怪事捜話
第十九談・籠の中の虜は③

 その頃校舎三階図書室では、ミ子と火遠の防御術式が完成しつつあった。
 術式とはすなわ現世・・に影響を及ぼす特定条件命令の指定と実行。【灯火】の丁丙はその考えを元に宗派や流派によって形式の違う術の体系や方式を蒐集、共通形式に変換した上で記録し、各術者に一番適応した形式で再読み込み可能な術式共有情報体ライブラリサーバーを作り上げた。
【灯火】における術式構成とは、その膨大なライブラリに情報を共有し、術式使用者それぞれが知恵を絞って特定目的の実行を目指すもの。そう、丁度コンピュータプログラムを構築するように。
 ミ子らが数ヶ月を費やした防御術式は、【月】のダーツを無効化する為のもの。幾多の人外の心を壊し破滅へ向かわせたその脅威を完全に無力化し、被害を最小限に留める事を主目的とし、且つ敵意を持つ相手の校舎内部への侵攻と破壊に歯止めをかける事を目指していた。
 ダーツの解析に思ったより時間がかかった事と、校舎に対する単純なようで複雑な条件指定を要求されるフィルタリング設定に時間がかかってしまった為非常事態の只中での最終作業となってしまったが、――仕方ない、とミ子は溜息を吐いた。
「本当はもう少し実行テストをしたいところですが……非常事態です。仕方ありません」
 全身を覆う黒布から唯一覗かせる大きな一つ目に決意を込めて。ミ子は火遠を振り返った。視線の先の火遠は物憂げな表情で図書室の扉を見つめている。それはすぐ近くまで侵入してきている人形の軍勢を心配しての事か、今も校舎の各所で戦い続けている仲間を思っての事か、それとも少し前に廊下の果てから感知した不吉な気配を思っての事か。
 いずれも、という選択肢もあるなと思いつつ、しかしミ子は自分たちの使命を果たすべく、彼に言葉をかける。火遠様、と。
「火遠様。防御術式の実行に入ります。宜しいですね?」
「……ああ。そうだねミ子ちゃん。始めてくれ」
 ハッとしつつも頷く火遠を見て、ミ子は黒布の内からスッと何かを伸ばす。それは可動域が自然なものとなるように作られた最新式の義手であり、まぎれもない彼女の腕。指の間には三枚の紙――本の栞が挟まれている。否、それは栞にあって栞に非ず。栞の形をした護符と言った方が正確だろう。【灯火】のシンボルたる星を宿した小さな護符は宙に舞い、縦列三連に淡く金色の光を放つ。
 その光に向かって、彼女は言う。
「――防御術式、定義開始」
 淡々と、呪文を唱えるように。
「マークアップは丙六式はち型改、灯火九九型記述形式互換型。防御術式に関する諸定義とマクロ読込。オプション指定開始。限定疑似法力出力ユニット・並びに仮設ブースターに接続。灯火神仏式退魔迎撃プラグイン謹製九年型一一式読込。大結界符自動生成プラグイン読込。七式守護式神召喚方陣設置。条件は一から二十の四乗まで。術式攪乱プロテクション読込。オプション指定終了。実行待機、実行開始」
 言い終えると同時、三連の護符は一つに重なって図書室の床に刺さる。刺さった場所からフローリングブロックの板目沿いに黄金の光が走り、それはやがて床を超えて壁へ天井へ、図書室を超えて廊下へと向かう。
「防御術式、……発動しました。これで――」
 言いかけて、ミ子はぐらりとふらつく。そのまま後頭部から床にぶつかりそうになる彼女を咄嗟に火遠が支えた。
「ありがとう。君はもう休んでいいから」
「……そうしておきます。火遠様もどうかお気をつけて」
 疲労の浮かぶ一つ目を、けれどもどこか微笑むように細めたミ子を、火遠はゆっくりと床に下した。それから一度時計に目を遣り、図書室の外へ向かうべく立ち上がった時、せわしい足跡と共に図書室の扉が乱暴に開かれた。
「ミ子! 火遠の旦那!」
 飛び込んで来たのは闇子さんだった。ほぼ霊体と変わらないくせに息を切らした様子の彼女は、床に倒れたミ子を見て丸く口を開いた。恐らくは「大丈夫か」とでも叫ぶつもりだったのだろうが、それは火遠が口の前に立てた人差し指によって阻止された。
「あ、ああそうか。すまねえ」
 闇子さんはキョトンとした後頭を下げると、声のトーンを落として続けた。
「旦那たちの術式は多分成功だ。今の今まで押し寄せて来てた敵さんの人形ときたら、みんな崩れて消えてちまった」
「そうか。報告ありがとう。……ところで姉さんは? 図書室ここの近くに居たと思うんだけれど」
「嶽木なら少し前に調理室に向かったっきり会ってねえな。異怨の事だったら生徒会室でお菓子食ってっぞ。平和なもんだよ」
「……調理室、か。多分そこに水祢も――わかった」
 小さく呟き頷いた後、火遠は闇子さんの来た扉に向かって歩き出し、数歩進んだところでそれから思い出したように行った。 「そういえば、花子さんたちの居場所を知らないかい?」
「イコの? さあ、少し前まではあたしらと居たんだけど、人形どもと乱戦になった時に一人だけ神楽月の奴を見つけたとか言い出して、そっからはぐれちまった」
 あいつエリーザの一件から神楽月の奴許してねえからなぁ、と闇子さんがほぼ独り言のように続ける中、火遠は考える。
 襲撃が始まってから防御術式が完成・発動するまでの間、図書室はあらゆる妨害を遮断する為に人払いを施し、空間を封鎖していた。そんな中にあっても外界から伝わって来た強烈な気配は一つ。数分前に感じた、叫びとも嘆きともつかない気配。――直感的に己の身内を想起した気配。
 その時それ以上に外界を知る手段を持たなかった火遠としては、それが襲撃者のダーツに起因するものなのかは定かではない。定かではないが、火遠が異変を感じ取ったのはその一度だけ。仮説と直感を信じるならば、ダーツの餌食となったのは一人だけということになる。
(その一人が水祢だったとしてそれはそれで気がかりではあるけれど、それ以上の被害が出ていないというのならそれに越したことは無い……か。且つ術式が正常に動いているなら、この『学校』という空間で単騎の【月】の幹部よそものにやられるような花子さんじゃないだろう)
 考えを巡らせ、火遠は再び顔を上げる。
「闇子さん。もういいよ。ありがとう」
「お、おぅ? おう」
 今の今まで花子さんについて語り続けていた闇子さんはキョトンとし、けれども「なんかわかったのならそれでいいか」と自己納得したようにポンと手を叩いた。
 そんな闇子さんに「ミ子ちゃんを頼む」とだけ言い残し、火遠は改めて歩き出す。まずはあの気配を感じた三階廊下の果て――調理室へと向かい、そこから徐々に校舎の損害と学校妖怪、美術部の無事を確認していく。
 そんな段取りを考えつつ図書室の外へ、廊下の床に一歩踏み出した刹那。脳裏に閃くように浮かんだ光景に、火遠はハッと目を見開いた。

 それは、術式作業の為にずっと遮断していたが繋がった証。
 未だ淋しく枝を揺らす桜の木。プールのフェンス。着物の女。黒梅魔鬼と八尾異という奇妙な組み合わせと、昨年末に北中を襲撃した十五夜の名を冠する二人組の姿。
 乙瓜の右目越しに見える景色。

 閃光のように駆け抜けたここではない場所の光景に、火遠は一時全ての行動を止め、全ての思考を投げ捨て、――段取りも何も無視してその場から姿を消した。
 彼は気づいたのだ。【月】による大襲撃の真相に。全てを指揮する曲月嘉乃の真意に。
(そうか! そういう事か嘉乃――)
 一つの言葉が頭に浮かぶ。その言葉の名は――『陽動』。



 片や、北中美術室では。
「やっと片付いたぁ……ってかなんか一斉に崩れてくれたわけだけど、これどういうことさー?」
 肩で息しながら机の上にでんと腰かけ、遊嬉はチラリと隣を見た。そこに立つ学帽にマントのたろさんは、嶽木から託された刀を鞘に納めつつ「防御術式でござるよ」と答える。
「三階で火遠殿達が作業していた術式が無事完成したようですな。敵意を持った侵入者は排除され、ダーツの力も無効化された筈……でござる」
「ああ、前に嶽木が作ってるとか言ってたアレか」
 遊嬉は納得したように呟き、最終的に部員全員で抵抗した為すっかり椅子も机もぐちゃぐちゃになってしまった美術室内を見渡して乾いた笑いを漏らした。この状態を顧問に見られればお叱りを受ける事確実である。だが、部屋の中を滅茶苦茶にしても深世や後輩一年たちが逃げずに自分に加勢してくれた事が、遊嬉にはなんだか嬉しかったのだ。勿論、来てくれたたろさんも。そして――。
「あんたたちも何だかんだでありがと」
 目を遣った窓際。涼しい顔で佇む、赤と黒の長髪の少女。
 アルミレーナと石神三咲。ヘンゼリーゼの【青薔薇】に属する二人。圧倒的な数で攻めて来る人形たちから美術室を守りきれたのは、途中から彼女たち二人が加勢してくれたのも大きかった。
「あんたらんとこのヘンゼリーゼの思惑は兎も角、一応感謝しとくわ。魔法めっちゃ便利」
「そう。それは良かったわ」
 さらりと髪を掻き揚げるアルミレーナの隣で、「ヘンゼ嫌われ者だねー」と三咲は笑う。ほんのちょっぴり異質な雰囲気を纏った二人を一年部員は遠巻きに見つめ、しかし岩塚柚葉だけは興味深そうに何かしらの話――どうしたら魔法が使えるのか、等――を聞き出そうとしては華麗にスルーされ続けている。
 他方で深世は、どう目を背けても惨憺さんたんたる状況であることは変えられない美術室の中心に行儀悪くも胡坐あぐらをかき、恐らくは部長として何らかの責任を言及される事を思って「どうにでもなれや」と開き直り気味にぼやいた上で叫ぶ。
「……ていうか火遠あいつが言ってた事信じるなら戦争のなんちゃらが嫌だから人類滅ぼすとかそう言う事言ってる奴がうちらに戦争仕掛けて来るってどゆこと!? 矛盾してんじゃんチクショー―!! だからもうこういう巫山戯ふざけた事が二度と起こらねえように本拠地乗り込んで潰そ!? ねえ潰そう!!?」
 やけくそとも取れる叫びを上げる、恐らく美術部二年の中で最も平均的平凡な少女。そんな彼女の叫びに遊嬉は目を丸くし、直後にへらと破顔する。
「深世さんトンデモ人間側には入らないんじゃなかったっけか?」
「そ、それはそれこれはこれだし! ……私だってトンデモ人間にならなくても竹槍くらいは投げてやらぁ! そんくれー怒ってんだよォ!」
「部長! 爆弾の作り方ネットで調べましょーか!?」
 少し前まで魔女二人に詰め寄っていた柚葉までもが乗り気で振り返る。そんな中。

「遊嬉ちゃん無事!?」
 美術部に文字通り飛び込んで来る・・・・・・・人物が一人。草萼嶽木。何やら血相を変えた様子の彼女を目に、遊嬉は「なんとか大丈夫ー」と手を振り、「眞虚ちゃんたちは大丈夫だった?」と続ける。あの・・調理室で嶽木が眞虚と杏虎に会った事は、既に遊嬉には伝わっていたのだ。
 だが何も知らされていなかった深世はハッと口を開き、「眞虚ちゃんたちのとこにいたの?」と問う。
 そして遊嬉と同様に大丈夫だったかと続ける深世に、嶽木は眞虚との別れ際を思い出して少しだけ眉を顰め、けれども、「ああ」と短く頷き、すぐさま窓際の二人――アルミレーナと三咲に目を向ける。
「君たちヘンゼリーゼからの増援だね。……聞きたい事がある」
 静かに、けれどもやや早口気味に、はっきりと。問う嶽木に三咲はわざとらしく小首を傾げた後、アルミレーナに目を遣った。
「そっか。分かる人には分かっちゃうんだねエリィ。ヘンゼが私たちをお使いに出した理由とか」
 愛らしくも何を考えているか分からない三咲の目を、アルミレーナの切れ長の瞳が見つめ返す。三咲はそれを見てニコリと微笑み、それから嶽木に向き直った。
「あのね、これは運命なの。星の相にもそう出てる、こればっかりはどうあがいても絶対に変えられない運命」
 澄ました顔で、何の悪気も無い顔で。三咲は言った。確かに言った。

「誰もが目を離していたこの隙で。【月】は烏貝乙瓜を手に入れる。――あなたたちを折る為に」

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