怪事捜話
第十七談・雪山妖霊スノーデイ⑥

 隔絶の山中に朱の大鳥居、その内に続く果て無き石段。それらを見上げる事の出来る場所に、美術部五人は立っていた。
 薄っすらと冠雪する周囲には、無数の灯籠が無秩序に立ち並ぶ。多くは石灯籠で、神社に見られるような木製で朱塗りの灯籠もある。その大きさは少女たちの腰ほどの高さのものから見上げるほどの高さのものまで様々だが、いずれの灯籠にも火が灯されていた。
 そんな灯火ともしびのお陰なのか、それともここが現世うつしよではないからなのか。寝巻の体操着のままだというのに、美術部の誰も決定的な寒さを感じていなかった。
「ここが……本部?」
「ああ。そうだとも。厳密にはまだ正門だけどな」
 呆然と呟く乙瓜に、誰かの声がそう返した。だがその声は美術部メンバーのものでもないし、彼女らから幾らか離れて鳥居の傍に立つ火遠と水祢のどちらとも違う。乙瓜にも、そして美術部メンバーの誰にも聞き覚えのない声だった。……だが、美術部をこの場所に連れて来た彼ら二人にとっては違う。
「夏ぶりですね師匠」
 火遠が振り返った鳥居の先・石段の果てからコツコツと靴音を響かせて。その人物はまさに姿を現しつつあった。
 灯籠に照らし出される小柄な人影。首回りを覆うマフラーと、現在の火遠らと同じ黒いコート。外はねの強い短い銀髪と金色の瞳。幼い顔立ちは少年にも見えるその人物は、姉御肌を思わせる声で火遠に「おう」と答え、それから美術部の面々に目を向けた。
「北中美術部の嬢ちゃん方、【灯火】へようこそ。あちきはひのとひのえ。【灯火】の現・代表ってところだ。そこなぼんぼん共に術式の使い方を仕込んだのもあちき。師匠みたいなもんさ。よろしくたのむよ」
 誰かを思わせる様子でニヤリとしながら、丙は「よっ」と最後の段を降りた。そして品定めするように美術部五人を一人一人見つめ、何かに納得したようにうんうんと頷いた。
「半分合格、半分不合格ってところだな。だがまあ、上々か」
「合格? 不合格? ……何の話だ?」
 呆気にとられながらも乙瓜が言う。彼女が口にしなくとも、美術部の誰かしらが同じことを口にしていただろう。
「なァに、こっちの話さ」
 丙はそう言って乙瓜の前まで歩み寄ると、ニコリとしながらこう言った。「お前はどちらかってーと不合格の方だな」と。
「不合格って……はあ!? 初対面だからって出し抜けにそんな事言われる筋合いは――」
「筋合いはないだろうが話は最後まで聞け。他の嬢ちゃんたちもだ」
 な、と。丙は乙瓜の台詞を横から攫うようにして不敵に笑むと、その様を唖然と見つめている他の美術部メンバーに目を向けた。
「あちきが今勝手に判断したところの合否は、お前さんたちに優劣をつけて選別する為のものじゃあない。人間性の肯定否定でもない。ただ【月喰】に関わる覚悟をしたお前さんたちに【灯火】現・代表として、そして火遠カエンの師匠として幾らかは言いたい事があるから、個人的基準で誰にどの程度の話をするかを決めさせてもらったまでさ」
 言ってくるりときびすを返した丙の背中に向けて、眞虚が言う。「それってつまりどういうことですか」と。
 丙はふっと振り返り、愉快気に口角を上げて一言。

「言うなれば進路相談の個人面談みたいなもんさ」

 半ば冗談のようにそう告げて、彼女は再び鳥居に向けて歩を進めた。そして相変わらず鳥居の傍に立つ水祢に向けて囁く。
「これでいいんだろう? 彼女の秘密は漏らさないさ・・・・・・・・・・・・
「…………」
 水祢は答えなかった。だが丙の言わんとしている事は分かった。彼女には水祢の懸念などお見通しだったとう事だ。水祢はどこか悔しそうに小さく頭を下げ、未だ何が起こるのかと動揺している美術部を、そしてその中にいる眞虚を見た。
『――水祢くん?』
 不安げな眞虚の声が水祢にだけ届く。契約で通じているからこそ届く心の声、"念話"が。
『……なんでもない』
 ぶっきらぼうにそう返して、水祢は眞虚たちから目を逸らし、俯き、そして目を閉ざした。
 そんな水祢をチラリと見て、火遠は丙に囁いた。
剥がせますかね・・・・・・・?」
 何かを始める準備をしていた丙は再び水祢に目を遣ると、僅かに眉を動かしてからポツリと言った。
「それはあいつ次第だろ。あちきも出来る限りの支援はしてやるけれど、それ以上はあいつらの心次第だよ」
 と。そう告げてから火遠に視線を戻し、同じ調子で続けた。「お前さんも覚悟はしておけ」と。
「……できてますよ。ここに連れて来ると決めた時から」
 やや機嫌の悪い調子でそう答え、火遠は深く溜息を吐いた。丙はそれに笑みを返し、ゆっくりと美術部に向き直った。
 彼女が振り返った先では、未だ何がなんやらと言った具合の少女たちが何が始まるのかとひそひそ話し合っている。そんな少女たちに「待たせたなお前たち」と呼びかけて、丙は声高らかに宣言した。

「灯火謹製きゅう年一型術式・灯籠符・式鬼神しきがみ符・大結界大符! 灯火門に集いし娘たちを然るべき場所へ導け!」

 術式の発動、何かの始まり。丙の言葉に呼応するように、と灯籠の周辺に光り輝く何かが浮かび上がる。
 輝く四角、長方形の内側に文字と紋様。――護符。否、護符ではない。言うなればネオンサインのように、護符の形を示す光が、瞬く間に乙瓜たちを囲いこんだ。
「ちょっとまて、そっちだけで納得してる部分多すぎてわけわかんねえぞ!」
「私らどうなっちゃうんだこれ!?」
 乙瓜と魔鬼が続けざまに叫ぶ中、美術部メンバーの身体はふわりと宙に舞い上がる。
「なにこれ浮かんでるんだけど……!?」
 杏虎まで慌て出した頃には時既に遅し、一所に集まっていた彼女たちは見えざる力によってあっという間に引き離され、全く違う方向に飛ばされ始めた。
「魔鬼!」
「乙瓜ぁ!」
「みんなぁ!!」
 各々誰かの、或いは皆の名前を呼ぶが、彼女たちを引く力は止まる事はない。間もなく、それぞれが飛ばされる先には巨大なネオン・・・が姿を現す。『界』の文字を四辺で囲う五つの扉は、彼女たち一人一人をその内側にゴクリと飲み込んで行った。
 碌な説明をされることなく『界』の向こうへ消えて行った美術部たちは、誰一人としてこれから自分たちに何が起こるかなんてわかってはいないだろう。けれどもその様を見届けた術者・丙は満足気に笑って、前に立つ火遠・水祢を振り返った。そして一言、「ちょっと行ってくるぞ」とだけ言い残し、彼女もまた己の足元に生じさせた『界』のネオンの中に姿を消したのだった。
 それを見送り残された二人は、暫し無言でそこに居た。やがて火遠は夜空を見上げ、月も星も見えない曇った冬空に向けてこう零した。
「後は信じて待つしかないか」と。

 呟いた言葉が世闇に溶ける中、彼方スキー場の方角からは静かな歌声が響き続ける。



「…………。このパターンえらい久しぶりだな……?」
 そう呟いて乙瓜が起き上がった場所には、一面の白が広がっていた。いつだかの黒一面に比べれば陰鬱とはしていないものの、眩いばかりの白しかないというのもそれはそれで不安になるものだと、彼女は初めて実感した。
「――で、こんな妙な場所に転移させて何をするつもりなんだ? ――火遠の師匠?」
 忌々し気に乙瓜が言うと、白一面の世界に乾いた音が響き渡る。ぱち、ぱちと。それが手を叩く音だと乙瓜が気づくのに、さして時間は必要なかった。
 音のする方をジトリと睨むと、果たしてそこには乙瓜が予想した通り、したり顔で手を叩く丙の姿があった。先程までは無かった筈の椅子に掛けているが、乙瓜は敢えて何も言わなかった。異空間ではままあることである。驚く事も無い。
「おう、順応が早くて助かるな。流石は坊の奴の契約者だ」
 丙はそんな乙瓜のドライな対応に気を良くしたのか、嬉しそうに目を細めると、「まあ座れ」と、やはりいつの間にか出現していたパイプ椅子への着席を促した。
(どうせ座るまで何も答えてくれやしないんだろうな)
 そんな風に思いながら、乙瓜はパイプ椅子に腰を下ろす。それをしっかり見届けてから、丙は再び口を開いた。
「さて、何をするつもりかとお前さんは尋ねたが、その問いには先に言った通り個人面談と返しておこう。この空間はあちきが展開したプライベートスペース――まあ早い話が妖界・神域の亜種で誰にも邪魔されない完全防音・盗聴盗撮妨害済みの相談室とでも思ってくれて構ぁないよ」
「……本当に面談するつもりだったのか」
「なんだ冗談とでも思ってたのか? それは幾らか心外だな」
 丙は腕組みし、いじけたように眉を顰めた。そんな彼女に構わず乙瓜は問う。「他の皆はどうした」と。
「ああ、お前さんのお仲間の事だったら心配する事もない。今頃お前さんと同じようにあちき・・・と面談してる筈だ」
「…………は? 五人同時に相手してるとでも言うのか?」
 訝し気に眉間に皺を寄せた乙瓜に、丙はさも当然の如く「そうともさ」と頷いた。
 彼女が言うところに依ると、現在乙瓜と、そして美術部の他四人と対面している丙は丙であって丙でない。丙本人の外見と人格を限りなく再現した丙の式神であるらしい。
「差し詰め『丙』に対しての『丙´ダッシュ』ってところか。まァ、簡単に分身みたいなものだと思ってくれて構わないし、別に区別する必要もない。最終的に式神のあちきは本体のあちきに統合されるからね。ほぼほぼイコール丙だ」
「お、おう? ……おう」
 つまりどういうことなんだ、と内心思わないでもない乙瓜だったが、そこにばかり注目していてもこの『面談』は終わらないのだろうなと諦めて無理矢理納得する事にした。とりあえず目の前にいるのは"丙"。そう言う事にしておこう、と。
「あんたが式神とかそうでないとかいう話は兎も角として、俺たちがここに招かれた理由は何だ? さっきの合格とか不合格とか、そもそも進路相談の個人面談、とは?」
 切り替えるように、或いは話を本線に戻すように乙瓜が言うと、丙の式神――否、結果的に丙ならば彼女もまた丙だろう――はニッと笑った。
「あァ、そうだな。さっさと本題に帰ろうか。この空間の一分は現世の一秒に満たないが、あまり長引くのも酷だろうしな」
 彼女はすまんすまんと姿勢をただし、表情を一瞬で引き締めてから、至極真面目な声音で言葉を紡いだ。

「さぁて……まずは軽い質問から入ろうか。――お前さん、"影の魔"と云うモノについて何かご存知かい?」と。


 そこから先の『面談』の内容を、乙瓜は一つとして記憶していない。


「――面談は以上だ。ありがとう」
 彼女が気が付いた時、そこには一礼して目を閉じる丙が居て、呆然とパイプ椅子に座ったままの自分が居た。
「え、何が……、えっ?」
 己の認識の中で起こった奇妙な出来事を前に、乙瓜は目を白黒させる。当然の反応である。何かを質問されたと思ったら、次の瞬間には面談は終わっていたのだから。
 思ってもみなかった出来事を前に混乱する彼女に、椅子を立ち上がった丙は言う。
「幾ら力を付けようが、幾ら覚悟を決めようが……やはりその一点を以てして、あちきの中ではお前さんを合格側にする事はできない……な。だがお前さんは既に選ばれた・・・・。事実それに値する何かを感じないでもない。その点助けてやりたい気持ちは山々だが……」
 厳しくない、寧ろ優しい声で。だが心底残念そうに、失望したように。そうとだけ言い残して、丙は乙瓜に背を向けた。
「いや、待てよ!? その一点って、合格できないってなんだよ!? 助けてやりたいって――」
 乙瓜は叫んだ。去りゆく丙の背に向けて。丙はぴたりと足を止め、どこか哀れむような視線を乙瓜に向けた。
「お前さん――本当にわかっていないのか・・・・・・・・・・・・……?」
「えっ……?」
 ――『本当に分かっていないのか』。その言葉の意味を乙瓜が訊き返すより早く、白の世界はがらがらと崩壊を始めた――。


 ――暗転。


 世界は海、暗黒の海。
 暗い海に闇の魚。海も魚も区別なく、魚はわたし・・・、世界はわたし。
 闇の魚は成りたかった。眩い白の世界に跳ねる、光の中を泳ぐものになりたかった。
 成りたかったから形を模した。模した形は光にかき消された。消されぬものになりたかった。
 だから、わたしは――。



「あ……れ……?」
 再び乙瓜が気が付いた時、そこは白の空間でも黒の空間でもなく、元居たホテルの布団の中だった。
 窓際から明けの光が差し込むのか、部屋の中は微かに明るい。その薄明りを頼りに辺りを見てみれば、すやすやと寝息を立てるのは確かに同室のクラスメートで、眞虚や杏虎、遊嬉たちの姿もある。
(全部、夢……?)
【灯火】本部に行ったことも、あの釈然としない面談をしたことも。もしかしたら全て夢だったのではないか? そんな事を考えながら、乙瓜は枕元に投げたままのケータイを手に取った。
 パカリと開き確認した時刻は、起床にはまだ早い六時前を示していた。だが、ぼちぼち起きはじめてもいい頃ではある。
(顔でも洗うか……)
 乙瓜はそっと立ち上がり、慎重に歩いて洗面所へと向かった。そして部屋玄関に目を遣った時、本来ならばある筈のないそれの存在に気づいたのだった。
「…………まだ夢でもみてんのかな、俺」
 自信なさげに彼女が視線を向ける先。そこには小さな二段重ねの雪だるまが、砂利石を埋め込んだ目でにこりと笑っていたのである――。

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