怪事廻話
第四環・古都の総会、白の喪失③

 修学旅行前夜、古霊町烏貝邸。つい二ヶ月ふたつき前の騒動などなかったかのように、すっかり日常に戻った乙瓜の姿がそこには在った。
 粗方の荷物は宅急便で一足早く現地入りしている為か、旅立ちの前だというのにその部屋の中は存外とすっきりしていた。そんな部屋のベッドの上、とうに乾いた洗い髪にはもう必要のなくなったタオルを惰性で肩に掛けたままの彼女の手にはケータイが握られていて、小さなスピーカーからは電波の彼方に居る話し相手の高い声が漏れだしていた。
『折角久しぶりに遊びに行こうと思ってたのに、あんた部活の友達とどっか行っちゃったって云うんだもん。一体どんな楽しいとこ行って来てたのさー?』
 ――と、ちょっぴり不服そうに訴える先方は普段電話やメール等の遣り取りをしている美術部メンバーではない。隣県に住む乙瓜のはとこ・・・烏山からすやま蜜香みっかである。
 幼い頃は互いの親に連れられてちょくちょく顔を合わせる間柄であり、現在でもケータイを介して小まめに遣り取りする程度には仲がいい。それでも互いの家があまりに遠く、加えて公共交通手段が限られているということもあって、特にここ数年で蜜香側の両親が多忙になってからは盆と正月くらいしか会う機会がなかった。だが、そんな蜜香もこの春無事に高校生になり、四月生まれのアドバンテージと学校の許可を得て原付免許を即行で取得した。ほんの少し頑張れば、「ちょっと遊びに行ってくる」が不可能でもなくなったのだ。
 故に彼女はゴールデンウィーク中に遊びに来ようと計画し……いや、実際一度は烏貝家を訪れたのだ。だが、そこにはものの見事に乙瓜が居ない。精々、学校寮暮らしから一時帰省していた乙瓜の不愛想な兄・烏貝甲がいるぐらいである。
 蜜香としては会うのは甲でもまあ・・よかったのだが、昔ささいな――いや、甲にとってはまったくささいでないことから喧嘩になることが度々あって、以来甲は蜜香を煙たがっており、それは今日でも続いているらしく。蜜香は仕方なく、古霊町に住む自分の祖父の顔を見てからすごすごと撤収して行った、らしい。
 とまあそんなことがあって、その時の不満を今になって乙瓜にぶつけている、というわけだ。
 もう十日以上――下手すれば二十日近く経っているのに、と乙瓜は思う。だが帰る途中か帰った後に何か、感情を上書きするようなことがあって今の今まで忘れていただろうこともまた容易に想像できたが故に、仕方ないなと溜息一つで不問とした。乙瓜の知る彼女には、そういった少々間の抜けているところがあるのだ。
 話を戻そう。
「……どんな楽しいって、部活の友達の親戚のとこだよ。ほら、去年にも海行ったって言ったじゃん。それと似たようなとこ」
『またかよー。いいないいなあ。あたしも誘ってくれりゃあいいのに』
「いや蜜姉は蜜姉の友達とどっか行きゃあいいじゃん。原付免許取ったんだろ?」
『…………そーおだーけーどー』
 スピーカーの向こうの声はあからさまに不満度を上昇させる。
 乙瓜はそんなはとこに呆れながら込み上げてくる欠伸を噛み殺し、ふと壁時計に目を向けた。
 時刻は深夜22時手前。終りかけとはいえ成長期の発育にはあまりよろしくないことだが、普段夜更かししてゲームをしている乙瓜にとってはまだ浅い時間。けれども、明日の関西行きに際して町に一つしかない東京行きの電車――それも早い時間且つ本数が限られている――に乗らなければならない彼女にとっては、もうそろそろ寝なければいけない時間だ。いや、超常怪異の塊のような存在であることを自覚した乙瓜の身体は睡眠の一つ二つ抜いたところで問題ないのだろうが、部屋から漏れる明かりと電話の声は近いうちに必ず親を呼び、魔法の呪文『早く寝なさい』によって寝ざるを得ない状況になることはまず間違いないのだ。
 尤も、聞く耳持たず反発してしまえばそこまでだが――平気でそうしてしまえるほど、乙瓜は「悪い子」ではなかったのである。
「蜜姉、そろそろ」
 そうして乙瓜が切り上げようとしたのを察したのか、受話口の向こうから「待って」という声が慌て気味に響いた。
『乙瓜明日から修学旅行だっけ?』
「……そうだけど。だからそろそろ寝たいんだけど」
『わかった。わかったそれはなんとなく察するでもちょっと時間ちょうだい。行き先は奈良京都?』
「?」
 蜜香の妙な様子に乙瓜は一人首を傾げた。修学旅行の話を蜜香するのは今が初めてでなく、行き先もとっくに告げてある。今更再確認するまでもない。
(お土産のリクエストか?)
 ありきたりでありそうな結論を乙瓜の脳内が弾きだした直後、しかし聞こえて来た蜜香の声は、話を想像とは別方向に展開したのである。
『念のため泊まり先のホテル教えて?』と。
「はあ?」
 不意をつかれた乙瓜の口から、つい大きな声が漏れ出る。直後慌てた彼女は今更意味も無く口を塞ぎ、それから先程の会話よりも声を潜めて「はあ?」と繰り返した。
「知ってどうするつもりだよ。……まさか土日に来るのか?」
 修学旅行は金曜日から始まり土日まで続く。――まさか先程のゴールデンウィークについての会話がここに架かるのか? 予想外だ、と乙瓜は危惧する。
 だが蜜香はあくまで真剣な調子で「いいから」と続ける。
『別にホテル乗り込んでって何しようって事じゃないよ。なんかあった時の念のため・・・・ね』
「はあ……」
 三度目の「はあ」。「何のなにかの念のためだ」と乙瓜は思う。けれども蜜香の声の様子からして教えなければ教えないで面倒だろうと、乙瓜は渋々、準備を終えた荷物からしおりを引き出し、そこに記載されているホテルの名前と住所と馬鹿丁寧に伝えた。
 蜜香はメモでもしたのだろうか、「わかった」と素っ気なく告げると、すぐいつもの調子に戻って乙瓜に「おやすみ」を告げた。
「じゃ。明日から楽しんできてねー」
 そして通話はプツリと切れる。
「…………」
 一体なんだったんだ。乙瓜はそう思いながら、つながりの切れた自身のケータイを、暫くの間まじまじと見つめてしまった。
 が、その状況は一分も持たなかった。……一度目の「はあ?」はきちんと部屋の外まで届いていたのだ。部屋の外から控えめな足音がしたかと思うと、すぐさまほんの少しだけ扉があき、母親の「寝なさい?」が乙瓜を襲う。
 こうなればもう、寝てしまう他道はないのだ。
 しおりをバッグに戻したのを何度も確認してから電気を消し、布団に横たわった後も乙瓜は思う。

 蜜香は何をするつもりなのか――?

 その答えは今のところ、隣県に住む烏山蜜香の胸の中にしかない。

 同時刻、某県N市。山間の街明かりを映す窓にシャッとカーテンを引き、蜜香は手にしたままの己のケータイで再びどこかに電話をかけていた。
「もしもし」
 お目当ての人物はすぐに通話に応じたようで、蜜香はニッと口角を上げながらベッドの縁に腰を下ろす。
「うん。あたしが動けるのは二十三日から。でも頼んでくれれば二十二の夕方からでも行くよ? 親にはバイトって言ってあるし。……うん、…………うん!」
 何かの日程を確かめるように。幾らか会話を進めてから、彼女は再び「おやすみなさい」と電話を切った。それから大きく溜息を吐き、ベッドの上に体を投げ出した。
「最悪の場合凄い距離を移動することになるよなあ。……体力もつか、間に合うか」
 漏れだした独り言に応える相手は無く、視線の先には只々木目茶褐色の天井が広がるばかりである。
 そんな有様にしかめた顔を両のてのひらでパァンと叩いて己を一喝し、腹筋だけで起き上がると、彼女は机の上に無造作に転がされたそれ・・へと手を伸ばす。
 大凡おおよそ日本の平均的な女子高生のマストアイテムとも思えない無骨なそれ・・。その形は仏教法具の三鈷杵さんこしょに少し似ていて、それでいてミニチュア大の三叉槍さんさそうのようでもあった。二者の中間のような形態とでも云うべきか。
 その奇妙なアイテムの名は、封魔金剛三鈷銛ほうまこんごうさんこせん。退魔宝具の一種にして、非戦闘時の現在はその力を十分の一以下に抑えられているもり。そして更に言うまでもなかろう。それを持つ蜜香こそが、三鈷銛・・・に選ばれた正当な所有者だ、などとは。
 蜜香はそれが何を成す為にあるのか知っていた。当然ながら怪事のことも、世に人の手に依らない存在が在ることも全てだ。
 烏山蜜香は。
 古霊四大寺社たる居鴉寺住職・烏貝陽宋の孫として生まれ。はとこの七瓜・・と同じく、幼い頃から死者を見る異能を持っていた。
 その異能は彼岸の良からぬもの・・・・・・も此岸の悪意も等しく寄せ付け、彼女から平穏を奪って追い詰めた。だが追い詰められ切った彼女は、そこで一人の希望と出会う。

 ――異能おまえさんにしか出来ない仕事をしてほしい。

 蜜香と同じく社会の居場所を失った、そうまで行かずとも肩身の狭い思いをしている異能を集めていると云う彼女・・。先程の電話の相手・丁丙。
 彼女に心救われた蜜香は、以来【灯火】の一員として在る。
 故に果たすべきことを果たすべく。烏山蜜香もまた烏貝乙瓜の電話相手という裏方を外れ、舞台の表側・・・・・へと躍り出ようとしていた。
 乙瓜の、ひいては美術部の与り知らぬところで。物語は着実に進んでいたのだ。
 絡みついた思惑が、廻り転がり勢いづいて。もう簡単には引き返せないところまで。

 誰もがそれに無自覚なままに、或いは計算ずくの承知の上で。関西行のその朝は、平時と変わらず東の空から訪れるのだ――

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