怪事捜話
第二談・小鳥の呪い、願いの札②

 日曜日、早朝。
 地平線の彼方からようやくのぞきはじめた陽の光に映し出されるさびれた駅のホームには、フォーマルなワンピースドレスを身にまとった眞虚の姿があった。
 そのターコイズブルーのドレスは普段身に着けている檜皮ひわだ色の制服とは打って変わって少々大人びたデザインだが、しかし眞虚の背丈ぴったりに仕立てられており、あまり不格好な印象を与えなかった。ヘアアレンジもいつもと変えてアップにしていたのも大きいかも知れない。
 そんな眞虚の横に並び立つ水祢は、いつもと全く変わりない格好。……とはいえ、見た目は私立の小学校制服程度には整っているので、きっちりとフォーマルで固めている眞虚と並んでもあまり違和感はなかった。そんな水祢の姿を横目で見た眞虚は、やはり声をかけるのが水祢でよかったとほっと一息付くのだった。
(火遠くんだったらあのまま来そうだから……)
 眞虚は想像する。もし声をかけたのが水祢の兄火遠だったら、と。
 彼に失礼だとは思うが、眞虚にはどうしても火遠が"いつもの"そのままの格好で出てくる姿しか想像出来なかった。いつもの――乃ちワイシャツとホットパンツの、一番何と例えたらいいか分からない姿だ。彼の容姿が中性的だからか、それとも単に見慣れているからか。普段はその格好に殆ど違和感を感じないし、寧ろ似合っているとすら思えるのだが、いざきちんとした場所に立つことを想定すると、やはり少々浮いて……いや、それどころではなく悪目立ちしてしまうように思えた。
(もしかしたら、頼めばちゃんとした格好をしてくれるかもしれないけど……)
 眞虚はそう思いかけたが、すぐに中断した。火遠がきっちりとした服装をして来るなんて、寧ろあの姿しか見た事が無い眞虚としては全く想像できないし、そもそも姿を消したり表したり出来る存在に人間の常識の範疇を押し付けたところで無駄だろう。……そう思ったからだ。
(水祢くんがいてよかった……)
 眞虚は改めて水祢の姿を見た。何を偽らなくても人間と大差ない姿の人外の存在が、眞虚に不思議な安心感を与えてくれた。
「……何ジロジロみてるの」
 眞虚の送る視線に気づいたのか、水祢が彼女をギロリと睨む。その不機嫌そうに細められた目の奥に鎮座する瞳は淡く水色に輝き、彼がやはり通常の人間とは異なる存在である事を主張している。
 まるで蛇や虎のような眼光に眞虚は少しだけ竦みあがるが、すぐに笑顔で取り繕った。
「ご、ごめんねっ。なんでもないよっ」
「ふん。……そんなこと言って、どうせ碌でもない事考えてたんでしょ」
 そう言って口を尖らせる水祢の当たらずとも遠からずな言葉に、眞虚は内心ドキリとした。平時から兄を慕って止まない水祢に先程考えている事が露呈した日には、結婚式がどうこう以前に無事でいられる気がしなかった。
(バレてない……よね?)
 眞虚は恐る恐る水祢の瞳を窺った。その色は穏やかな濃紺色ネイビーブルーに戻っており、眞虚は人知れず安堵した。
 そんな眞虚の心中など知らず、水祢はぶつくさと話を続けた。
「そもそも結婚式なら結婚式って、最初に言ってよ……。言われるままにいつも通りの格好で来た俺が馬鹿みたいじゃないか」
「水祢くん、礼服とかあったんだね?」
「はあ? ないけど。それでも普段着より幾らかマシなのならあるし、ずっと同じ服しか着ないと思ったら大間違いなんだからね。馬鹿にしてんの?」
「そんなつもりは……」
 そう言いかけて、眞虚は思った。――あるんだ、別衣装。
 眞虚はそれを口にこそ出さなかったものの、あからさまに変わった表情から今度こそ彼女の考えを見抜いた水祢は溜息を吐き、しかし何も言及しないまま腕組みした。
「……大体、お前の親族の結婚式は見ず知らずの奴が突然やって来てもいいわけ? 随分といい加減じゃないか」
「いいの。どうせ代理だもん。私のお父さんとお母さんの代わりにご祝儀出して、後は座って飲食して流れのままにやってこれれば、別に。だから水祢くんもあんまり肩の力入れなくていいよ。それなりにね」
 皮肉たっぷりの水祢の問いに、眞虚はさらりと答えた。その余りにもあっさりとした様に、水祢は少々面食らった。
 それまでの水祢の認識では、眞虚と云う少女は数ある有象無象の人間達の一人であり、精々行っても「美術部の中で一番気弱で感傷屋の気がある娘」止まりだった。それでも、もはや兄弟愛を通り越して尊崇する火遠以外は芋や南瓜も同然に思っている彼の中では随分と認知されている方である。しかし、だからこそ水祢は戸惑っていた。
(……この娘、いじめてやろうと思っても中々泣かないし、失礼なことも平気で考えるし……何なの)
 彼が憎々しげに向ける視線の先の眞虚は、何も知らずにキョトンとしていた。

 ほどなく構内アナウンスが鳴り、快速電車がホームに進入してくる。
 二人はその電車に乗り込むと、混雑時外の上り線らしく閑散としたシートに並んで腰掛けた。
 それから時間をおかず、車内アナウンスの無機質な音声と共にドアが閉まり、電車は発進する。ガタン、ゴトンと線路に沿って揺れる電車の中で、眞虚と水祢の二人はずっと無言だった。
 人気のない車両の中で、電車の走る音だけが響いている。
 ガタン、ゴトンと。電車は行く。


 二人を乗せた電車は恙なく都内へ辿り着き、乗り換え駅で人ごみだらけのホームを移動する頃にはすっかり太陽が昇っていた。
 眞虚の親類の待つ某県行きの電車の車内は本格的なゴールデンウィーク前であるにも関わらず非常に混雑していた為、水祢はとても嫌そうな顔をしていた。
 そんな人の波も何駅か先の行楽地でどっと減り、二人がやっと座れた席からは、向かいの窓に映る外の景色が良く見えた。
「よかったね、さっきの駅でだいぶ行っちゃったみたい」
 この時になって、眞虚は漸く水祢に話しかけた。しかし水祢はずっと人ごみの中に居たストレスからなのか、いつにも増して不機嫌な表情で口を結んだままである。
 眞虚はそんな水祢を見て少し残念そうな顔をし、また無言になった。そしてポーチの中から鏡を取り出すと、混雑の中で乱れた髪型や服装を直しはじめた。

 ガタン、ゴトンと電車は走る。
 文庫本に目を落としたままの初老の会社員も、席は空いているのに、ずっと立ちっぱなしで携帯を弄っている青年も、座席に膝を乗せてはしゃぐ子供も、それを注意する母親も皆乗せて。
 そんな中で鏡を仕舞った眞虚はがふと顔を上げると、晴れた陽射しを受けてキラキラと輝く海が見えた。
 今日の彼女の衣装よりもずっと鮮明で穏やかな青。遠くには白い船影がぽつりぽつり。
 そんな光景を見て、眞虚は思い出していた。今でも耳に残る、懐かしいあの音を。

 ――海鳴りの音がざざん、ざざん。


 降り立った駅からタクシーで数分。その結婚式場は海の一望する小高い丘の上にあり、その景観も然ることながら式場の建物も瀟洒なもので、快晴の太陽に照らされて白く輝いて見えた。
「素敵……」
 眞虚は思わずそう零した。こんな素敵な場所だからこそ、親類側は何周も先の天気予報とにらめっこしながら慎重に決めたのだろう。一生に一度の結婚式、曇天の下大時化しけの海なんか背景にしては台無しだ。伯父がムキになった理由を、眞虚は漸く納得する。
 二人がタクシーを降車して式場の前に降り立つと、式場の前庭に植えられた花の香りに混ざって磯の匂いが流れてきた。既に集まっている他の来客の声に交じって、海辺を飛ぶ白い鴎の鳴き声と幽かな海鳴りの音が聞こえてくる。
 ざざん、ざざんと海が鳴る。静かだが確実に聞こえてくる音に、眞虚はしばし立ち止まる。
「同じだ」
 海を見つめたまま放心したように呟く眞虚に、数歩前を行く水祢が振り返る。
「何してるの。さっさと行くよ」
「あ、え、そうだね! 行きましょ行きましょ~」
 眞虚は我に返るなりわざとらしく明るい声を出した。そして小走りで水祢に追いつくと、これまたわざとらしくにこりと微笑んだ。
「……そっちから呼んだんだから。ちゃんとしてよね」
「ごめんって。……ただ、海があんまり綺麗だから、ちょっと」
 呆れたように言う水祢にそう答えつつ、眞虚はまた海の方をチラリと見た。
「……海、好きなの?」
「うーん、どうかな。まあ、多分」
 眞虚は曖昧な返事をして少しだけ考えるような仕草をした後、また口を開いた。
「水祢くん。私ね、最初から古霊町に住んでたわけじゃないんだ。お父さんとお母さんの都合で、ずっと色んな街を転々としてたの」
「ふぅん」
 興味なさげな水祢に対し、眞虚は続ける。
「西へ東へ北へ南へ……って言っても、古霊より北へも東へも行ってないんだけどね。短期間で本当にあっちこっちに行った。でもね、最初の街? ていうか、小学校に上がるまでに生まれ育った街の事はよく覚えてるんだ」
 眞虚は懐かしむような顔をしながら、もう一度だけ海を振り返って言った。

「私は、海の見える街に生まれた」

 その時一瞬だけ。空気がざわりと揺れたのを、水祢は感じていた。風とは違う。一瞬だけ周囲の空気が変わったのだ。……それも、嫌な方向に。
 眞虚が何か気付いた様子はない。他の来客も何事も無かったように歓談しながら式場へと歩き続けている。どうやら、その違和感は水祢ただ一人だけが感じているようだった。
(――何、今の。どこから……っ)
 得体の知れない感触に、今度は水祢が立ち止まった。しかし周囲には特に変わった様子はなく、不穏な空気は既に鳴りを潜めてしまった為出所が分からない。敢えて疑わしいものを挙げるとするなら、それは目の前の少女。水祢の感覚に狂いが無ければ、それ・・は確かに眞虚の言葉と同時に起こった筈なのだ。
 次の瞬間、水祢はすぅと目を細めた。そして遠くの物体を注視するように目を凝らすと、彼の瞳はぼんやりと水色に発光した。瞳孔は昼間の猫のようにきゅっと細まり、大凡人の瞳とは違うモノへと変貌する。
 ――人外の瞳。それを持つのは今この場における唯一の招かれざる客であり異質体イレギュラー。それに気づく者は誰一人として居ない。唯一それを察知できそうな眞虚は、今は水祢に背を向けている。――だが、それでよかった。
 水祢は人外の眼差しでもって眞虚を見た。それが例え後ろ姿であっても、ただ見つめるだけで良かった。スキャナーのように上から下に視線を通す、それだけで。
「……そう言う事」
 数秒もしない内に、水祢は何かを納得したように呟き目を閉じた。
「水祢くん?」
 そんな彼の様子に気づいたのか、眞虚が不審そうに振り返った。その円らな眼窩の中心には、血のように赤い瞳が覗いている。
「いいや、なんでも」
 そう言って再び開かれた彼の瞳は、既に平時と変わらない濃紺色ネイビーブルーへと戻っている為か、眞虚は自分が視られて・・・・居た事に気付いた様子もなかった。
 水祢は思う。きっと、兄の火遠は自分より昔にこのことを識っていたのだろうと。片目になったとはいえ普段から全てを見透かすように目を凝らしている火遠が、この少女の抱えている"何か"に気付いていない訳がない、と。
(こいつ……一体何処でこんなもの・・・・・を拾ってきたんだ)
 僅かに眉を顰める水祢の心中など知らず、眞虚は無邪気な笑顔で言う。
「そっか。じゃあ早く入ろ!」
 そう言って水祢の手を引くと、眞虚は何事も無かったように式場へと歩き出した。そんな彼女の手に引かれ、水祢はまた呆れたように溜息を吐きながら、……一瞬だけ海の方向を睨んだ。

「……煩い」

 そう呟いた言葉は、きっと眞虚には聞こえていないだろう。……何故ならば。それは。
 妙に喧しい海の音に、掻き消されてしまったからだ。

 海鳴りの音がざざん、ざざん。

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