怪事捜話
第十七談・雪山妖霊スノーデイ④

 北中生を乗せたバスはやがて高速道路に入り、幾つものトンネルを抜ける。幾度目かのトンネルを抜けると窓打つ雨は止んでいて。退きつつある曇り雲で霞む彼方に、冠雪の山々が幻のように浮かび上がるのが見えるのだった。
「山ーッ!」
 誰かが歓声を上げる。山くらいでと誰かが言うも、女子を中心に黄色い声が上がり始めるのは旅行あるある・避けられない宿命か。地元で"山"と云えば少し小高い場所くらいを指す古霊町の民を、どっしりとそびえる千メートル越えの山々が静かに出迎えた。
 高速を降りてほどなくの坂道をにある幾重ものカーブを、バスは慎重に進み始める。県内外に有名なその場所を行く途中、遊嬉は嬉々として「そういえばここ出るらしいよ?」と語りだす。
「走り屋の幽霊とか女の幽霊とかが出るんだってさ」
「……怪事の事は気にしないんじゃなかったっけ?」
「怪までなら趣味だから無問題もーまんたいー」
 呆れ顔の杏虎に言い返して、遊嬉は二ヒヒと歯を見せた。

 宿泊先のホテルの駐車場には、他所の学校御一行様の札の付いた観光バスが既に何台か停まっていた。近隣の中学校と時期を併せているからか乙瓜たちにも聞き覚えのある中学校の名前ばかりで、同町内の古霊南中の名前もあった。
「他校生に喧嘩をふっかけないこと! 売られても乗らない事!」
 一組一同が担任にそう釘を刺されてバスを降り始めると、やや遅れて二組のバスが駐車場に入って来た。乙瓜がトランクルームの荷物出しの順番を待ちつつ二組のバスの方を見ていると、程なく降りて来る生徒の中に魔鬼の姿を見つけた。
 駐車場に降り立った魔鬼もまた乙瓜の姿に気づいたようで、軽く手を振ると己の荷物を受け取る為にバスの影に隠れてしまった。
 乙瓜はその短い挨拶に安堵し、やがてガイドさんが引っ張り出してくれた荷物を受け取り、担任と学級委員の呼びかける集合の列に走ったのだった。

「今更気づいたんだけんどぉ、なんか今年も乙瓜ちゃんとおんなじ部屋だね?」
 部屋に荷物を運び終えた後、山根地禍チカがふとそう漏らした。二学年も間もなく終わりという現在になってもなまりの強い喋り方は未だ健在の彼女は、一年時の夏合宿に引き続き乙瓜と同室であった。
「そうだね」と頷く乙瓜に、地禍は純朴な笑顔を見せるのだった。
 ちなみに今回は一班五人(割り切れなかった所だけ六人)で部屋割は二班合同である為、地禍と乙瓜は同じ班ではない。地禍は『1班』で、乙瓜は『4班』。乙瓜と同じ班は白薙杏虎・小鳥眞虚・戮飢遊嬉といったいつもの美術部に加え、以前北中を騒がせた『足の幽霊』の件で微かに関わりを持った馬頭尊めずそん水芽みずめの五人だ。
 内訳は兎も角として、女子が十人も居れば取り止めのない話も大いに盛り上がるもの。ほんの数分前まで静まり返っていた室内は、すっかり騒がしさに満ちていた。
「ねえねえ外、雪!」
「ホントだぁ! ……でもうっすらとしか積もってないね。スキーできるのかなぁ」
「ゲレンデの方にはもっと積もってるんじゃない?」
「私スキーとかしたことなーい」
「冷蔵庫空っぽにされてるわー。テレビはつくー?」
「知らない番組やってるー」
 皆がお喋りに花を咲かせる中、乙瓜は靴箱の上に無造作に置かれたままの部屋の鍵を手に取る。
よんいちいち、忘れないようにしないと」
 誰に言うでもなく部屋番号と同じである事を確認すると同時、ドアから背筋にひやりとくる寒気を感じ、乙瓜は振り返った。
「隙間風……?」
 そんな言葉が口を突くも、一瞬後にそれはあり得ないと気付く。そもそもここはホテルで、ドアの向こうは吹き曝しの屋外なんかではない。空調の効いた廊下が広がっており、ドアに隙間があろうがなかろうが冷気の吹き込む余地などない筈なのだ。常識的に考えれば。
 乙瓜は首を傾げた後、気のせいだろうとスルーする事にした。まさかそんな、ある筈がないと。一旦気持ちを切り替えようとした矢先で、そんな事が・・・・・ホイホイと起こる訳がない、と。
(気のせいだ、気のせい。寒い所に来たから、体が寒いんだと錯覚してるだけ)
 自分に言い聞かせ、乙瓜は部屋玄関から客室へと戻った。敷居を隔てて何センチも離れていないその場所では、遊嬉が押入れの中に入ってホラー映画ごっこをしていて、地禍らにキャーキャー言われていた。杏虎は窓際にある"旅館のあのスペース"こと広縁ひろえんの椅子に掛けてキャップをしたままのペットボトルを逆さに持ち、ワイングラスを持つセレブごっこなんぞをしていて、馬頭尊らと共にテレビの前にちょこんと座っていた眞虚は、玄関から戻って来た乙瓜に気づいて立ち上がり、無邪気にどこのチャンネルが映るだとか映らないだとかを話しはじめる。皆くつろぎ切った様子で、つい先日まであった警戒心はすっかり鳴りを潜めているようだ。
 そんな彼女たちに先程自分が感じた"異変"をわざわざ伝える事は、考えずとも野暮だと思われた。
 そもそも現時点では自分の勘違いに過ぎないかも知れないのだからと、乙瓜もまた何事も無かったかのように気持ちを切り替える事に決めた。
 数時間バスに揺られ続けるストレスからは解放されたものの、スキー場に出発するまであと20分しかない。その僅かな自由時間を、有効に無駄遣いする為に――。

 ――一方、乙瓜たちの411号室からほんの少し離れた414号室・黒梅魔鬼らに割り当てられた部屋では、ちょっとした騒ぎが起こっていた。
「……これ、ちょっと変わったルームサービスとかじゃあないよね……?」
 おっかなびっくりに深世(魔鬼と同班)が指さす先・部屋玄関のすぐ内側には、ちょこんと鎮座する白く小さい何か。二段に積み上げられた球形に石の眼鼻が付いたそれは、誰がどう見ても雪だるまだった。入室した時には確かに無かった筈のそれを見て、同室の生徒たちはざわざわとどよめき立っていた。
「黒梅さん、これ何だと思う……?」
「いや、何もどうもどうみても雪だるまだけど……」
 不安げなクラスメートに答えつつ、魔鬼は恐る恐るその物体に手を伸ばす。触れた指先にキンと鋭い冷たさを与えるそれは、物理的にもやはり雪に違いなかった。
(こんな、掃除に手間がかかりそうなルームサービスがあるわけがない。じゃあこれは一体……?)
 怪訝に眉を顰めた魔鬼は、次の瞬間雪だるまが放つのとはまた違う冷気を感じてハッとする。だが、見上げた室内には特に変わりはなく、空調も変わらず動いている様子だ。
(……気のせい――いや、何だこれは)
 益々難しい顔になる魔鬼の姿に、何人かのクラスメートが「大丈夫?」と声をかける。魔鬼は「大丈夫、大丈夫だから」と返し、それから「ちょっとホテルの人呼んでくるね」と断って部屋を出た。
 バタリと閉じた扉を背に、魔鬼はふうと一息吐く。ホテルの廊下は室内と変わりない温度に調整されていて、先程感じたような冷気の吹き込む余地はないように見えた。
 とりあえず同室の皆に伝えた通りにホテルの従業員を捜しながら、魔鬼は考える。仮にあの雪だるまや感じた冷気が誰かの悪戯だったとして、自分たちが来た駐車場を初めホテルの屋外には、小さいとはいえ雪だるまあんなものが作れるほどの雪は積もっていなかった筈だ。わざわざかき集めてきたにしろ、そんな手間のかかる事を好き好んでする物好きは早々居ないと思われる。且つ、自分を含む十人の誰にも気づかれないように雪だるまを部屋玄関に置くとなると、その実行難度は格段に上がる筈である。
(ミステリ的に考えるなら、【犯人】は私たちの中に居る。……だけど基本的に集団で行動してきた私たち学生には悠長に雪集めしてる時間はない。……となると、やっぱりこれは)
 考え事が半ば確信めいてきたのと同時、魔鬼は廊下の角の先に従業員の姿を見つける。……と、同時。何か見てはならないような、途轍とてつもなく不可解なもの見たような気がして、魔鬼は思わず「げ!?」と声を漏らし、咄嗟に今曲がって来た角の影に身を隠した。
(な、なんで普通に居るの!?)
 傍から見れば随分と挙動不審な行動を取った後、魔鬼はゆっくりと角の向こうを覗き込む。スパイ映画さながらの挙動で改めて見たその場所には、ホテル従業員の制服を着た三十歳代くらいの女性と、そして彼女と話す黒いコートの二人――火遠と水祢が立っていた。
 彼らはさも当たり前のように女性と幾つか言葉を交わした後、おもむろに魔鬼の隠れる角に目を遣った。……完全に気づかれていた。
「かくれんぼでもしてるのかい?」
 不思議そうに首を傾げる火遠に、魔鬼はばつの悪そうな顔を真っ赤に染めて「違うし」と返した。
「……なんで普通にホテルにいるのさ」
「現地集合だって乙瓜に聞かなかったかい?」
 いじけたように言いながら歩み寄る魔鬼に平然とそう答えると、火遠は「それよりちょっとだけ困った事が起きてしまったらしくて、この女性ひとに事情を訊いてたんだよ」と、従業員をチラリと見た。
 魔鬼は「?」と首を傾げつつ、「困った事って?」と訊ねる。だがそれに答えたのは、火遠でも水祢でもなく従業員の女性だった。
「今日はどうにも寒いと訴えるお客様が多くて、……でもお熱も無いですし、空調の機械はどこも問題なく動いているみたいですから、どうしたものかと思いまして。そうしたら丁度"トウカサン"がいらっしゃったでしょう、だから見て貰おうかと」
「……"トウカサン"?」
「ああ、お客様お知り合いみたいだったからつい。この辺りでは少しだけ有名なんですよ。灯す火で"灯火さん"。この辺のホテルじゃおかしなことが起こったら、みぃんなこの黒コートの人たちに頼むんです」
 ギョッとしたような視線を送る魔鬼にあらやだうふふと笑った従業員は、「それじゃあよろしくお願いしますね」と言い残すと、風のように去って行った。
「え、ちょ待っ、えっ?」
【灯火】有名なんですか、だとか。部屋に出た雪だるま片付けてほしいんですけど、だとか。言いたい事が山ほどありすぎて却って固まる魔鬼の肩にポンと手を置き、火遠はあてこするようにポツリと言った。

怪事アヤシゴト来たれり」

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