怪事捜話
第五談・壺とお札と壊れた家④

 それから約一週間、美術部の元には燿子からのものと思われるでっち上げの怪事に関する手紙が届き続けた。
 内容が段々と凝ったものになっていき、便箋を変えたり意図して筆跡を変えたような手紙もあったが、部員総出で各学年の部外者にそれとなく当たってみたところ、今の所特に困った噂は流れていないようであり、存外あっさりと嘘だとわかった。
 しかし、見事釣られるまでは行かずとも、噂の真偽を確認する為に美術部の面々が割いた時間は少なくはない。
「本当に困ったもんだよなあ」
 どこかのタイミングで魔鬼がそう零したが、否定するものは誰も居なかった。
 だが、それでも美術部はまだ平和だった。
 真偽調査の副産物とはいえ、校内でも校外でも今の所怪事らしい怪事が起こっていないことが分かっているのだから。
 事実ひきこさん事件が解決した後の古霊町は平和そのものだった。妖怪や幽霊に関する噂もなければ、大きな事故も事件もない。
 それはそれで良いことなのだが、いささか不気味にも感じられた。
 それを裏付けるかのように、ある日の部活上がり、遊嬉は怪訝な顔をしてこう呟いたのだった。
「この頃街から雑霊の類が異様に少なくなってる気がするんだけど、あたしの気のせい?」と。


「……まずいことになったわね」
 件の木曜日から十一日後、月曜日。深夜も0時を回った深夜の、人っ子一人いない古霊北中にて。
 誰もいないはずのそこでぽつりと言葉を漏らしたのは、ここ古霊北中のトイレの妖怪にして同じ校内に棲む幽霊・妖怪――裏生徒達の半分を従える怪談の女王様・花子さんだった。
 会議室の中には、窓側に居る花子さんの他にも幾つかの人でないものの気配がある。
 その中の一体・闇子さんは、ダルそうに欠伸を一つ上げると、「アレのことだろ、」と頬杖を付いた。
「学校中の雑霊ぞうれいが居なくなってるっていう」
「あら、ヤミちゃんも気付いてたのね」
「馬鹿にすんな、あたしだってそのくらい分かるってーの」
 さも意外と言わんばかりの反応を見せる花子さんに対し、闇子さんは大げさに頬を膨らませた。
 花子さんはそれを見てクスリと笑うと、人差し指を立てて「でもね」と続けた。
「ヤミちゃんの言ったことには一つだけ間違いがあるわ」
「……はァ? 何がさ」
 どこも間違ってねーだろ、と口悪く言い返す闇子さんに、花子さんは人差し指を立てた手をそっと向けた。
 静かに、のジェスチャー。闇子さんはまた幾らか不満げな表情を浮かべながら、しかしジェスチャーに逆らうことなく言葉を飲み込んだ。
 花子さんはニコリとし、再び口を開いた。
「学校中、じゃないわ。街中の雑霊が居なくなってるのよ」
「ああん? 街中? そりゃあ偉い騒ぎじゃないか!」
 花子さんの言葉に驚いたのは、何も闇子さんだけではない。
 会議室中に集められた学校妖怪たちが一斉に騒めき出したのだ。だが、彼らが驚くのも無理はない。
 少なくともこの界隈では、未練や目的、果ては己の形すらも忘れてしまったような力の弱い存在を雑霊と指す。
 己が何者なのか忘れてしまったそれは、特に現世に対して大きな悪意を持つこともなく、しかし何者であるかわからないが故に成仏することもあたわず。真っ黒な魚のような姿を取って、現世の隣にあるもう一つの世界・妖界の海の中を彷徨さまよっている。
 その数は一つや二つどころではなく、雑草がどこにでも生えるように、建物の中であろうが森の中であろうが水の中であろうが、それこそどこにでも存在する。
 故に雑霊。怨霊にも仏にもなれなかった有象無象の存在。
 ――故に。どこにでもいる筈の彼らがどこにも存在しないということは、それだけで十分に異常事態であることを示していた。
「まてまて、街中の雑霊って、そんな途方もない数の奴らは一体どこへ行ったって言うんだよ! 退魔師の奴らだって一々相手にしてられねーってんで、こごって空気がよどんだ時ぐらいにしか相手にしないじゃないか!」
 闇子さんが興奮気味に机を叩くと、丁度向かいの席から「まあまあ」と声がした。
 しかしそこには人影はなく、代わりに丸く小さな鏡がぽつんと置かれているのみ。
 だが闇子さんは、その鏡に向けてキッと鋭い眼光を向けると、忌々し気に舌打ちした。
「……なにさ。何か意見があんのかよ、雲外鏡うんがいきょう
 雲外鏡と呼ばれたそれは淡く紫色に輝き、その鏡面から小人のような大きさの人物を登場させた。
『嫌だなあ、随分なご挨拶じゃないかー。僕が君に何かしたかい?』
 現れた小人は鏡の上に胡坐あぐらをかいて座ると、ふわぁと大きく欠伸をした。
 彼の名は魅玄みはる
 元々は普通の人間大であり、鏡の中に過去や未来の幻影を映す妖怪だったのだが、色々あって花子さんの手鏡の中に封印されて以来、その鏡の精としてこき使われている存在である。
 魅玄は小さな手で闇子さんを指さすと、小馬鹿にしたようにふふんと鼻を鳴らした。
『学校中、ひいては街中の雑霊を消し去るなんて馬鹿な事、出来るわけないじゃないかー。ちょっと考えればわかりそうなもんだけど、わっかんないかなー?』
「……あんだよ、あんたにゃわかるって言うのかよ」
『当然!』
 魅玄は得意げに胸を張り、そしてこう続けた。
『雑霊は消えたんじゃないよ。姿が変わったんだ・・・・・・・・。だから居なくなったように見える』
「はあ?」
 その返答に闇子さんは益々意味がわからないといった表情を浮かべた。
 何が何やらわからない。闇子さんの頭の中は完全にこんがらがっていた。
 怪訝けげんな表情のまま固まってしまった彼女に代わり、その隣の席から声が上がった。
「花子お姉様ー。雑霊が姿を変えるなんてことがあるんでしょうかー?」
 質問する生徒のように手を挙げて身を乗り出すのは、赤マントに赤帽子の少女、エリーザ・シュトラムだった。
 怪人赤マントの弟子を自称する彼女は自慢のアホ毛をぴょこんと揺らし、そのアイスブルーの瞳でまっすぐに花子さんを見つめた。
 そんな視線を受けて、花子さんはやや考えるように顎に手を当てた後、チラリと魅玄の方を見た。
 どうやら解説は任せるといった事らしい。魅玄はそれを察して溜息を吐くと、くるりとエリーザの方へ向き直った。
『雑霊は何者でもなくなってしまった存在だから、いつでも存在を欲しがってるんだ。形が欲しい、名前が欲しい、行動理由がほしい……それらはもはや意志というか、本能のような渇望だね。だから、存在を定義づけてやることで姿を変えることができるんだ』
「てーぎづけ……?」
 異国の言葉でも読み上げるように反芻するエリーザに向かって、花子さんは言った。
「名前をつけてやればいいのよ。なんでもない私が・・・・・・・・"花子さん"で、貴女が"怪人赤マント"であるように。名前と……そして物語。曰く・・、伝説、伝承、噂、都市伝説、怪談……それらしいおハナシを元にして、私たちがそれになっているのと同じように。……ねえ、そうでしょ?」
 花子さんはそう言って入口側を見遣った。否、正確には入口側に居るその人物に目を向けたのだ。
 窓から入り込む寝待月ねまちづきの輝きのあと一歩及ばぬ所に立つ彼は、月光より明るい炎のような眼光を輝かせるなり、ふぅと口を開いた。

「有ると思えばそこに在り、無しと思えばそこに亡し」

 言って一歩前へ踏み出した彼――草萼火遠は、逆光の中で自分とは違う赤に輝く花子さんの瞳をしっかりと見据えながら続けた。
「何者かが雑霊に定義を与えて回っている」
「ええ。そしてその何者かは既に特定されている」
「「その何者かの名は」」
 互いの赤色しせんを交差させ、彼らの声は重なった。

「「雛崎燿子」」



「――と言うわけで、雛崎って子のおかしな嘘を媒介にして雑霊たちが姿を変えてるみたいなの。だから、乙瓜、魔鬼……それと最近力を手にしたらしい貴女たちにもお願いするわ。あの娘を止めなさい。以上よ」
 翌日火曜日、その放課後。美術部の五人――乙瓜、魔鬼、遊嬉、眞虚、杏虎――を屋上の扉の前まで呼び出した花子さんは、えらく簡潔に事情を述べた後でさらりとそう告げた。
「ていうか、久しぶりに呼び出されたと思ったらそれぇ? ……なんかテンションさがるなあ」
 もう雛崎さんの相手疲れたと愚痴交じりに零す魔鬼の傍らで、乙瓜もそうだそうだと騒いでいる。
 一方で、ほとんど初めて呼び出された遊嬉以降の三人は、花子さんの要望をすんなり聞き入れ、「どうするかなー」等と話し合っている。
 乙瓜はそんな彼らにジトリとした視線を送ると、花子さんに向かってこう言った。
「……しっかしなー。大体、雑霊が定義を得る事に何の問題があるんだよ。街が綺麗になっていいことじゃないか。あいつら視界の半分埋めてくるから前々から鬱陶しいと思ってたんだよ。最近は寧ろ清々せいせいしてるぞ」
 乗り気じゃない事の口実のように言ってのける乙瓜に対し、花子さんはキッパリ「駄目よ」と告げた。
「駄目よ。駄目ったら駄目。……いい、心して聞きなさいな。途方もない数の雑霊が定義を得る事は即ち、途方もない数の怪談が生まれる事と同義。そうしたら、いつだかの怪談自爆テロなんて目じゃないくらい面倒な怪事があっちこっちで同時に起こるわけだけれど……それでもいい?」
 言って「ふふふ」と嫌な笑みを浮かべる花子さんに対し、乙瓜と魔鬼はぶんぶんと首を横に振った。
 花子さんはそれを見てにんまりすると、腕組みしながらこう続けた。
「兎に角、交渉するなり簀巻すまきにするなりして雛崎燿子を大人しくさせるのよ。そして必ず嘘を認めさせ、撤回させること。わかったわね?」
「おう、わかった……」
「了解……」
 二人の返事を聞いて花子さんはにっこり笑顔を作り、「頼んだわよ」と姿を消した。
 残された美術部五人は、少しの沈黙の後顔を見合わせる。
「とりあえず雛崎さんを捜さないとね……」
 顎に手を当てながら眞虚が言った。他の四人もそれに頷くが、その直後杏虎が「待てよ」と呟いた。
「どうしたの杏虎ちゃん?」
「いや、眞虚ちゃん……ただね。捜すったって、雛崎燿子って何部なんだろーって……」
「あー……」
 そういえば、と眞虚は思った。
 雛崎の手紙には今日まで散々振り回されてきたが、眞虚は雛崎がどういった娘なのか、それこそ家庭の事情からオカルトが嫌い程度にしか知らないという事にふと気づいた。
 それは乙瓜、魔鬼、遊嬉もまた同じことだった。
 皆が首を傾げる中、魔鬼が大きく手を叩いた。
「ああ、そうだ」
 皆が振り返る中、閃いたように眼をいっぱいに見開き、魔鬼は続けた。
「明菜ちゃんは雛崎さんと同じクラスじゃないか!」
 そう、魔鬼は思い出したのだ。初めて雛崎燿子に罵られたあの日、明菜が同じクラスだと言っていた事を。
 こうしちゃいられないと、魔鬼は足早に階段を数歩降り、それからぴたりと足を止め、未だ踊り場に留まる四人を見上げた。
「何してんのさ、早く」
「お、おう?」
 なんだか魔鬼の奴突然元気になったな? 乙瓜はそう思いながら再び歩き出した魔鬼を追いかけた。更に後ろには眞虚たち三人も続く。
 魔鬼たちにやや遅れて階段を降りる途中で、眞虚は両隣の杏虎と遊嬉を見比べながら「そういえば」と切り出した。
「遊嬉ちゃんこの頃杏子ちゃんに張り合うのやめたね?」
「ぬぁっ!?」
 唐突な発言に、遊嬉は潰された蛙のような声を上げた。
 一方の杏虎は首を傾げ、無言で何のことだと言わんばかりの表情を浮かべている。
 そう。先月の事になるが、遊嬉は杏虎が退魔宝具・雨月張弓の力を手にしたきっかけとなった事件に対して何か思うことがあり、しばらく杏虎の一挙一動に対して揚げ足を取るというか、大人げないというか、どこかぎくしゃくした接し方を続けていたのだった。
 尤も、遊嬉が一方的につっかかっていただけで杏虎の方は特に何とも思って居なかったようではあるが。
 しかしこの頃の遊嬉は杏子に対して変に突っかかったりすることをしない。眞虚はその事をちょっぴり不思議に思って居たのだ。
「どうして?」と首をしげる眞虚に対し、遊嬉は「それは」と口籠くちごもった。
 その顔は次第次第に赤く染まっていく。眞虚は益々不思議そうな様子で大きな目をパチクリさせている。
 そんな二人の様子を見ながら、杏虎は宙を見上げながら「あー」と気の抜けたような声で言った。
「そういやさー、先月の終わりに遊嬉に謝られたんだよ。なんかよくわかんないけど、それの話?」
 杏子が涼しい顔で言ってのける傍ら、遊嬉はそれを掻き消すように「あーあーあー!」と大声を上げた。
「あーあーあーあ! 何の事なんのことなんのことー! あたしは杏虎に張り合ったりとか謝ったりとか、絶対にしてないからー! してないんだからねーー!」
 わざとらしくわめきたてる遊嬉を見て、眞虚は一瞬呆然とし、そして思った。――恥ずかしいんだなぁ、と。
 要するに遊嬉は、普段は何が起こっても何でもない風に構えている自分がつまらないことで意地を張っていると思われたくないのである。
(でもバレバレだったけどなー)
 眞虚は苦笑いした。だが自分ではムキになっていないと言い張る友人の顔を立て、ひとまずこう答えることにした。
「そうだね、別に普通だったね」
「でしょー! そうでしょーー!」
 ぷぅと頬を膨らませる遊嬉を見てクスリと笑いつつ、眞虚は彼女らと共に一階を目指した。


 一方、先行する魔鬼と乙瓜は一階二階間の踊り場で明菜と鉢合わせていた。
「見つけた! 明菜ちゃん! ……ていうかこんなところで何やってんの?」
「わわっ、何ですか黒梅先輩藪から棒に……!? いや、あの、歩先輩に言われて様子を見に来たんですけれど……」
 大声で自分を呼ぶ上級生にやや引きつつ、明菜はこの場に居ない歩先輩――深世に助けを求めるように階下に視線を遣った。
(あー、成程。深世さんか)
 何だかんだと言って心配性の彼女らしい。
 魔鬼は納得したように一人頷くと、明菜の肩をガシリと、まるで獲物を捕らえた猛禽類のように掴み、自らの真正面に立たせた。
「なっ……なんですかあっ!?」
 明菜は魔鬼の唐突な行動を前に完全にドン引きしていたが、当の魔鬼はまるで意に介さない様子で彼女の怯え切った瞳をじぃと覗き込みながら問いを口にした。
「明菜ちゃん。雛崎さんの部活ってわかるかな?」
「ひ、雛崎さんですか!?」
 明菜は悲鳴に近い裏返った声を上げた。
 魔鬼はコクコクと頷きながらも顔色一つ変えない。ずっとその様子を傍から見ていた乙瓜は、「いや、それ絶対答えにくいだろ」と思ったが、口に出したらとばっちりがあるかもしれないので黙っていた。明菜にはかわいそうな話であるが。
(テンションの上下が怖い先輩でごめんな……)
 乙瓜は心の中でそっと明菜に詫びた。
 しかし当の明菜はしどろもどろになりながらも、眼前の怖い先輩に向かって返答を返したのだった。
「えっと、雛崎さんを捜してるなら、あの、学校には居ないと思いますっ、えと……彼女帰宅部なんで」
「帰宅部?」
「はい……」
「……んー、困ったなぁ」
 魔鬼は顔をしかめると、明菜の肩を拘束する手を離し、いくらか考え込むようなポーズをとった。
「どうするよ?」
 乙瓜がやっと自分の出番とばかりに魔鬼の肩を叩く。
 魔鬼は暫く「んー」と唸り続けた後、「学校じゃないなら……家、だよなあ」と呟いた。
「古虎渓さん、雛崎燿子の家を知ってるか?」
 乙瓜が問うと、明菜はぶんぶんと首を振った。曰く、出身校が違う為わからないとの事だった。それを聞き、乙瓜は「参ったなー」と腕組みする。そんな彼女の様子を見て、明菜は思い出したように声を上げた。
「あっ、でもっ……ですね、烏貝先輩」
「でも? なんぞい」
 パチリと瞬きする乙瓜に、明菜はこう答えた。

「多分、私と同じ美術部の……寅譜とらつぐさんが知ってると思います」

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