怪事捜話
第十七談・雪山妖霊スノーデイ①

 雪は深々と降り積もり、冬山の頂に白く輝く冠を被せる。
 地に落ちた葉や獣の眠る穴を覆い隠した銀の大地に立ち、彼女は静かに待っていた。
 厚雲で覆われた東の空を見つめ、それらが来るのを待っていた。
 それらの姿を、捜していた――。



 十二月九日、十五夜兄弟の襲撃から一夜明けた明け方。まだ教職員も出勤していない時間帯の北中二階には、いつもの如く黒布に身を隠した一ツ目ミ子の姿があった。
 彼女は名の通り一つしかない目をキョロキョロと忙しなく動かし、廊下の壁や床、天井に窓、そして各種教室の出入り口等を黒布の隙間から覗かせた杖のようなもので、確かめるようにコツコツと叩く。
 そうして剥落はくらくする塗装や壁材のない事を、ひびの入ったままの硝子ガラスのない事を少しずつ確認し。漸く廊下の端から端まで辿り着いた時、ミ子は安堵したように息を吐いた。
「本部が送ってくる業者だけあって優秀ですね……。ただ直すだけでなく、年代を経た汚れ・・傷み・・まで違和感なく修復・・してしまうとは……」
 彼女は呟き、あの後・・・からの事に思いを巡らせた。
 あれから――原型を留めない程に粉々になった学校の欠片を修復する事は、さしもの小鳥眞虚の封壊結界をもってしても出来なかった。だが直すことができなかったとてそのままにしておくことはできない。認識妨害で多少誤魔化すことは出来ても、損壊を放置することは危険へと繋がる。
 いくらこの場所が大霊道の監視と防衛に於いての重要な拠点だとしても、本来の"学校"という役割を果たせなくなる事は学校妖怪のみならず、【灯火】としても不本意である。
 そこでミ子は【灯火】本部の伝手を頼り、腕の立つ妖怪の・・・修理屋を呼んだのだった。
 夜中の内にやって来た風変りな修理業者たちは、外見上の損傷は勿論の事、見えざる鉄筋の傷みまでもを短時間の内に完璧に修復していった。そう、完璧に。長年北中に居るミ子の目から見てもそこが一旦破壊され、そして修理されたと感じさせない程に。元からあった細かい傷や汚れまでも、彼らは復元してみせたのだ。
 惚れ惚れするほどに完璧な仕事を終えて清々しく去って行った彼らの姿を思い浮かべ、ミ子は改めて感嘆の溜息を洩らした。
「これで明日からの授業にも問題はないでしょう」
 あとは――と、ミ子はおもむろに背後を振り返る。北中二階廊下東端、理科室前。東雲しののめの空が覗く窓を背に、二つの人影が立っている。
 草萼火遠、草萼嶽木。【灯火】に於いて自らの上司に当たる彼らを前にペコリと一礼し、ミ子は言葉の続きを紡いだ。
「――わかっています。火遠様、嶽木様。【月】たちは宣言通り我々を許しはしないでしょう。満月みちつきの十五夜を冠するあの二人を退けても、まだ幹部級はいくらでも。末端も含めれば無数にも。もう悪戯にこちらを泳がせておく事はせず、波状攻撃を仕掛けてくる事でしょう。……だからこそ、防御術式の完成を急がなくてはなりません」
 一つしかない眼玉に真剣さを宿した彼女は、黒布の間から一枚の護符を取り出した。
「術式の進捗分でございます。現状すぐにでも完成させ実装しなくてはいけないものですが、正直なところを申しますとまだ六割程度しか進んでおりません。神楽月のダーツによるものと思われる混乱は依然として各地で発生していて、こちらに回す人員が割けないのが現状です。私も尽力してはいるのすが――」
 と、申し訳なさそうに瞼を降ろすミ子の頭に、ポンと誰かが手を置いた。
「根詰めすぎると後々に響く。……現状はかんばしくないけれど、そんなに気を張らなくてもいいんだよ」
 ハッと目を見開くミ子にそう言うと、火遠はにこりと、けれどもどこか憂いを含むような顔で笑った。そんな彼をチラリと見、嶽木もまた口を開いた。
「うん。当面は既存の護符と術式の強化でやり過ごそう。大丈夫、今回の事では遅れはとったけど、ちゃんとおれたちがついてるから。六勾玉だってあるし」
 言って、嶽木はスカートのポケットから薄雪に託された六つの勾玉を取り出した。
 禍津破の六勾玉。その六点で構成される陣で囲んだ人外の力を封じ込める退魔宝具は、あの時に見せた七色の輝きを失い、再び深い夜色となって沈黙を守っている。それはあの時勾玉の力を発動させた薄雪が居なくなったからか、それとも――。
「……嶽木様、お体の方はもう大丈夫なのですか?」
 不安げに見上げるミ子はこう考えていた。勾玉が再び光を失ったのは、或いは嶽木の力が一時的に失われているからではないかと。
 十五夜兄弟を退ける為彼ら諸共六つ勾玉の封じの光を受けた嶽木は、あれから長い事自力で立ち上がり歩く事すらままならなかった。こうしてふらつくことなく立てるようにまで至ったのは、ここ数時間で漸くといった状況なのだ。
 ただ歩くだけでそれだけの時間を要するのだから、普段から無自覚的に行使している姿を消す力や瞬間的に移動する力、ましてや戦う力などは未だ封じられたままだろう。だからこそ勾玉の輝きは暗く沈んでいるのではないか――と。ミ子は考えたのである。
 嶽木はそんなミ子の推測を知ってか知らずか、「大丈夫だよ、心配する事も無い」と口角を上げ、準備体操でもするように肩を回し、体を捻って見せた。
「力が使えなくともこの身一つ無事ならいずれどうにかはなるさ。幾らか不便だけどね」
 カラカラと笑いながらピョンピョンとその場飛びする嶽木に対し、火遠の表情は穏やかでない。「やめなよ姉さん、回復してきたばかりなんだから」と止めに入り、却って姉の不興を買っている。
 ミ子は平常運航の二人を見て呆れるやら安心するやらすると同時に、嶽木の力をここまで削り取った勾玉の力について思いを巡らす。
「火遠様、嶽木様。その……もしやと思いますが、勾玉の力で大霊道を封印する事は可能でしょうか? 再び【月】の刺客が現れる前に、彼らの狙う大霊道そのものを深く深く封印してしまえば――」
 彼らの計画を崩すことが出来るのではないかと、彼女が言いかけた時。火遠がさっと口を開き、被せるようにこう答えた。
「――それに越したことはないけれど、現状それは難しいかな。そして薄雪神の勾玉も……力衰えたとはいえ神の一柱が加担して漸く子鬼・・の動きを封じる程度……。余程の力が集わない限りはどうしようもないね」
「……火遠様のお力があるではないですか」
 発言権を攫われたミ子が不満を申し立てるように呟くと、火遠は否と言わんばかりに首を左右にゆっくりと振り、改めてミ子の目を覗き込んだ。
「勾玉は六つ、必要な力も六つ。太古の昔から何度も封じられては蘇って来たアレを【月】の関心がなくなる程に深く眠らせる為には、神話の時代にはじめてアレを封じた時の・・・・・・・・・・薄雪媛神と同等かそれ以上の力が六つ必要になる。仮に俺を頭数に入れたとしてもあと五つ。……宛てはあるのかい?」
「それ、は……」
 ミ子は口籠り目を伏せた。ここ古霊町の三大神社の神々ならば、頼み込めば力を貸してくれるかもしれない。けれども神の代理である妖狐、今は鯉の群れを束ねる龍神、生前の行から祀り上げられた河童神など、彼らに対しては失礼ではあるが、神代の最も力のあった時代の神々に比べてどこまでの力を持つのかわからない者ばかりだ。薄雪神も薄雪神で嘗てに比べて力が衰えており、太古の昔と同じというわけにも行かないだろう。
 こうなればもう中央の神々に頼るしかないが、その神々から薄雪伝いに託されたのがこの勾玉だ。……人間と妖怪の間を取り持つと宣言した手前、あくまで自分たちで解決せよとの意向であろう事は想像に難くない。
 すっかり閉口してしまったミ子に、火遠は言う。
「身も蓋もない事を言ってしまえば、俺の【星】の力だけで大霊道を消す事は可能だろう。けれどその場合、大霊道に関していたすべてが失われる。封印に由来する四大寺社も、黄泉先村から古霊町に至る歴史や伝統も消えて、古霊町は完全に消滅するだろう。今まさに在るものの存在を最初から無かった事にするんだ、それくらい起こっても不思議じゃあないし、こればっかりはどうしようもない。……だからこそ」
 だからこそ、今はまだできない。そう言って、火遠はふと窓の外を見た。明けの薄黄色の空は濃紺を押し潰すように広がり、万物の輪郭を夜の闇から掬い上げるように明るく染めていく。
 そんな光景を見つめ、火遠は思う。
 己に託された【運命の星】の力は希望ではない。宿主の深い絶望をかてとして誤った世界・・・・・を破壊し、宿主にとって都合のいい世界を再編する為に在る無限の力――そしておぞましい・・・・・力だ。どうしてそんな力が存在するのか、どうして自分がその力を抱える事になったのか。それは当の火遠ですらわからない事であったが、ただ一つだけわかる事があった。……その力を使って理想論の延長にあるような世界を創り上げたとしても、そこには己の大切なものは何一つ残ってはいないだろうという事が。
(だから俺は、この現在の延長線として最善を目指したい。例え嘗ての友の怒りを買って、愚か者と罵られようとも。けれども――)

「――大丈夫。まだ、希望はあるさ」

 カラカラと窓を開き、緩やかに昇る太陽を見つめ。火遠はニッと微笑んだ。

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