怪事捜話
第十八談・ラブミー・U→I・ラプソディ⑥

 明菜が再び調理室を目指し、調理室で蘰のダーツが投じられた頃。明菜を襲ったものと同じ人形の軍勢たちは次々と北中校舎内へと侵入し、緩慢ながらも確実な動きで校舎内部を制圧しようとしていた。
 いずこからか昇降口へと召喚された彼らはそのボディに内臓された認識妨害の術式にて騒がれると厄介な教師陣介入の可能性を絶つと、我が物顔で廊下を闊歩かっぽし、横へ縦へと行軍する。
 一階西端の美術室などは真っ先に襲撃される形となり、突として現れた異物を前に狂乱する後輩を物置きとして使われている棚の裏側へと退避させ、遊嬉がその刃を振るう。
「ない話でもないとはいえ、いきなり大隊率いて攻めて来るとはちと予想外だったわ……!」
 ぼやき、遊嬉は己が相手にする人形を見る。どうにかして入口付近で足止めしているそれ・・の腕には遊嬉の操る崩魔刀の白刃が深々と突き刺さっているものの、そもそもとして人形だからか痛みを感じないらしく、全く退く様子はない。その上力も強く、動き自体は単純なものの兎に角前へ前へと進もうとする力を前に、流石の遊嬉も押し負けそうになる。
(けれどもここで負けるわけには――いかないよね。流石にね……ッ!)
 歯を食いしばり足に力を込め、遊嬉は刃の刺さったままの人形の腕を切り落とす。その腕がゴトリと鈍い音を立てて床に落ちると同時、遊嬉は眼前の人形の腹部へと蹴りを食らわせた。その蹴りは人形にとっては大したダメージではなかっただろうが、重心のバランスが崩れたのだろう。人形は廊下側に向けて大きくよろめいた。
「深世さん! 用具入れ!」
 その瞬間をチャンスと見てか、遊嬉が叫ぶ。後輩の隠れ場所を守る棚の上から様子を見ていた深世は突然の指示にびくりと硬直した後、けれども遊嬉の意思を汲み、棚の横・入口のすぐ横に立つ掃除用具入れに蹴りを入れる。
 スチールで出来た掃除用具入れはその身を軋ませながら傾き、中の掃除用具を全てぶちまけながらバランスを崩した人形目がけて倒れる。その人形の背後からは何体かの後続の人形が美術室内に侵入しようとしていたが、突如起こった轟音に怯んだかのか、少しの間動きを止めた。
 遊嬉はその一瞬の隙を見逃さなかった。手にした退魔宝具を握りしめ、掃除用具入れの下敷きになったものから入口で足を止めたもの、更に廊下に続く人形たちをキッと睨んで剣を大きく振りかざす。
「――怪異閃々!」
 入魂の叫びと共に振り下ろされた崩魔刀はその刃先から赤い閃光を放ち、言わば"斬撃波"とでも呼ぶべき破壊の波を起こして遊嬉の前方に存在した全ての人形を粉砕する。棚の上から見ていた深世はその光と衝撃に目を瞑った後、恐る恐る目を開く。
「やっつけた……?」
「見えてる限りのは」
 不安げな深世に一目もくれず、遊嬉は入口の向こうの廊下を睨んだ。構造上死角となる角の向こう側からは、既に数体の新手・・がその姿を表しつつあった。
「どうしますか遊嬉先輩。第二派が来ない内にバリケードでも作りますか?」
 そう言ったのは深世の横からちゃっかりと顔を出した柚葉だった。遊嬉はその提案を受けて少し考えるようにした後、チラリと美術室の窓の外を見た。
 窓の外には幾らか不穏な曇り空ながらも普段通り何事も無い屋外が広がっている。グラウンドの向こうに見える野球部やサッカー部も平常運転な様子だ。遊嬉の杏虎や乙瓜程良くはないが・・・・・・・・・・・・、経験上、この屋外の景色は幻想マボロシではないと感じた。
(この勘を信じて屋外へ逃がすか? けれども万が一釣り・・だった場合、ここに居る全員があたしの所為で無事で済まなくなるかもしれない……)
 焦りと共に廊下を睨む。人形たちは相変わらず動きは鈍いが、確実に美術部へと迫って来ている。このままここで遊嬉の体力が続く限り『怪異閃々』を撃ち続ける事も出来るが、ずっと美術室から動かないという訳にも行かない。美術室が襲われているという現状、遊嬉としては美術室の外へ行ったきりの杏虎や明菜が心配であるし、眞虚ら三人の事もまた気がかりであった。
(みんな無事だといいんだけどな。無事って保証もないしな……)
 唇の内側をキュウと噛み、遊嬉はその心の声を己の契約妖怪へと向けた。

 ねえ嶽木、そっちはどう――と。



「――残念だけどこっちの状況もあんまりよろしくはないみたいだ」
 遊嬉からの呼びかけにそう応え、嶽木は己の手の中の護符を放った。護符は壁を覆うように展開し、一枚の壁として完成する。かの十二月の戦いで失った力が漸く本調子に戻りつつあるのを感じ、嶽木は小さく溜息を吐いた。
 現在地点三階廊下、西階段以西・生徒会室並びに音楽室前。ほんの数メートル後ろにある音楽室からは、何も知らない、そして目と鼻の先で起きつつある戦いに気づくこともないだろう吹奏楽部の場違いなまでに明るい練習合わせの音が漏れ出て来る。
 そんな陽気な管楽器の音色をBGMに、嶽木は考える。
(偵察に出たたろさんの情報が確かなら、昇降口に集中召喚されてるこの人形はほぼ間違いなく【月】側のモノ、だとすると操り主は十中八九アンナ・マリーか。……そしてその狙いは恐らく)
 嶽木が振り返った先、音楽室の手前から角を曲がって進んだ廊下の最奥には図書室が――【月】の攻撃から北中を守る防御術式の最終調整に入った一ツ目ミ子と、その護衛と補助に当たる火遠の居る図書室がある。
(あの二人の術式作業が完成すれば、あの程度の人形群は一瞬で北中敷地内から追い払える。……希望が見えたこのタイミングをわざわざ狙って攻撃を仕掛けて来たってのなら、成程なかなかの嫌がらせだよ。――けれど)
 再び護符の壁へと視線を戻し、嶽木は眉を顰める。
(ここを封鎖する直前に感じた妙な気配――、この先の調理室か?)
 今は護符の壁の向こうに隠された調理室。そこから感じた人形たちとも北中の妖怪とも違う気配。敵とも味方とも付かない強烈な気配の中に、嶽木は一瞬、水祢の気配を感じ取った。
(水祢に何かあったのか……? まさか、【月喰】どものダーツに……)
 肉眼では見えざるその場所を睨み、嶽木は弟の身を案じた。色々あって好かれてはいないものの、嶽木からすれば水祢もまた大事なきょうだいの内の一人なのだ。
 どうか無事で居てほしい。そう願う彼女の背後で、ひゅうと小さな音が立つ。風の音にも似たその音に嶽木が振り返ると同時、その視線の先にたろさんと闇子さんが姿を現した。
「嶽木殿! 魅玄殿の『映写』結果が出たでござる! 敷地内に進入している【月】幹部は複数!」
「複数だって……!? ……そうか、人形の気配でおれたちの探知能力を攪乱させ美術部と分断させたか!」
 たろさんの報告を受け、嶽木はあからさまに表情を歪ませた。自分たちもいささか平和ボケが過ぎたらしい。彼女は思い、そのままの気持ちを床へとぶつけた。たろさんは衝動的ともいえる嶽木のその行動を受けてに小さく肩を震わすも、そこで口を閉ざす事無く更に報告を続ける。
「北中全体に何らかの術式妨害がかかっているらしく、魅玄殿の能力ちからでも全ての幹部の正確な居所は探知できないらしいのでござる。どう致すか嶽木殿」
「……いいや、少なくとも一人はわかってる。それが人形の術者かどうかは別として」
「なんと。まことでござるか!?」
 驚くたろさんに頷き返し、嶽木は再び護符の壁の向こうに目を向けた。
 たろさんと闇子さんはそんな嶽木の姿に顔を見合わせる。たろさんが戸惑う一方で、闇子さんは己の中で何かを決めたようにニッと口角を上げた。
人形あいつらだけなら突撃しか能がねえ! ここが突破されたとしてもミ子と旦那の方へ辿り着く前にあたしの能力ちからで纏めてもぐら穴送りにしてやるから、あんたは構わず行ってくれ!」
「闇子さん……? いいのかい!?」
「構うな。仮に幹部級の誰かが来ても、空間弄れるアタシとおばあちゃんババアが居ればダーツは無力化できる! なんも問題ねえわけさ! さあ!」
「…………ッ、ありがとう……!」
 嶽木は闇子さんに礼を言い、立ち去ろうと踵を返したところで、ふと何かを思いだしたように再び二人を振り返った。
「ああそうだ。たろさん」
 言うと同時、嶽木はたろさんに向かって何かを投げた。長い棒のような、けれども棒にしては妙に曲がっているようなものを。たろさんは反射的にそれを掴み、同時にそれが何であるかを知った。
 ――刀、だ。鞘と柄巻は嶽木を思わせる緑色で、鐔や鞘尻・柄頭等は金色に輝いている。
「こ、これは?」
「おれの刀。たろさん一応は武家育ちでしょ。貸すから遊嬉ちゃんのとこに加勢してきて」
「お、応……承知致した……」
 たろさんがキョトンとしつつも承諾するのを尻目に、嶽木は今度こそその場から姿を消した。
「勝手でござるなあ……」
 手元に残された刀を見て、たろさんは大きく溜息を吐いた。そんなたろさんを見て、闇子さんは言う。
「何でもいいじゃねーか。兎に角やるぞ」
 己にも気合を入れるように。そんな彼女を見て、たろさんは困ったように、けれどもまんざらでもないように微笑んだ。
「元よりその気でござるよ」と。

 その言葉を残してたろさんは一階へと向かい、闇子さんは護符の壁の向こうで蠢く大群の気配を静かに睨む。

 そして彼らに託して嶽木が向かった先の調理室で、粉々に砕かれたそれ・・が咆哮を上げた。
 知性など欠片も感じさせない獣の咆哮を。
 咆哮は空気を伝って壁を床を天井を揺らし、明菜が七瓜に手を引かれて走り出したばかりの階段をも揺るがした。
「……なに、この……声……!?」
 ともすれば超音波的なその声に明菜が耳を塞ぎ、七瓜も表情を曇らせる。別ルートからそこを目指す嶽木は嫌な予感にカッと目を見開き、彼女から防衛を引き継いだ闇子さんは思わずその足を震わせた。
 音波は北中敷地内の居る聞こえる者・・・・・すべての耳に届いていた。それは調理室から長い廊下と嶽木の結界壁を挟んだ向こう――図書室とて例外ではない。
 作業の最終段階へ入った一ツ目ミ子の護衛の為、その場所を封鎖していた火遠の耳にもそれは届いた。
 学校全体を震わせた怪音波を聞き届け、火遠はぽつりと呟く。
「水祢……?」



 泣いているのか、怒っているのか、笑っているのか、威嚇しているのか。
 咽喉を潰し血を吐くような絶叫を放ったそれ・・はゆっくりと体を起こし、曇った瞳で対面の少女を見下ろした。少女は――小鳥眞虚は。壁を背に恐怖の表情を浮かべ、それ・・を見上げて震える声で言葉を紡いだ。
「水、祢……くん……?」
 だがそれ・・は――草萼水祢は感情のない視線を眞虚に返し、無言のまま異様に長大化した両腕を左右の空間へと延ばす。
 肘で折り返した腕と長く禍々しい鉤爪が形作るシルエットは鳥の翼にも似ていて――そして禍々しかった。



 壊れた世界でそれは啼き、泣きながら歌う。

 壊せ、乞わせ、そして――愛せ。

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