」
……おっと、これはここだけの秘密だよ? そう言ってニヤリとし、彼女は話を再開した。
「霊感だって大した事は無い、精々居るなってくらいにしかわからないさ。そこに何かが居て、何かがありそうだから気を付けなよって言ってる程度。それで偶々事が快方に向かってるだけであって。……解決する力なら、きっと君たち美術部の方が何倍も上だよ。何倍もね。だから、そういう意味ではぼくたちはきっと同じなんだ」
異はそこまで言うと組んだ手の上に顎を乗せ、上目遣いで乙瓜を見た。
長い睫毛に縁どられた眼窩から覗く瞳は、その時の乙瓜には大凡人間の者とは思えない、眩い金色に輝いて見えた。
「同じって、何が?」
つい恐る恐る問う乙瓜に、金目の少女は嬉しそうに口元を緩め、こう答えた。
「クラスに居る殆どの連中は本当のぼくを知らない。同じように、素の烏貝ちゃんを知る奴も殆ど居ない。知らない癖に、適当な事を言っている。まあ、これはそうだね。誰だってそうだよ。知らないことは誰だって知らないさ。知らせようとしない限り。だから、ね。同じだ」
八尾異はそう言ってニカっと笑った。
その時の彼女の笑顔ばかりは、それまで見せて来た涼しげな笑顔とは異なり、年頃の少女のような無邪気な笑みに見えた。少なくとも、乙瓜には。
(……あれ、もしかして……?)
乙瓜はその時そう思った。その脳裏にはつい先日遊嬉から聞いた言葉が浮かんでいた。
――存外、いい子だからさ。
「もしかして八尾さん、俺の事元気づけようとしてくれて……?」
「うん? ――いいや、違うよ。ぼくはぼくの話をしただけさ。ただ……まあ、リクに頼まれはしたけどね」
「……? なにを?」
唐突に出た遊嬉の名に、乙瓜は首を傾げた。
異はそんな乙瓜を見て、また何かを少しだけ考える様な素振りを見せ、そして言った。
「この頃君がなにか――君の大事な人の事で悩んでいるようだから、それとなく話を聞いてやってほしいと。ぼくはそう頼まれたんだよ」と。
それを聞いて乙瓜は一瞬何のことかと考え……直後遊嬉の企みに気づき、思わずまた大声を出しそうになった。
だが、叫びそうになる気持ちを寸前で堪えると、ソワソワと落ち着きなく周囲を見、誰の視線も向けられていない事、そして他ならぬ彼の姿がどこにもない事を確認すると、震える声で異に尋ねた。
「……どういうふうに聞いたんだ?」
「どういう風って? ……いや、どういう風もなにも、さっき言ったままだよ? そういえば、最近会えないようで悩んでるらしいとも言われたな。彼氏かい?」
彼氏かい?
その言葉を受けて、乙瓜は今度こそ我慢することが出来なかった。
「はぁ!? ちがうし!? 彼氏じゃないし!!」
大声、叫び、もしくは悲鳴。
今度こそ咳払いで誤魔化すわけにもいかないその言葉は静まり返った図書室の壁という壁に反響し、室内すべての生徒の注意を引き付けた。
数秒と待たずして、黙々と読書に勤しんでいた女子生徒がもの言いたげに咳払いする。
上履きの学年カラーは三年の黄色で、名も知らぬ彼女が先輩であるという事を主張している。
彼女のみならず、他の生徒たちの視線もまた優しい物ではない。
まるで見えない棘に刺されているような錯覚を覚えながら、乙瓜はぎこちなく頭を下げる他なかった。
「ご、ゴメンナサイ……」
そんな乙瓜を見て、異は小さくクスクスと笑った。
「……なぁに笑ってんだよ」
「いや、別にね」
ジトリと憎々し気にな乙瓜の視線を受けて、しかし異はもう一度、まるで堪え切れなかったかのように小さく笑いを漏らした。
乙瓜は納得いかないと言った様子でプイとソッポを向いた。視線を逸らした先にある窓からは、相変わらず灰色の空が覗いていた。
まるで不機嫌を助長するかのようにはっきりとしない雲の群れを見て、乙瓜はフンと鼻を鳴らした。
「そんなに怒らないでくれよ。……でもまあわかった。彼氏じゃないんだね。うん」
乙瓜の視界の外から異が囁く。
その口ぶりから、彼女は恐らくまだ彼氏疑惑を捨てていない、というか、益々彼氏疑惑を強めている様子だ。
乙瓜ははぁと息を吐き、だから違うと呟いて異に向き直った。
異は「はいはいわかったわかった」と言いつつ、やはり何かを考えるような素振りをした。
どうやらこれが彼女の癖であるようだ。
だが今度ばかりは「少し」というわけにはいかなかったのか、ブツブツと何事かを呟きながらたっぷり十秒ほど考え込んだ後、漸く口を開いた。
「そうか、祭だ」
「うん?」
そのあまりにも突飛な答えに、乙瓜は文字通り首を傾げた。
一体何をどう考えてこの答えに至ったのか、何を伝えたいのか。まるで意味が分からない。
唖然、呆然。
そんな乙瓜とは対照的に、異は極めて明るい表情でこう言った。
「どうしたものかと悩んだんだけれど、やはり大事な人との間の事はぼくみたいな外野がとやかく口出しするより直接話し合った方がいいと思うんだ」
「う、うん。それで?」
「来週末にうちの神社で祭があるのは知ってるね? だったら、そうだよ。話し合うならそういう時がいい。うん!」
異は満足げに言い切ると、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
そして乙瓜の両肩に手を伸ばして一言、「がんばりなよ」とだけ言い残し、軽快な足取りで図書室を去って行った。
取り残された乙瓜は暫くの間異の言わんとしていた事の意味が分からず、椅子に掛けたままぽかんとしていたが。
程なくして昼休み終了のチャイムが鳴るころにその意図に気付き、心の中で叫びながら頭を抱えた。
――だから彼氏じゃねえって!
昼休みの後は掃除の時間。
一人もだもだしている乙瓜を残し、図書室の中の生徒は片付けと撤収を開始する。
読書をしていた生徒は元の場所に本を戻し、何かをメモしていた生徒はノートを畳む。
本を借りる生徒は誰も居ないようなので、図書委員会の当番男子は自分のケータイから目を離し、大きく伸びをした。
彼が目を離したケータイの、バックライトの切れかけた画面の中には、とあるウェブページが表示されていた。
掲示板と思しきそのページの上部には、スレッドのタイトルが大文字で表示されている。
『最強のオカルトスポットを見つけてしまったかもしれない。』と。