怪事捜話
第四談・現代奇談ナイトメア③

 北中の学区から一歩外に出た古霊町南西の外れ。国道が通い、北東部に比べて少しだけ人口が密集した場所。
 そんなところに、その家は存在していた。
 田舎の住宅街の街並みによく馴染んだ木造二階建て。広すぎず狭すぎず、奇抜で珍妙なカラーペイントが施されているわけでもない。良くも悪くもこれと言った特徴の無い、ごくありふれた一軒家。
 そここそが、小説家・狩口梢の自宅であった。
 空はすっかり暗く濃紺に染め上げられているが、立ち並ぶ街灯と近隣の民家から漏れ出た明かりに照らされ、その家の全容ははっきりと認識することが出来る。
 そんな家を見上げ、魔鬼はしばし呆然としていた。

 彼女が狩口梢の自宅前に来ているのは、他でもない狩口本人に誘われたからに他ならない。
 有名小説家からまさかの"口裂け女"カミングアウト。
 それだけでも魔鬼にとっては相当衝撃的な出来事だったのに、あの後マスクを直した狩口が魔鬼に提案したのはもっと驚くような事だった。

「あなた、"北中美術部"の子でしょ。丁度よかった。色々とお話したいことがあるから、私の家に行かない?」

 北中美術部の噂を知っている、口裂け女という怪異。
 魔鬼は当然警戒したが、敵意を微塵も感じさせない狩口の様子とマイペースな雰囲気に飲まれ、半ば強引に彼女の自宅前へと連行されてしまったのであった。
(一応万が一に備えて使い魔を一匹乙瓜の所に送ったけど、それにしたって……)
 魔鬼は目の前の家をもう一度上から下までまじまじと凝視する。
 売れっ子小説家の自宅と聞いて勝手に立派な邸宅を想像していた魔鬼は、目の前の普通・・の家とイメージの中の豪邸のイメージの落差にとんんだ肩すかしを喰らった気分になった。
 そんな魔鬼の心中を見透かしたのか、狩口は「明治の文豪じゃないんだから、今は大抵みんなこんなものよ」と微笑んだ。
「狭い所だけど、まあ上がって」
 狩口は突っ立ったままの魔鬼の背を軽く押すと、カーディガンのポケットから鍵を取り出した。
 ほぼ間違いなく玄関の鍵だろうと思われるそれ一錠に対し、見ただけで「ずっしり」という擬音が浮かんできそうなほどおびただしい数のキーホルダーが付けられていた(しかも殆どがご当地ゆるキャラのマスコットだ)。明らかに過剰に取り付けられたそれらは複雑に絡み合い、まるで芥川の『蜘蛛の糸』の様だった。
 そんな何とも禍々しい物体を目の当たりにした魔鬼は呆然とし、無意識に視線を逸らした。
 その視線の先に、玄関灯に照らされて木製の立派な表札があった。
 そこには堂々と『狩口』の苗字が掲げられている。そしてその横には小さく『梢』そして『登』(読みは『のぼる』だろうか)と、二人分の名前が掘られていた。
「……誰か一緒に住んでるんですか?」
 魔鬼が口にした一言に、鍵穴と格闘していた梢は振り返った。そして魔鬼の視線が表札にあるらしきことに気付き、「ああ」と納得したように呟くと、何でもない調子で言った。
「それね、うちの旦那」
「なるほどぉ……って、はいぃ!? 旦那!?」
 まるでノリツッコミのようなリアクションで驚いてみせた魔鬼を見て、狩口はまたクスリと笑った。
 それが何だか意味深な笑みに見えて、魔鬼は身震いした。
 怖いからではない。……いや、ある意味でこわい・・・と言えなくもないだろうが。
(口裂け女と結婚して生活している奴が居る……だと? それはただの人間なのか? それともまた別の怪異の類なのか……!?)
 動揺する魔鬼の目の前で玄関の扉が開く。今家人が戻った所なので当然と言えば当然なのだが、屋内には灯り一つ点いておらず真っ暗だ。
 黒々とした闇がぽっかりと覗く玄関がまるで伏魔殿の入り口のように感じられ、魔鬼はゴクリと生唾を飲んだ。
(……いや、待てよ。相手は一人、こちらも一人。……だけどこの家は"口裂け女"の居城で、こっちは圧倒的なアウェー。それに、旦那が人外の類である可能性もあるんだよな……?)
 魔鬼は穿つような視線を狩口に向け、そして想像する。ここまで非常に親しみやすい雰囲気を醸し続けている彼女だが、もしそれが全て演技だとしたら……。
 小説家・狩口梢。その正体は"口裂け女"。その都市伝説は魔鬼も知っている。

 ――下校中の子供に「わたしきれい?」と問いかけ、返答によって惨殺してしまう。
 案の定語り継がれるパターンには細部の異なる者が幾つかあるが大筋はこんな話であり、シンプルながらもかつて日本中の子供達を恐怖させ社会問題となった、まさに「伝説」の存在なのである。

 ここまでノコノコついて着たが、果たして本当にここから先に足を踏み入れて良いのか否か。
 既に内玄関の明かりをつけて手招きしている狩口を見ながら、魔鬼は慎重に考える。
 ――恐らく、自分がこうしている間にも他の部員達は"ひきこさん"への警戒を続けているだろう。それはそれで良いとして、問題は自分たちが全く別行動を取っているという点だ。
 今現在、町の南西を哨戒しているのは魔鬼一人。
 ……もし、万が一"口裂け女"と"ひきこさん"がグルだったとしたら? "口裂け女"の目的が自分を足止めすることで、このエリアに"ひきこさん"が現れたとしたら……?
(その可能性も0ではない以上、ここで彼女を信用するのは危険……)
 魔鬼の表情は自然と険しいものへと変わっていた。一歩も動かず、精神を研ぎ澄まして辺り一帯へ張り巡らせる。
 狩口は明らかに警戒心を増した様子の魔鬼を見ながら、困ったように壁に寄り掛かり、顔にかかる髪を掻き上げた。
「……流石見上げた警戒心ね。まあ、いきなり出てきた怪しい"口裂け女"をいきなり信用しろって方が無理のある話だけども。あなた、今こう考えてるでしょ? 『罠だったらどうしよう』って。違う?」
 ピンポイントで的を射た指摘を受け、魔鬼は目線を狩口から逸らさないまま僅かに一歩下がった。それを無言の肯定と受け取り、狩口は「ああ、やっぱり」と溜息を吐いた。
「はぁ。仕方ないか。……だけど、敢えて言わせてもらうけど。私、本当にあなたをどうしてやろうとか無いの。……本当に只話を聞いてほしいだけなんだってば」
 狩口はそう言うと、何も持っていない両手を広げて玄関から一歩魔鬼に歩み寄った。
 魔鬼はそんな彼女の行動に対してポケットから定規を取り出し、彼女に向けて真っ直ぐに構えた。
 時間にして一秒以内の早業。あっという間に形成される臨戦態勢。やや驚いた様子で目を見開く狩口に、魔鬼は強い口調で問う。
「なら! ……あの信号前で、お前は何を待っていた! 本来人を襲う都市伝説である筈の"口裂け女"が、……もし私に出会わなかったら何をするつもりでいたんだ!」
「…………」
 魔鬼の追及に対し、狩口はやや眉間にしわを寄せ、僅かな間沈黙した。
 夜の住宅街にほんの数秒だけ静かな時間が流れる。その静寂を破って、狩口は口を開き、滔々とうとうと語り出した。
「人を待っていたの。……今日だけじゃない、いつもあの場所でああして待っていた、それだけ。……だけど待ち人は来なかった。その代わりにあなたが現れた。いきなりビームなんて飛ばしてくるもんだから一瞬でわかったわ。あなたが子供達の間で噂の北中美術部なんだって。だから私、待ち人の事をあなたにお願いすることにしたの」
「待ち人……お願い……? 一体何のことだ?」
 狩口が何を言わんとしているのかイマイチわからず、魔鬼は険しい顔のまま首を傾げた。
 そんな魔鬼の様子を見て、狩口は困ったように顎に手を当てた。
「はぁ、……やっぱりこういう大事なことは最初にはっきり言っておいたほうがよかったわね。しくったわ」
 溜息交じりに漏らすと、狩口は真っ直ぐ魔鬼の目を見つめた。月光のように輝く瞳は真剣な色を宿しており、魔鬼はそんな彼女の瞳から目を離せなくなってしまった。
 交差する目線の先、真剣な表情で狩口梢は言った。

「一緒に"ひきこさん"を捜してほしいんだけれど」

HOME