怪事廻話
第十一環・私たちの怪事を①

 人類の危機は世間に知られぬままひっそりと幕を閉じた。
 古霊北中学校とそのグラウンドは翌日には何事も無かったような姿形を取り戻し、やってくる教師も生徒たちも、そこで大きな戦いがあっただなんて思いやしないだろう。
 あの日古霊町全域で起った異変も、二週間ばかりは住民たちや人の噂でそれを知った一部の好き者たちの間で騒がれていたものの……インターネット上に上がったピンボケしたよくわからない写真以外に特に証拠もないため、やがて「集団パニックだったのではないか」という意見が主流になり、夏休みの折り返し頃には少しずつ話題から消えて行った。幾らかは【灯火】側の火消し・・・もあったのだろう。
 そんな異変を美術部らが知ったのは決戦の後だった。家に帰って、どこかで彼女らが本当に居ないことに気付いた家族に「今までどこ行ってたの!」と心配のあまり怒られたか、あるいは美術部外の友人からのケータイ着信履歴やメールの数々で各々そのことを知る形となった。
 数日の後には受験対策の夏期講習で顔を合わせたクラスメートらにも話題を振られ、その度に曖昧な返事を返していたら、いつの間にか勝手に「古霊町の危機を救った」ということにされていた。……あながち間違っていないのだが、まったく人の噂というものはいつも勝手なものだ。そう美術部らは思った。
「まったく呑気な連中だ、YOUユーたちは本当の本当に世界の危機を救っているというのにな!」
 北中内での評価がある程度定まって来た頃、乙瓜と廊下で鉢合わせた王宮はそう言った。
「呑気なのはおめーも一緒だよ。ちょっと楽しんでるだろ」
「ハハハ、バレたか」
「バレるもなにも丸わかりだっての。……つか美術部の評価もここまでおかしいことになっちまって、これから後輩たち大丈夫かって思うわ」
「なにをいうか、そんなのは噂以前にYOUたちの日頃の行いのせいだろうYO!」
「……なにが『だろうYO!』だよ馬鹿。はあ、不安だ」
 乙瓜は大きく溜息を吐きながら、下り階段方向にゆっくりと曲がった。王宮はそれに追従せず、少しずつ乙瓜からみて高くなっていく位置のままで言葉を続けた。
「まあ人の噂も七十五日、その内YOUの後輩らの美術部像が見えてくれば、段々それに即した評価に代わるだろうさ! 人間は思いのほか飽きっぽい生き物だからな!」と。
 彼は元から声が大きいので、その言葉は少しずつ遠ざかっている乙瓜にもはっきりと届いた。そんな王宮を踊場で振り返り、「だろうな」と乙瓜は言う。彼らのそのときの会話はそれきりで終わった。……が。
 乙瓜は思う。『人の噂は七十五日』、『人間は思いのほか飽きっぽい生き物』……だからこそ。

 ――『精々この世界の未来が今以上に暗い絶望に塗り潰されていないことを願ってるよ』

 曲月嘉乃の最後の負け惜しみ・・・・・を、その意味を。自分はいつまでも忘れないように心掛けよう。乙瓜は階段を降りながらそう思った。

 その年の夏らしい夏は、八月の後半になってからやっと訪れた。
 パッとしない天気となかなか上がらない気温は盆明けと共に晴天、夏日が増え、晴れて再び美術部と名乗っていられるようになった彼女らも、最後の体育祭に向けての作業を気持ちよく終えることが出来た。
 なんだかんだで【灯火】の打ち上げにも参加して、夏休みの終わり頃には杏虎の親類の訳アリ別荘に勉強会というお題目で一泊したりもした。……まあそこでは怪奇現象よりもなによりも中途半端に手入れされた中で大繁殖した蜘蛛クモとの熾烈極まりない戦いがあったりしたのだが、そのあたりは割愛する(怪奇現象もあった)。
 夏休み明け、体育祭目前。乙瓜が競技練習の休憩中、体育館横の水飲み手洗い場でそれとなく居合わせた異にそのことを語ったら、彼女は「楽しい夏休みだったね」と笑った。
「ついこの間まで世界の危機と戦っていたとは思えないよ」
「まったくだ。……一ヶ月と少し前のことなのに、なんかもう随分と昔のことみたいな気がするんだ」
 そう言って、乙瓜は天を仰いだ。
 勝利を信じて戦ったが、決して容易な戦いではなかった。味方に付いてくれた妖怪たちの中には、僅かだが、けれども確かに命を落とした者がいる。打ち上げの中ではその弔いもあったし、決してそのことを無意識下で風化させようとしているわけではない……と乙瓜は思う。名も知らぬ者が殆どだったが、彼らはあの日確かに自分たちに未来を託し、そして逝ったのだ。どうして忘れることができようか、と。
 だから今はただ、あの非日常と日常のギャップが少し信じられないだけなのだ。恐らくは。
 傷付いた仲間たちも随分回復している。死力を尽くして人形師を倒した花子さんやエリーザ、メリーさん、狩口、燈見子らも今ではすっかり元気そうで。乙瓜を庇った魅玄も……玩具の鏡を失った今となってはどこへなりとも行けそうなところを、乙瓜と初めて接触した東階段二・三階間踊り場の鏡を根城にし始めたようで。傷も大分癒えたようだ。
 あちらで、こちらで。戦いの傷痕は癒えようとしていた。そしていつかきっとそれは、夢幻のようになって行くのだろう。いつか――そう、遠い未来で。
 乙瓜はそんなことをぼんやりと考え、それからふと何かを思い出し。そして異に向き直りながら言った。そういえばさ、と。
「前に薄雪がさ。お前じゃ神様の力を受容できないみたいなこと言ってたんだけど。……それって変じゃね? 巫女って本来神様の力借りたりするやつだろ?」
 訊ねると、異はぽかんとした表情になった。そして存外あっさりとした調子でこう返す。
「ああ、それ聞いちゃう? 今、ぼくに」
「聞かせてくれんのか?」
「そうしたいなら別に。構わないけれど」
「……じゃあ聞かせてくれよ」
 異は「いいよ」と笑った。それから二人は体育館玄関の段差に腰を下ろし、異はぽつぽつと語りだした。
「ぼくはさ、どうも本来は人間の子として産まれるはずの存在じゃなかったらしいんだよね。うちの神社に房って狐がいるじゃん? どうも彼女の子として産まれるはずだったらしいんだよね。つまりは狐として」
「そうなんか」
「うん。そうなんだ。……リアクション軽いね?」
「いや……まあ、自分の出自も大概アレだしな」
「それもそうか」
 異は納得したように言いながらいつものようになにか考えるような仕草をして、それから話を続けた。
「ごめん、この辺りの詳しいことは多分薄雪様たちの方が知ってるから、曖昧になっちゃうんだけど。十五・六年前、夜都尾神社に強い力を持った星が降ってくることがわかって、普段ずっと遠くで見ているうちの狐たちの上司が、房にそれを拾って強い狐を産むように要求したんだって。……だけどそれは上手く行かなくって、代わりにうちの母さんがぼくを身籠った。で、そうして産まれたぼくはちょっとヘンな子として生まれてきてしまいましたとさ、というわけ」
「ざっくりしてんな」
「だから先に曖昧だって言ったじゃないか」
 異は右手を鉄砲の形にして、宙に向けた砲身・・をくるくる回した。少しいじけているようだった。
「流星由来のぼくの能力ちからは、どうも神様たちの力とはちょっと相性が悪いらしくてさ。だから神様の姿を見たり言葉を聞いたりっていうかなり巫女っぽいことはできても、その力をそのまますっぽり受け入れることは下手くそみたいなんだ。中途半端だよねー」
「うん、まあ、よくわからねえけど」
 よくわからないが……いや、しかし。先の大霊道封印には確かに不向きなその力は、当人からすれば中途半端なものなのだろう。乙瓜は納得し、コクリと頷き、そして直後にまた思いついたことを口にした。
「星由来っていうのはあいつの力に似てるな」と。火遠の、色々言われたものの未だよくわかっていない【運命の星】の力を思い浮かべながら。
「そうかもしれないね。わからないけど」
 異は言って、座った体勢で背筋を伸ばし、空を見た。その空は白灰色の雲に覆われている。八月の最後に雨が降って以降、また暫く曇天が続いていた。けれども、体育祭当日には再び晴れる予報だ。
 それは兎も角、異は現在自分たちの上に広がる曇った空を見上げ、それから再び口を開いた。
「彼の力の正体は、ぼくにはわからない。もしかしたら本人はなにかに気付いているかもしれないけれど、読めない・・・・し。まあ、広い宇宙にはそんな謎もあるってことでいいんじゃないかな。この地球だって宇宙のほんの一部分に過ぎないんだし、未知の謎があった方がワクワクするだろ?」
「そういうもんか?」
 乙瓜は異の横顔を見てそう言った。異は空から視線を動かさないで「そういうものだよ」と答えた。
「わからないから想像の余地がある。余地があるから昔の人々は現象の隙間に想像を潜らせて、そこに妖怪とか魔物とか、神様とか呼ばれる概念が生まれた。それらはやがて現象を越えたキャラクターを持ち、現象の原因が解明されつつある現代でも、こうして生き残っている。そうして妖怪たち彼らとぼくらが出会えたのなら、それは素敵なことだろう?」
「神社の娘のくせに神様が後付けでもいいのかよ」
「うん? そこは神話の通り神様が先でも同じことさ。ぼくらが先にしろ神様が先にしろ、需要があったからお互いにこの世界に生まれたのさ」
 まあ、自論だけれど。そう結ぶ異に「ふうん」と気のない返事をして、乙瓜も彼女に倣って再び空を見上げた。

 数日後の体育祭は予報の通り終日晴天に恵まれた。
 今年は学校妖怪たちの乱入も無く、進行は極めて予定通りの穏やかなものだったが、観客席には件の一件の後始末と経過観察のために古霊町に留まっている珍妙な仲間たちの姿が散見された。学校妖怪たちも今年はそちら側で、他には卒業した諸先輩らの姿も見られた。
「あたし、あの日は高校行ってたからわかんなかったけど。なんか凄いことやったんだって?」
 今となっては前々・・部長となる鳩貝秋刳あくるは、昼休憩に後輩らの前にふらっと姿を現すと、ニヤニヤしながら現役三年生陣一人一人の頭を「よしよし」と撫でた。
 秋刳の更に先代部長の首無藍子も顔を出し、「お疲れ様」と売店の飲み物を皆に奢った。
「そういえばさぁ。千里塚ちさとづか先輩ってちゃんと成仏したかなあ」
 部活対抗リレー前、秋刳は思い出したようにそう言った。けれども現役三年生らはそんな彼女の後方で気まずそうな笑みを浮かべている、面識はないがどこかで知っているような雰囲気の半透明の女生徒を見て、なんとなく察して。けれど秋刳には曖昧な言葉を返して誤魔化した。
 その上で、早く成仏すればいいのにと思って半透明の少女にそれとなく視線を遣ると、彼女は「わかってるよぅ」と言わんばかりに舌を出してその場から姿を消した。それは逃げただけで成仏ではないだろう。思えば今代の大霊道事変の一つの起点とも言える遠い昔の美術部員は、多分、まだ当分の間は留年・・を続けるつもりらしい。
 一方そんな彼女の消えた足元付近では、いつものように張り付いた笑みを浮かべたてけてけがぼんやりと空を見上げていた。
 彼女はあれ・・以来、見かけてもぼんやりとしていることが多くなった。戦いの後で地面に書いて示すことには、『すこし気持ちを整理する時間をください』ということだったが、やはり大事な友人・・を失った気持ちは簡単に割り切れるものではないのだろう。例え彼女が妖怪であっても。

『わたしは泣くことはできないけれど』
『少し、おおごえで泣きたい気持ちです』
『時間はたくさんかかるかもしれないけれど』
『たぶん、そのうち、軽くなります。なくならないけれど。軽くなります』

 彼女がそう『言って』いたことは、あの日共に戦った多くの者が知っている。元美術部の六人も。だから彼女らはてけてけをそっとしておくことにした。そしていつか気持ちに区切りがついて、少し軽くなることを願った。

 その六人にとって中学最後の体育祭は、三年一組率いる赤団の勝利で終わった。
 西に傾き暖色がかった陽光を受けて、赤鉢巻きの軍団が笑顔と嬉し涙に染まり、青鉢巻きの軍団は悔し涙に抱き合った。
 乙瓜、魔鬼らは青鉢巻きの側に居たが、胸に込み上げる悔しさのどこかで、やり切ったような清々しい気持ちが明るく光っているような気がしていた。
 そんな気持ちを口に出し、「なんでだろうな」と乙瓜は言う。「あの戦いはあんなに苦しかったのに、なんでだろうな」と。
 けれどもその疑問に答えたのは魔鬼ではなく、例によっていつの間にか背後にいた火遠だった。
「それは戦いは戦いでも『競う』ことだからさ。お互いの力量を比べあうことで高みを目指すことができる。そうして人間は発展を繰り返してきた。少しの嫉妬や悔しさはそのためのスパイスさ。恨み憎しみになると手の施しようがなくなるけれどね」
 尤もらしく言って腕組みする火遠を二人はバッと振り返った。そして互いに顔を見合わせた後、魔鬼が言う。
「いや、なに突然出て来てそれっぽいこと言ってんのさ……?」
「いいじゃあないか、面白いんだもん」
「自覚的! 性質たちが悪い!」
 と、乙瓜と魔鬼は少し前まで負けにしんみり落ち込んでいたとは思えない勢いで騒ぎ出した。
 それをグラウンドより高い場所、もう片付けの為にと前庭を歩いていた幸福ヶ森幸呼が見下ろして、ふふと笑う。
「元気そうじゃん。よかったね」と。
 言って振り返った先には、去年と同様、けれども去年と違って魔女の言葉を伝えるためではなく、自ら進んで楽しむためにと体育祭に訪れた七瓜の姿が、そして七瓜の友人であるアルミレーナと石神三咲の姿がある。
 七瓜はとっくに落ち込んでいない様子の乙瓜を見て「ええ」と笑い、アルミレーナは少女二人をおちょくり笑う父の姿を見て「困った父さんだわ」と息を吐いた。
「みんな楽しいならそれがなによりだよ」
 三咲は明るくそう言って、「守って良かったね、この町」とニッコリ笑った。
 こうして平和に体育祭を迎えることが出来たのも、大部分の生徒、保護者、遊びに来たOB・OGであるこの町の住人を、彼女らが守ったからである。
「ありがとうね」と改めて告げる幸呼の姿に、他の二人共々、七瓜は素直に誇らしい気持ちで頷くことができた。
 そんな七瓜が翌週・二学期二週間目且つ三年生の終わりの時期という半端な時期に北中に転校してきたのは、気まぐれで思わせぶりで人騒がせな魔女ヘンゼリーゼからの最後のサプライズだったのだろう。
 乙瓜の親戚という『設定』で現れた彼女は、勝手な設定作るなと不満げな乙瓜に悪戯っぽく「ごめんね」と笑った。
「本当は一学期の内に間に合いたかったけれど、ちょっと偽装……手続きに手間取っちゃって。もう中学で部活動出来ないのは残念だけれど、高校で新しく入ればいいだけの話ね」
 そう語った七瓜も、九月も終わるころにはすっかり同学年の一員として溶け込んでいた。
 それが彼女らの残り少ない中学生活の中に起きた、ちょっとした変化。
 だがその一方で、【灯火】を、美術部を助けるためにやって来ていた彼らとの別れの時が、少しずつ迫っていた。

 夜の居鴉寺にて。屋根に腰を下ろし、天狗のほとりはポツリと言った。
「解散、かあ」

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